08-02: 預言者の目
起きなさいよ、この寝坊助!
その声のおかげで俺の意識は現実に戻ってくることができた。
「はっ、はぁっ!」
「どどど、どーしたのよ、汗だくじゃない。手のひら濡れたじゃない!」
「ごめん、それより俺、何か言ってなかった?」
「何かって……?」
眠そうな顔で半眼になるベス。美人が台無しだ。
まだ空は暗いが、遠く東の地平線がほんのうっすらと白んでいた。
「ん? ……レア?」
俺が左手で額を拭っていると、ベスが変な声を出した。
「どうした?」
「その手首。あんたそんなタトゥー入れてたっけ?」
「へ?」
言われて見ると、確かに左手に変な痣があった。
痣? ……いや、違う! これは手の形だ!
「これは……」
「真打に会ったのかい」
寝ていたはずのヤミが寝転がったまま、頬杖をついて目を開けていた。
「魔力の香りがツンとしてね」
「師匠、どこまで敏感なんですか」
ベスが半ば呆れたように言った。ヤミは「よっ」と身体を起こすと胡坐をかき、俺に手招きした。
焚火を避けるように移動してヤミの前に座った俺は、そのまま左手首をヤミの前に出してみせた。ヤミはしばらく難しい顔をして手形の痣を検分していたが、やがて「ふむ」と鼻から息を吐いた。
「自称メディオラ、か。これは厄介な奴を引き当てた」
「厄介な奴?」
俺とベスの声が揃った。ヤミは頷いた。
「爆炎の魔女のことは知ってると思うけど、その前にも偉大な王室魔法術師がいた」
爆炎の魔女――テスタロサ。ヤミの母親にして、ヤミを今のヤミたらしめた人物だ。
「預言者キケレアーナ。テスタロサの前の筆頭王室魔法術師さ。つまり先々々代の王室魔法術師長だ」
「えっと」
眠気の吹っ飛んだ顔でベスが空を見上げるしぐさをした。
「その人の話を絵本で読んだことがあるわ」
「俺もある。だけどあれ、本当の話だったのかな」
ハーワール帝国から飛来した火を吐く飛竜に乗った騎士たちをわずかな手勢で撃退した、とか、ジェイルムド山脈から下りてきた王城よりも大きな魔物を一人で退治したとか。あまりに荒唐無稽な物語に、子ども心にもこれは作り話だと信じていた。
「アタシに与えられた記憶が、確かなら……」
ヤミはそう言ってからベスをちらりと見て、指を鳴らそうとした。が、俺はそれを止める。
「ベスにも知る権利があると思います」
「え、なに? 何の話?」
「はぁ。まぁ、いいけど」
ヤミはことのほか大袈裟な溜息をつき、星々に満ちた空を見上げた。夏の空は星が近い。
そしてヤミは自分の出自をゆっくりとした口調で語った。しかしベスはさほど驚いた様子はなく、時々頷きながら聞いていた。
「ベス、びっくりしないの?」
「しないわよ」
「な、なんで?」
「あのね、私は誰よりも師匠のことを見ているのよ。王族だのお母さんが爆炎の魔女だのって聞いても、納得感しかないわよ。ずっと思ってたの、どうして師匠は師匠なんだろうって」
ベスはそう言った。その言葉に、俺は何だか納得してしまう。そしてベスらしい、とも。ヤミを見ると、彼女はバツが悪そうな表情をして肩を竦めてから頭を振った。
「アタシもまったく、修行不足さ。ま、感謝は伝えとくよ、レア」
「ど、どうも」
女性陣の対応に、俺は少し挙動不審になってしまった。
「で、だ」
ヤミは真顔に戻って、また俺の左手を掴んだ。
「ここから漂ってくる魔力は、確かにアタシの記憶にある。正確には母さんの記憶だ」
「爆炎の魔女テスタロサの前任が、預言者キケレアーナ……。接点があったわけですね」
「あったもなにも、母さんの師匠がキケレアーナだ。王国史上最強とも言われる魔法術師さ」
ゾッとした。そんな人物とこれから事を構えるのか?
