11-01. 殺戮の理由
その夜はとても眠る気になどなれなかった。
明け方ごろから見回ってはみたが、グレンダルの城壁の内側はほとんど消し炭だった。夏とはいえまだ朝早いというのに、空気が異常に熱い。
あちこちに人間だったものが倒れていた。共通しているのは、全員が頭を割られていることだ。老若男女問わず、だ。むごたらしすぎる光景に晒され続けたためか、俺の心はもう動かなかった。ただ祈るのみだ。次は良い人生を、と。
燃えた物体たちが残した臭いにもすぐに慣れた。焼け死んだ犬をカラスたちが啄んでいる。どこを見てもカラスだらけだった。近隣のカラスたちがごちそうにありつこうと示し合わせてやってきたかのようだ。ただ、そのカラスたちの何羽かも死体となって転がっているのが見えた――俺のせいだろうか。
「ベス、大丈夫?」
「大丈夫なわけないでしょ、馬鹿なの?」
ベスは左手で口元を押さえながら、右手の槍・ラグリスを杖にして歩いている。彼女の巨大な荷物もこっちで持とうかと提案してみたが、頑として受け入れられなかった。鞄の一つにぶら下げられた彼女の呪具でもある人形が、無機的な表情で揺れていた。
「生存者はいないな」
先頭を歩いていたヤミが諦めたように呟いた。路地裏まで見たわけではないが、それでもヤミがそう宣言したのは正午を過ぎた頃だった。嫌味なほどにギラギラと照り付ける太陽によって、俺たちは黙っていても発汗を余儀なくされている。
そして転がる死体たちは、この熱気を受けて早くも腐敗し始めていた。
「あーっ、もうっ! 溺れるくらいの水浴びをしたい!」
鬱々とした気分を吹き払おうとでもするかのように、ベスが叫んだ。カラスの数羽が驚いて飛んだ。
焼け落ちた無人の関所を通り抜け、キレーネ男爵領に入る。途中クラッドノウトの襲撃を警戒したが、何も起こらなかった。クラッドノウトとジムレグは今、何をしているのだろう。ハプトはどう出てくるのだろう。キケレアーナはどこで何を企んでいる? ヴァレスは……。
いろいろなことが、ぐるぐると頭の中を巡って止まらない。
そもそも俺は何故親を殺されなければならなかった? ベスだって、どうしてこんなことに。
なまじ何も起こらない時間が長かったから、俺は決して生産的ではない思考に没頭してしまう。夕方を過ぎ、夜になる。ハプトの力なのか、それとも霊話石の破壊による魔力暴走の影響なのかはわからないが、草の一本でさえ魔物化している恐れがあった。少なくともこの大深淵の近くでは。
いくらかの魔物化した昆虫や植物を撃退して、俺たちは街道をひたすらに進む。
野営を経た翌日の昼過ぎに、俺たちは小さな宿場町に到着した。いや、正確には、宿場町だった場所に、だ。
「これは、人間の仕業……だね」
倒れている若い男たちの傷を見て、ヤミは断言した。俺はしゃがみ込んでその傷を見る。
「剣ですね、これ。しかもかなり鋭利な」
「間違いないね。そんじょそこらの盗賊が持てるような代物じゃない」
俺も同意だった。どの被害者もみな一刀のもとに殺されている。胴体がほとんど切断されているものすらあった。一部には獣にやられたような死体もあったが、ほとんどの死因は刀傷だ。
「ベス」
「はい、師匠」
ベスは手早く羊皮紙を広げ、コインを落とした。
「……止まらない」
コインは紙の中心をぐるぐる回り続け、一向に停止する気配がなかった。ヤミの横顔に見える表情が急速に鋭くなっていく。
「これは」
「アタシたちへの挑戦じゃないかねぇ」
のんびりした口調とは裏腹に、その氷の視線は血の聖槍の穂先の如しだった。
「事件が起きたのは今日になってからだ。死体がまだ新しい」
