10-06. 逃走
恐るべき速度でハプトが飛来する。
「おお、怖い怖い」
ヴァレスはおどけて言いながら、マリアとペルミナを呼び寄せた。黒い軍服姿の二人はすぐにヴァレスの前にやってきた。
マリアはすらりと背が高く、黒い髪に……オパールのようにジワリと色の変わる輝く瞳を有していた。本当に、文字通りに輝いている。紫に塗られた唇と相まって、この世ならざる存在かと思わせられる。
ペルミナはというと、姿が安定しない。常に何か視界に邪魔が入る。身長はベスと同程度で決して高くはない。だが、顔が全く見えない。ノイズのためだけではない。顔のあるべき場所が黒く塗りつぶされているようにも見えた。
「彼女らは強すぎる魔力を持って生まれた子たちさ。僕が後見人になって聖庁異端審問局から引き取った」
『何を悠長に!』
舞い上がったハプトがヴァレスに向かって斬り込んできた。ヴァレスは右手を突き出してその一撃を止める。衝撃波が俺たちを襲い、ヴァレスと二人の魔法術師以外は地面を転がる羽目になった。
「ヴァレス、この野郎」
砂を吐きながら悪態をつくヤミ。俺も同じ気持ちだ。
しかしヴァレスは涼しい顔で言う。
「温存結構」
「ちっ、いけ好かない奴だよ」
『私を、無視するとは! 舐められたものです! 魔法術師ごときが!』
「ああ、そうですね」
ヴァレスが右手を振るうと、衝撃波が光となってハプトを吹き飛ばした。
「あなたは私の仇である以前に、王国にとって危険な存在。王室魔法術師長として、あなたを討伐しなくてはならないんですよね」
『私に勝った気でいるんですか、この程度で?』
「滅相もない」
ヴァレスはとぼけたように応じた。ハプトが瞬き一つの間に距離を詰めた。その右手の長剣がヴァレスの首を薙いだ。
――ように見えた。
だが、その剣は瞬間的に割り込んだペルミナが、どこから取り出したのか、巨大な両手剣で弾いていた。
『!?』
「荊の牢獄」
マリアがハプトに左手を突き出していた。地面から棘の生えた金属的な何かが伸び、ハプトを雁字搦めに縛り上げた。
『小癪!』
鉄の荊の束縛が千切られた。ハプトが次に襲い掛かったのは――。
「先生!」
「師匠!」
俺とベスの声が重なる。完全に無防備に見えたのだろう。ハプトの剛剣がヤミの頭を叩き割ろうと振り下ろされる。
金属と金属がぶつかる音が聞こえた。ヤミの疾風迅雷の一撃が、ハプトの剣の軌道を変えていた。ハプトの一撃は、ほんのわずかにヤミの左腕を掠るに終わる。
直後、ヤミの位置が変わっていた。ハプトの背中側に出るなり、カチンと刀を収めた。かと思ったら、また抜いた。流れるような、電光石火の居合術。それはハプトの翼を一枚もぎ取っていた。
『馬鹿な、私の術が』
「千年前には、解願師は――いなかったかねぇ?」
ヤミはまた刀を収めた。
「あんたの幻惑の魔法術、それが命取りさ。術は呪い、そして、願いだ。解願師のアタシは、願いを解くことができる」
ヤミが抜刀する。残っていた翼が三枚まとめて落ちた。
『おのれ、小癪な人間風情……いや、違う。違いますね……その血の臭い』
ハプトはヤミの左肩を剣で指し示した。一筋の血の道ができている。
――王族は魔導大戦にてこの世界に現れた、人間そっくりの魔物から始まっているのです。
キケレアーナの言葉を思い出す。そして、ヤミはその血を引いている。
『ふふふ、いいでしょう。我が血族との縁に免じて、今回は見逃してあげることにします』
ハプトはそう言うと、崩れ落ちた。
「!?」
俺は慌てて駆け寄ったが、そこには空洞の甲冑が落ちているだけだった。
「逃げ足の速い!」
あのままなら勝利していたのはこっちだった。いや、もう勝っていたじゃないか。だが、ヤミは言った。
「いや、あれでいい」
「しかし!」
「余裕のある戦いに見えたか?」
「そ、そりゃぁ、先生が圧倒していて。魔法術師三人も強くて」
「甘いな」
ヤミはそう言ってヴァレスを睨んだ。
「こいつらも半ば奴とグルだ。アタシの力を見極めようという算段で出張ってきたのだろうさ」
「おやおや、手厳しいご意見ですねぇ。そんなつもりありませんよ。あのような巨悪を放置することは罷りならぬというジェミニア女王陛下の御意向――」
そこまで言った段階で、ヤミの刀の切っ先がヴァレスの喉仏すれすれまで伸びていた。
「くだらない言い訳のために、ジェミニアの名をその口に出すな!」
「おお、怖い怖い」
ヴァレスは素手でその刀を掴むと、ゆっくりとヤミに向けて押しやった。どういうわけか手には怪我はない。
俺は違和感を覚える。
「なぜこんなに早く、ハプトが暴れていることを知ったんですか」
「それだ、レア」
ヤミが俺を見る。氷の視線が痛いほどだ。その時、ペルミナがスタスタと俺の前に歩いてきた。
「詮索は、寿命を、縮める」
暗黒の顔面。目も鼻も口もない彼女が、喋って、俺を見上げていた。
「死にたく、なければ、ヴァレス様に、従え」
「死にたくはないけど、俺はわけのわからないことにそのまま流されたりしない」
家を失った日。何もできなかった自分。選ぶことすら許されなかったあの日。
思えばあの日を境に、ヤミと出会ったあの日を境に、俺は変わった気がする。
だが、未だに父さんと母さんを殺された実感がない。
もういないということを理解できていない。
――だからこそ、従えと言われて「はい、そうですね」とは言えない。言いたくない。
「まぁいいですよ、ペルミナ、マリアも。ここでヤミたちと事を構えるのは、どう考えても賢くありませんから。ジェスガルディア要塞、ガラーティア要塞の霊話石が壊されたことの影響調査が先です。何、ヤミならきっとわかってくれますよ。我々にはジェミニア女王陛下がいらっしゃいますからね」
「貴様ッ!」
ヤミの刀が今度こそヴァレスの首を刎ね飛ばした……と、確かに俺はそう思って一瞬目を瞑ってしまった。だが、ヴァレスは夜の中に消えていた。後を追うように、マリアとペルミナも姿を消した。
『ああ、槍はしばらくお貸ししますよ』
虚空から、ヴァレスの声が落ちてきた――。