「いや、しかし先生。彼女はすでに人間ではなかったと思います」
俺は夢で見たその姿をできるだけ正確に説明した。ベスは自分の肩を抱いてひきつった表情を見せた。一方、ヤミは腕を組んで目を閉じ、眉根を寄せていた。
「キケレアーナの最期はどこにも記録されていない」
「死んでない……?」
「まだ生きているとするなら、ざっと七十過ぎ。まぁ、ありえなくはないね」
しかし、と、ヤミは続ける。
「アタシの母さんは、後の爆炎の魔女は、その後もしばらくキケレアーナの足跡を追っていた。つまり、生きていると確信していたってことだ」
ベスが尋ねた。
「なぜ姿を消したんでしょうか?」
「生きてやりたいことがあったんだろうさ。王室魔法術師の立場だったらできなかったことをね」
「預言者とジムレグの間に繋がりはあったんですか?」
「どの程度の関係かはわからないが、時期的に間違いなく接点はあった。ジムレグは母さんの先輩にして同僚みたいなものだったからね。年齢的にはキケレアーナに近いだろうね」
俺は二人のやり取りを聞きながら、腕を組んで考える。
「彼女が人間を捨ててまでやりたかったことって何だ。ハイザルク男爵と組んでやれることっていったい。ジェスガルディア要塞……対ジェイルムドの魔物戦線の最前線――」
「そしてジムレグとも繋がっている可能性があるねぇ」
「ええ」
俺が頷くと、今度はベスが難しい顔をしつつ、俺の左手首を窺った。そして右手の人差し指を立てつつ、情報を整理するように言った。
「そして解願師の師匠は王族の血を引いていて、私とレアは魔導大戦の勇者の末裔で、何やら変な力を持って生まれた。そして私たちが今ここにこうして一緒にいる」
これって偶然だと思う? と、ベスは視線で問いかけてくる。
俺は首を横に振った。ヤミは星が瞬く空を見上げてから言った。
「ベス、例の探し物の方角を調べるやつ、やってくれるかい」
「はい、師匠」
ベスが準備をしている間に、東の空が本格的に白み始めた。それに伴って、頭上の星々は半減していた。
「嘘、方角が……決まらない」
弾き出されたコインが止まらない。羊皮紙の中心に置かれたコインの周りを延々と回り続けている。
ベスを盗み見ると、明らかに怯えた表情をしていた。そんなベスの肩に、ヤミが手を置いた。
「なるほどね」
何がなるほどなんだ?
「レア、あんたのその左手首。その痣を通じて、奴はこっちを見ている」
「えっ……」
預言者キケレアーナが、俺たちを見ている!? 俺は左手首を凝視する。今にもあの巨大な眼球が浮かび上がってくるのではないかという気がした。
心臓が冷たく縮み上がるような、胃に熱い毒を流し込まれたような、不愉快な苦痛が俺を支配する。呼吸が苦しくなり、脂汗が滲んでくる。
「ちょ、ちょっと、大丈夫、レア」
ベスはくるくる回り続けるコインを強引に掴み取って回収してから、俺に水袋を渡してきた。だが、俺は震えていて受け取れない。頭だけは冷静だったが、身体がついてこないのだ。
「ええい、仕方ない」
ベスは袋の口を開けると、中の水を俺の頭にぶちまけた。水は温かったが、それでも俺の身体はようやく制御を取り戻した。
「ふ、ふぅ……はぁ……」
「大丈夫?」
「ありがとう、ベス。助かった」
俺は左手首を強く握り締め、三回ほど頭を強く振った。水滴が周囲に飛び散る。そのせいなのか、チリチリと燃えていた焚火がパチリと抗議の声を上げた。風向きが変わり、その煙が俺を直撃した。その時に感じた目の鋭い痛みが、俺の意識を完全に現実へと引き戻してくれた。
「さぁて」
ヤミが大きな欠伸をした。
「ちょっと早いけど、何か食べて出発するかねぇ」
「出発って……このままジェスガルディアに? レイミに頼んで護衛を増やしてもらっても」
「無駄だろうね。死人を増やすだけさ」
「でも俺たち三人で行ったって……」
俺が言うと、ヤミは「うーん」と唸った。
「キケレアーナと思しき異形があんたを夢で捕まえた。その場で対処もせず、その痣で監視するような素振りを見せてる。ということは、いきなりバッサリってことはないと思うよ」
それもそうかもしれない。でも、俺にはその次の手が思い描けない。
「でも――」
「ま、出たとこ勝負は今に始まったことじゃないよ。だろう?」
ヤミはさっそく干し肉を噛み千切りながら、ニヤリとした笑みと共に楽観的にそう言った。




