10-02. 砂の騎士と絡繰り人形
道中の空気は明らかに変わっていた。植物は自らの意志を持って動き始め、昆虫は巨大化して攻撃性は増していた。野生動物の類は見なかったが、それでも何らかの変調はあっただろう。
そしてジェスガルディア要塞への途上で立ち寄った集落もまた、壊滅していた。被害者のほとんどは内臓を貪られ、正視に堪えない有り様だった。そしてまた、多くの頭部は割られており、まるで脳髄を啜られでもしたかのようだった。この世の地獄――俺たちは早くもそれを体験してしまった。
俺は思考を停止して、真夏の死臭の中で嘔吐するベスの背中をさすっていた。ベスの症状があまりにもひどかったものだから、俺は自分の吐き気をすっかり忘れてしまっていた。――冷静にそんな風に考えられる程度には。
「一瞬でやられたみたいだね。誰も逃げ出そうとした形跡がない」
ヤミはもっと冷静だった。腐敗臭すらしている村を一人で回り、生存者の捜索を行っていたのだ。
「はやく、グレンダルに戻らないと……」
ベスが涙を流しながら、譫言のように呟いた。俺は無言でその背を軽く何度か叩いた。
「ベス、槍を見つけた。ないよりマシだろう」
ベスの前に仁王立ちしたまま、ヤミはその手にした長槍を差し出した。手入れされているとは言い難いその槍は、いかにも頼りない。
ベスはそれを震える手で受け取ると、ガクガクと震えながらも自力で立ち上がった。俺もそれを追って隣に並ぶ。ベスは槍を杖代わりにして、何とか自立している。
「ありがとうござ、います……師匠」
そしてまた左手で口元を押さえた。が、今度は吐くことはなかった。
ヤミは俺の左腕を捕まえると、耳元に唇を寄せてきて、囁いた。
「これが、ゲドルタの一面だ」
「ゲドルタの……」
「あれは全ての災厄の根源なのさ」
その声は、どこか禍々しい響きを帯びていた。
「アタシの願いはね、レア。全ての魔法術と呪術の終焉なのさ」
「えっ……」
「ゲドルタさえなくなれば、人は人を呪えなくなる。そして、この世の理を歪める魔法術も失われる」
ヤミの青い視線は、俺を鋭く冷たく突き刺していた。そこには敵意すら感じられる。俺は身動きもできずに、ただ何度か唾を飲み下した。
「さて」
ヤミは、青い顔でこちらを見ているベスに気付いたのか、少し高めの声を響かせた。
「グレンダルに向かおう。補給を無視して三日で行くよ。強行軍になる。覚悟をしておきな」
ヤミはベスに一言も優しい言葉をかけなかった。地獄でのたうち苦しむベスを、むしろ冷たい視線で眺めていた。それはもしかしたらヤミなりの気遣いだったのかもしれないが、俺には理解できなかった。だから俺はベスのそばにいることに決めた。
そこから先も地獄は続いた。昆虫や動き始めた植物に間断なく襲われた。そしてグレンダルまであと一日というところで、おそらくは音信が途絶したジェスガルディア要塞に向かおうとしていたと思しき騎士隊が、先の集落と同じように倒されていた。
そこではベスはもう吐かなかった。感情を失った目で周囲を見回すと、流れるような動作で騎士の死体のそばにしゃがみ込み、握り締められたままの長槍を奪い取った。俺は投げ捨てられたそれまでの槍を拾うと、その騎士の手に握らせてやった。
「ありがたく使わせてもらいます」
ガランと開いた頭蓋骨。凄惨すぎるその亡骸にも、俺の心は動かなかった。ただ、無念だっただろうな、という漠然とした気持ちが少しだけ湧いただけだ。
霊話石の破壊なんてさせなければ、こんなことにはならなかった。
