09-01. キケレアーナとの対話
ヤミが「ついでにあんたも少し寝ておきな」と言ってくれたので、干し肉を齧っているヤミの隣で俺は眠った。雲間から差し込んでくる陽光は目に鋭かったが、疲労がそれを上回っていた。
ぼんやりとした意識の中に、二人の人影が現れた。
クラッドノウトとジムレグだ。
二人の声は聞こえなかったが、クラッドノウトは縮こまり、ジムレグは尊大な様子だった。ジムレグの眼球のない両目が、クラッドノウトを見下ろしていた。
恐ろしい存在だということは疑いようもない。あのクラッドノウトすら手足のように扱ってしまうジムレグは、とても敵に回せる存在ではないはずだった。だが、俺たちにはヤミがいる。爆炎の魔女の力を全て継承しているはずの解願師だ。
その時、女の声が響いた。
「愚かな道化だとは思いませんか」
突然かけられた言葉に、俺は身を固くした。ぼんやりしていた意識が急に鮮明になる。
その言葉は――聞き覚えのあるものだった。
メディオラ、いや、キケレアーナのものだ。
「ゲドルタに固執し、ゲドルタを利用し、そしてゲドルタに利用される。ただそれだけの卑小な存在。それでいて、自らを偉大な呪術師だと誤謬し、力を振るい、より矮小な者たちを従え、身の丈にそぐわない野心を抱く」
俺は左隣に現れた気配を見る。異常に背の高い、しかし細身の女性だった。その紫の長い髪は金色に輝いている。見上げると、目が合った。その顔面の唯一の造形物である眼球と、だ。
「預言者キケレアーナ……」
「お見知りおきを。オルレアス・ヒューケイア君」
「俺のことを……」
「もちろん知っていますよ。解願師のことも、ファイヴァルレドの鍵となる娘のことも」
敵意はないようだった。しかし、俺のこの夢に干渉できるなんて、一体……。
「何も驚くことはありませんよ、オルレアス。私もまた、ヒューケイアの血を受け継いだ者です。傍系ですし、あなたとはだいぶ遠いけれど。私の本当の名は、メディオラ・ヒューケイア・パーツィガルフ。キケレアーナはいわゆる偽名ですね」
「呪術師にとって名前は重要だと聞きましたが。良いんですか、俺にそれを伝えて」
「構いません」
キケレアーナは淡々と言った。顔から表情を読み取ることができない。
「私にとって名前自体、存在固定の意味を持たないものだからです」
「存在固定……?」
「人は何かに依存して生きています。身体であったり、名前であったり、思想であったり、他人であったり。しかし私はそれを全て捨て去りました。目的のためだけに、私はこうして存在を続けています」
「あなたが死んだ記録がないとも聞きました」
俺は喉の奥がカラカラになっているのを感じながら、それでも訊いてみた。
「そうでしょうね。私は死んでいませんからね」
「なぜ、こんな姿に」
「世界を救うためです」
「世界を、救う?」
思わぬ言葉に、俺は思わず訊き返した。キケレアーナは頷いた。
「あのような輩から、そしてまた、あるいは、あなたのそばにいる解願師の娘から――この世界を守らなくてはなりません」
「ヤ、ヤミからも?」
「あの娘の本当の狙いは私にもわかりません。しかし、テスタロサの力を受け継いだあの娘は、いずれ世界に仇を為す存在となるでしょう」
爆炎の魔女の血を受け継いだことが悪のようなことを言う。
「そんなことは――」
「あるのです」
俺の言葉はあっさりと遮られる。
「テスタロサは私の弟子でしたが、あの子はゲドルタに魅入られ過ぎました。彼女もまた、生死不明なのはご存知でしたか、オルレアス?」
「い、いえ……」
力の全てを幼いヤミに託して死んだという話だと思っていたのだが。
「この世界は大切なことを隠します」
キケレアーナは抑揚もなく告げる。
「私は力ある者。そしてそれゆえに、この世界を変えようと――いえ、破壊しようとする者たちの蛮行を止める義務があるのです」
「蛮行……」
「ええ、蛮行です」
一つ目の魔女は頷く。そしてなおも会話を続けているジムレグとクラッドノウトを眺める。俺もその視線を追った。
「ジムレグは私の優秀な弟弟子でしたが、所詮は力に飲まれた俗物。テスタロサは私の一番弟子でしたが、それゆえにゲドルタに侵されてしまいました。結果起きたのが、ジェイルムド魔導大戦です。あの戦いで世界の羅針盤は大きく歪んでしまいました」
「で、でも、ベスはそんなことを望んではいない」
「それはそうでしょう。しかし残念ながら、世界はそう都合よく動いてはくれないものです」
キケレアーナは表情のない顔で俺を見下ろす。俺は拳を握りしめた。
「キケレアーナ、あなたはベスをどうするつもりですか」
「どうにもしませんよ」
「え?」
「私はあの娘に、平穏無事のうちに年老いて死んでいって欲しいと願っています」
予想もしなかった言葉に、俺は次の言葉を見失う。
「私が興味を持っているのはあなたです。オルレアス・ヒューケイア。勇者の、ゲイネスの血をまっすぐに受け継いだ、あなたに」
「俺に、何をさせたいんだ」
「ふふ」
キケレアーナは声だけで笑うと、俺の右肩に手を置いた。
「世界の変革を止めて欲しいのですよ。――オルレアス、あなたのその力で」
「そんなことは」
「このまま座して見ていれば、必ず世界は滅びます」
「待てっ」
気配を薄れさせたキケレアーナを呼び止める。しかし、その姿は、すぐに完全に消えてしまった。
――ジェスガルディア要塞で待っていますよ、オルレアス。
「キケレアーナ……」
俺の視界がグラリと暗転した。




