10-04. 魔神の目論見
数度の攻撃の後、ハプトの攻撃の手が不意に緩んだ。
『そういえばいましたね。未来を読み、私の戦略、戦術の尽くを回避した人間が、かつて。ゲイネス、と言いましたか』
それは俺の先祖の名前だ。俺は勇者ゲイネスの力を間違いなく受け継いでいる――魔神の言葉に勇気をもらうというのも癪だったが、それは確かな事実だ。ゲミトルードを握る両手に力が漲ってくる。
ハプトからの熾烈な攻撃が再開される。その狙いは俺だ。俺の見ている未来では、ベスはちゃんと生きている。俺は身を翻すとグレンダルの避難民の亡骸たちの只中に飛び込んだ。
「レア!?」
奇行に見えたのだろう。ベスの声が裏返っている。だが今は構ってはいられない。
俺には奴が見えていた。人々の凄惨な亡骸の中心にいる奴が。
不可視の能力を使っているのだろう。肉眼では見えない。だが、攻撃の軌道が全てそこを中心にして発生している。
「先生! 援護を!」
「偉くなったもんだねぇ」
ヤミが鳴らしたであろう「パチン」という音が熱された夜の空気を渡ってくる。
『……っ!?』
姿を見せるハプト。それは巨大な頭部だった。さっきから襲ってきている管は、ハプトの髪の毛なのだとわかった。無数の髪の管の前には、確かに兵士が何人いようが一瞬で倒されてしまうだろう。ハプトは巨大な口を真っ赤に汚して、被害者の内臓を啜っていた。手も足もないが、その髪の毛がその代わりなのだろう。
ハプトの姿は、一言で言って醜悪だった。顔面の形は、間違いなく赤子のものだった。赤子が乳を吸うかのように、死体から内臓を啜り出していた。
『私の姿隠しを解くとは。あなたは何者ですか……?』
「爆炎の魔女の娘だよ」
『爆炎の魔女!』
ヤミが答えると、ハプトはにわかに活気づいた。
『私の封印を解くきっかけとなった魔法術師! 千年ぶりに見た太陽、人間の肉の味、絶望の悲鳴、全てが実に至高でしたよ。それで、その魔女は息災ですか』
「魔神に気遣われるとは、罪な母親だ。残念ながら、あんたの封印が解けた後の戦いで死んだよ」
『おぉ、それは残念なこと。直接、御礼申し上げたいところでした』
ハプトの赤子の顔がとってつけたように歪んだ。
『さて』
ハプトの声が急激に温度を下げる。
ヤミがほんの少し右足を引いたのが見えた。ベスが俺の隣にやってくる。その表情はこわばっているが、恐れているわけではないと見た。
「ベス、君は何も考えずに突撃して」
「え?」
「何も考えたらダメだ。とにかく奴の額を貫くことだけを考えて。君への攻撃は俺が絶対に防ぐ」
「信用して良いんでしょうね」
「失敗したら死んでもいい」
「失敗したら私も死ぬじゃない」
ベスは掠れた声で応じてきたが、その表情はほんの少し柔らかくなった。無意識に噛み締めていた奥歯が解放されたかのように。
「わかった」
ベスは頷いた。そして、言った。
「信じる」
目の前でハプトの姿が消える。
パチン――ヤミがその術を解いた。「見えなくなるように」という願を解いたのだ。
姿を現したハプトに向けて、俺とベスが吶喊する。俺たちに向かって何十もの管が伸びてきた。全てを回避するのは不可能だ。俺は食らってはいけない攻撃だけを回避できればいい。それにそれよりも、ベスの勢いを殺させないために、ベスへの攻撃は全て止めることの方が重要だ。
またハプトの姿が消える。ヤミが指を鳴らす――ハプトの姿が引き摺り出される。
『っ! ……小癪な!』
「どっちが!」
管を弾き返し、俺はベスのための道を開く。ベスが跳躍する。防御を捨てた一撃だ。俺が守ればいい。
「どぉらぁぁぁぁ!」
ベスの裂帛の気合が響き渡る。槍はハプトの眉間を確実に貫いていた。
「ベス!」
俺はベスを抱きかかえて後ろに跳んだ。地面には酷い有様の死体が何十と転がっていて、文字通り血と内臓の海だった。ここには錆びた鉄の臭いと、生肉の噎せ返るような温度と湿度が共存していた。一瞬胃から何かが込み上げてきたが、俺はそれを飲み下した。喉の奥がヒリヒリした。
その直後、閃光が夜を駆逐した。俺たちの背中を熱いものが通過していった。伏せていなかったらどこまでも吹き飛ばされていたに違いない。
「先生は!?」
「無事だよ」
顔を上げると、ヤミは変わらず腕を組んで立っていた。その白髪がハプトから迸り出でる輝きを受けて黄金色に変じている。
「それよりレア、あんたどうするんだい。こいつに本気出させちゃってさ」
「本気……」
ハプトを振り返ると、そこには巨大な花が咲いていた。大人が五人手を繋いでようやく囲めるくらいの巨大さだ。
「食人花を模しているみたいだね」
ヤミの声は冷静だ。食人花の話は聞いたことがある。ハーワール帝国に自生していると言われる巨大な無根花だ。
『あの身体も気に入っていたのですけれどねぇ。さて、では、あなたたちには死んでもらいましょう。いい加減、目障りです。私はまだまだ殺し足りていない。絶望が足りない!』
「ゲドルタの破壊に飽き足らず、か。あんたは人間なんかよりよっぽど呪に塗れているねぇ」
ヤミが俺の隣まで歩いてくる。俺とベスは立ち上がる。が、ベスはもう丸腰だ。槍の回収は叶わないだろう。
「……いや、あるいは」
ヤミは刀の柄に手をかけた体勢で固まる。
「ゲドルタの破壊のための対価を集めている……?」
その声はおそらくベスには届いていない。ベスより近い位置にいる俺にも、辛うじて聞こえたくらいだったからだ。
ヤミの推測が正しいのだとすれば、これ以上殺人を犯させるわけにはいかない。
しかし、ヤミは――。
ゲドルタの破壊がおそらくは共通目標である以上、ヤミは……。
「はん、馬鹿なことを考えてるんじゃないよ、レア」
すべてを見通して、ヤミが言った。
「アタシの願いは、アタシのものだ。誰にも解かせやしないさ」
「師匠の願い?」
ベスが醜悪な花を睨みつつ言った。
「いずれあんたにも話してやるさ」
「私、にも? レア、あんたなんか知ってるの?」
つくづく聡い女の子だと思った。ヤミもあんな言い方しなくていいのに。
『さぁ、遺言の時間は終わりましたか?』
花が強い口調で尋ねてくる。
『それでは絶望の中で、苦しみながら死んでいってもらいましょうか』
花がさらに巨大化した。肉厚な花弁一枚一枚が大人三人分ほどの大きさを持ち、高さも小さな家を凌ぐほどになる。
あまりの巨大さと、意識が持っていかれそうになるほどの甘い臭いにやられ、そして攻撃の糸口も見つけられず、俺たちは茫然と立っている。
その時――。
溶ける。
すべてが溶けていた。俺も、ベスも、ヤミも、腐食性の液体にやられて溶けていた。あっという間に皮膚が落ち、肉が崩れ、骨が露出する。熱さが痛みに変わり、そして意識が――……。
「みんな、ここから離れて!」
我に返った俺は、必死で声を張った。
花の根元が膨れ、中央が膨れ、そして花弁の中央から大量の液体が噴き出した。