「確かに」
「レア、あんた地味にすごいわね。この状況で何冷静になってんのよ」
至極まっとうなツッコミを受けて、俺は少し考える。
「心が動かないんだよ、なんか」
もともとこういう性分だった……のかもしれない。今となってはわからない。あるいは両親が突然殺されて、そこで俺の心は凍り付いてしまったのかもしれない。
「ふ、ふぅん。そ、そうなの。まぁ、うん、いいけど」
ベスは口元に手をやりながら強気な声を出した。俺は止まらないコインからベスへと視線を移す。
「それよりベスはどうなの」
「なんか、そうね……」
回り続けるコインを掴み取り、ベスはそれを親指で真上に弾く。
「裏」
落下前に呟いたベスの手元を見ていると、確かに裏が出ていた。
「偶然?」
「必然よ。ここのところ六回連続で表だったもの」
「七回目の表だってあるじゃない」
「その時はハズレるだけ。試行を重ねれば、確率は収束するのよ」
「へぇ、物知りだ」
「馬鹿にしてんの?」
「いや、そういうわけじゃない」
慌てて弁解する俺たちを見て、ヤミが溜息を吐く。珍しくその髪を後ろで束ねていた。暑いのだという。
「こんな死体の真ん中で、よくもそんな夫婦漫才ができるねぇ」
「夫婦……」
「師匠、そんなんじゃありません!」
ムキになって否定するベス。俺は立ち上がると、周囲を見回した。
「ちょっと俺、ざっと見てきます。生存者がいるかもしれない」
ベスの探知呪法が阻害されたということは、逆に言えば、見つけられては困るものがあるということだ。
「ちょっと待って、私も行く」
「アタシはここで荷物を見てるよ」
ヤミが億劫そうに言って、水袋の水を飲んだ。
「ふぅ、生き返る」
そんなヤミの呟きを聞きながら、俺はベスと連れだって歩き始めた。
人の気配はない。ひっそりと静まり返った小さな町は、確かに死んでいた。犬や猫、あるいは鼠の姿はいくらかあったが、彼らはまるで何事もなかったかのようにうろついて、消えていった。
どこを見ても死体だらけだ。赤ん坊を抱えた母親も、もろともに斬られていた。
「どうしてこんなことするんだろう」
俺が呟くと、ベスは「誰がやった、じゃないんだね」と返してきた。
「俺は理由が知りたいんだよ。父さんと母さんを殺した奴が、なぜそうしたのか聞きたい。ただそれだけのために旅をしているんだ」
「初耳」
「言ってなかったから」
「どうして? 理由なんて聞いたって被害者は生き返らないじゃない。理由を聞いたら納得して、赦すことができるの?」
「たぶん――」
俺は一瞬迷ってから答えた。
「できない」
俺の父さんも母さんも、殺されていい理由なんてなかったはずだ。父さんは何か知っていたようだけど、それでも死んでいい理由なんてなかった。
「赦せないとわかってるのに、加害者の言い分を聞くっていうの? 無駄じゃない?」
「ベスは? 君もご両親を殺されているんだろう?」
俺の問いかけに、ベスは数歩歩みを進め、ぽつりと答えた。
「――一族皆殺しよ、私以外ね」
「だったらなぜそうなったか理由を知りたいだろ?」
「別に」
ベスは槍の柄で自分の肩を叩きながら首を振る。
「私はあんなことをしてくれた人間を赦さない。五年間、その日を夢見て生きてきたのよ、私」
「初耳」
「言ってなかったもの」
俺はベスの整った横顔を見た。そのまま二歩ほど歩くと、顔を向けてきたベスと目が合った。
「何よ」
「いや、別に」
カァ――頭上でカラスが鳴いた。
しまった……!
話に夢中ですっかり油断していた。
俺たちは完全に取り囲まれていた。
黒一色のヒトガタたちに――。