そう言うのは簡単だ。だが、現実問題として、それはできなかったのだ。それを悔いたところで何の足しになるかと考えてしまう。これからできることを考えるほかに、何もできないのだ。だから、せめて、一人でも多く救わなければならないと。
「二人とも、警戒しな。魔力が濃くなってきた」
頭の中でバシッと音が鳴った気がした。
その途端――。
騎士の亡骸たちが立ち上がった。それらの空虚だった腹腔や頭蓋は、いつの間にか砂に満たされていた。何十もの屍の騎士が襲い掛かってくる――。
「クラッドノウトです!」
「それなら、やりようはある」
ヤミは続々と立ち上がり始めた屍たちを見回す。完全に周囲を囲まれている。逃げられるルートはない。
「クラッドノウトの願を解く」
「で、でも、相手は……」
「死体はまだ新しい。生きていた頃の願あるいは呪がまだ満ちている。それらを踏み台にしてクラッドノウトを直接叩く」
「そんなことが……?」
「できないことは言わないさ」
ヤミは包囲網を狭めてきた屍の騎士たちに向かって指を鳴らした。
顔を苦悶に歪めて迫ってきていた騎士たちの数体が、膝から崩れ落ちた。手にしていた武器が、乾いた音を立てて石畳に転がった。頭蓋内から人一人分ほどの砂を噴き出した。
「ベス、レア。騎士たちを足止め! さっさと片付ける」
俺はベスを見る。ベスは昏い目をしたまま、ゆっくりと頷いた。そして、噛み締めるようにして言った。
「彼らをこれ以上冒涜させるわけにはいかないよね」
「うん」
俺はゲミトルードを構えなおす。残りの騎士の数はざっと二十。正面から相手取るわけにはいかない数だ。
「師匠、お願いします」
ベスの方が先に動いた。手に入れたばかりの槍で向かってきた三体をまとめて吹き飛ばす。その瞬間に、ヤミが指をパチンと鳴らした。直後、その三体は砂を噴出して倒れた。
直後、ヤミはヤミで居合抜きからの解願を決めていた。
俺は後ろから囲んでくる騎士たちに対する囮だ。撃破はヤミとベスに任せる。俺は二人の背中を守れれば、それでよかった。
俺には魔力の糸がちらちらと見えてきていた。それを断ち切ればクラッドノウトの魔力を遮断できるのはわかっている。だけど――。
ヤミを窺うと視線が合った。ヤミは俺を振り返っていた。そして口角を上げて頷いた。「好きにしろ」――ヤミはそう言った。声は届かなかったが、絶対にそう言ったという確信があった。
クラッドノウトの襲撃は、その後十数分の攻防で終わりを迎えた。
俺たちはそれぞれに肩で息をしていたが、まだ警戒は解かない。クラッドノウトの気配が粘っこく張り付いていたからだ。
「どう出てくるかな……?」
ベスが呟いた。しかし、そこに感情は籠っていない。まるで次の命令を待っている精巧な絡繰り人形のようだった。
俺はベスの肩に軽く手を置いてから、ヤミに提案した。
「先生、先を急ぎましょう。このままいけば、日暮れ前にはグレンダルに着けます」
「あそこまで休みなしで走れってのかい」
うんざりした様子のヤミに、俺は言い募る。
「野営している時間はありませんから」
「でもさ、ここでクラッドノウトを仕留めないと、グレンダルは更なる地獄になるよ、レア」
「それでも――レイミたちの救援が優先です」
俺が強めに言うと、ヤミはやや不服そうな表情を見せた。だが、ベスの方を見て、「しょうがないねぇ」と言いつつ肩を竦めた。
「確かに一秒を争う状況かもしれない。まだ、ね。だとしたらここでもたつくのはよくないね」
「ありがとうございます、先生」
「行きましょう、師匠、レア」
何食わぬ顔で荷物を背負ってスタスタと歩き始めるベス。俺たちは半ば駆け足でその後を追った。




