11-02. 強者と弱者
武器を構えたヒトガタたちの、明らかに友好的ではないその気配を受けて、俺たちは武器を構える。ヤミがいないのが不安だった。だが、やるしかない。どのみち退路は断たれている。
「ファイヴァルレドの真の所有者が無防備なことですな」
――ジムレグ!?
民家の影から姿を現したのは、両目がない老人――まぎれもなくジムレグだった。
「クラッドノウトが苦戦したということで、せっかくなのでご尊顔を拝しにきましたよ、エリザベス・ティラール様」
奴は俺の方に関心を払いもしない。暗黒の眼窩で捉えているのはベスだけだ。
「どうでしょう、ティラール様。儂と共に来てはくださりませんか」
「いやよ」
「ならば、そこの若者を殺して連れて行くことになりまする。私としても手荒なことはしたくありませぬゆえ」
こいつがジムレグだ――俺はベスに耳打ちする。ベスは頷いた。
「私の魔法術の前に抵抗し続けることができる者はこの世にはおりませんよ、お嬢さん」
「それはどうかしらね」
ベスが動く。俺も動いた。
黒いヒトガタもジムレグを守るように進路を塞ぐ。
「なぜベスを狙う」
「鍵だからですよ、ゲドルタへの直接アクセス権のね」
「そんなものを得てどうする。お前たち魔法術師は今だって直接アクセスしているんじゃないのか?」
ヤミから聞いた情報をもとに、誘いをかけてみる。ジムレグは「物知りな少年ですね」と呟くと暗黒の眼窩で俺を見た。
その途端、俺は金縛りにかかってしまう。指先一つ動かせない。不愉快な感触を残して、額から汗が零れ落ちる。
まずい。
黒いヒトガタはその手に長剣や曲刀を持っている。
どうにか時間を稼がないと。ベスに状況を伝えようにも、俺の口は動かない。文字通り彫像にでもされた気分だ。
「無駄な抵抗はおよしなさい、エリザベス様。カザスィアの正当な後継者」
「でもファイヴァルレドは、ないわ」
「今は、ですな。いずれ見つけます。あなたとファイヴァルレドがあれば、この世界は全て意のまま」
「そんなこと望まない」
「儂が望むのですよ、エリザベス様」
老人の声音に変化はない。感情もない。表情からも何も読み取れない。
「屍霊術師、ジムレグ。あなたは何故そんなことを望むの」
エリザベスの声に怯えはなかった。代わりに怒りが満ちている。
「人を大勢殺して、殺させて! あなたの幸せのためにあるわけじゃないのよ、この世界は」
「力ある者が導いてこそ、世界は平和になるというものですよ」
「人々の屍の上に立つ指導者が、世界に必要なものですか」
ベスも時間稼ぎを選んだようだった。後はヤミが来てくれれば。動かない身体に、唇に、舌に、俺は苛立ちを覚えていた。
「結果としてそうなるのです、エリザベス様。魔導大戦にしても、然り。勝ち残り、生き残った者が国を建て、歴史を編纂する。無数の犠牲者たちの名は、墓碑にも刻まれることなく、無数の貢献者たちの流血は歌われることもなく――」
「だとしても! 私はこんなことは認めない。ここの人々が何をしたというの。殺された赤ちゃんに何の罪があったというの!」
「弱者なのがいけないのですよ」
「ふっざけるな!」
ベスはその手にした血の聖槍・ラグリスを構えた。その刃の色が銀からじわりと赤に変じた。まるで血塗れであるかのようだ。五百年前に生まれた神器というのは本当らしい。
「弱者であることが罪であるなら、平和に暮らす人々は、その全てが罪人ってことになるわ! その弱さが蹂躙して良い理由になんて絶対にならない。力を持たない人々が平和に暮らしているそこに、強大な魔法術を振りかざして踏み入り荒らし回っていい理由なんて一つもない!」
「なぁに、このような犠牲は些細なものですよ、ご心配なく」
「何を言ってるの!」
「強い人間が生まれるためには、弱者の犠牲は不可欠なのですよ。千年前の勇者たち然り。二十年前の魔導攻防戦然り。儂は世界を憂いているのです。儂は世界の行く末を正しく導こうとしているのです」
ジムレグはその場から動こうとしない。真夏の日向に、これほど相応しくない人物もいない。黒いヒトガタは徐々に包囲網を狭めてきている。数は八。動けさえしないので、このままでは嬲り殺しだ。
正面のヒトガタの手にした曲刀の刃が鋭利に輝いている。魔法術か何かで強化されているのだろうか。であれば町の人々の刀傷の状態も説明がつく。
この老人、ジムレグがやったのだ。
ベスが毅然とした声で言った。
「人は人の強さで生きていく。あなたのような傲慢な考えの持ち主に導かれなければならない理由なんてないわ!」
黒いヒトガタたちを無視して、ラグリスの穂先をまっすぐにジムレグに向けるベス。
「世界を憂うのは結構。だけど、あなたが世界を変えられるなんて、誇大妄想も良いところよ。そもそもあなた、かつて負けてるじゃない」
ジムレグは二十年前に、爆炎の魔女・テスタロサに敗れてジェイルムド古城牢に幽閉された。
その時、初めて老人が笑顔を見せた。この上なく醜悪で凶悪な笑みだった。胃の中から酸っぱいものが湧き上がるほどの嫌悪感を、俺は覚えた。
「儂は敗れたわけではありませんよ、エリザベス様。あれは取引です」
「と、取引!?」
「テスタロサにはテスタロサの計画があった、ということですよ。儂はそれを理解し、彼女の野望の一部分を肩代わりすることにした」
嘘だ!
と言おうとしたが、声が出せない。
『まぁまぁ、相変わらずおしゃべりなこと』
その声と共に俺の右肩に何かが触れた。
途端に、身体の拘束が解ける。俺の隣に異常な長身の……キケレアーナが立っていた。およそ真夏に相応しくない暗黒のドレスを砂風に遊ばせながら、その一つ目で俺を見下ろしている。
――テスタロサは私の弟子でしたが、あの子はゲドルタに魅入られ過ぎました。
そういえば、キケレアーナもこんなことを言っていた。
「この魔力の気配は……キケレアーナ……!?」
キケレアーナに視線を向けられたジムレグの眼窩が丸く開いた。明らかに狼狽している様子だった。
「いや、しかし」
『何を驚くのです、ジムレグ。私はまだ死んではいませんよ』
キケレアーナはジムレグやテスタロサの前の世代の王室魔法術師長だ。年齢的にも地位的にも、ジムレグよりも上のはずだ。
『力ある者が世界を導かねばならぬとあなたは言いましたね。ならばあなたは、あなた以上の力を持つ者が介入してきたら、はいそうですかと野に降ることができる、という覚悟を持っていると理解しても良いですか』
強い言葉だった。そしてそれはやはり、圧倒的強者の言葉だった。
『あなたとテスタロサが何かを企んでいたのは知っていました。しかし、あの時、私にはあなた方を止められなかった。あなたたちの身勝手な戦いによる、王国への被害を食い止めるので精いっぱいだったからです』
おもむろにキケレアーナの右手が上がり、その人差し指がツイと黒いヒトガタを示した。その途端、それは弾けて消えた。曲刀をカランと落として。




