08-01: メディオラとハイザルク男爵
あれ? ここは何だ?
俺は記憶を手繰り寄せる。そうだ、焚火を囲んで食事をとった後、俺は最初に眠ったんだった。明け方の見張り番を仰せつかって。
とすると、ここは夢か。
この世界、この視界にも、もうだいぶ慣れた。問題は――。
「何が起きているか、だ」
この手の夢に無意味なものはない。必ず俺の助けになるはずだ。
辺り一面に紫とも青ともつかない色の霧が立ち込めている。空を見上げれば満月――。今日の月は、未だ満ちている途中だった。とすると、これは未来か?
足に何かが当たる。夜闇の中ではよく見えず、俺は屈みこんで、息を飲んだ。
それは腕だった。肩はない。
とするとこの鬱々とした錆臭い空気は、死臭……?
徐々に開示されてくる世界を、俺は注意深く観察する。
遠くに恐ろしく大きな建造物が見えた。あれがジェスガルディア要塞? その割に明かりもないし、人の気配も感じられない。
俺は今一度、膝をついて落ちている腕を調べた。まだ腐っていない。ということは、事が起きた直後だと考えられる。
すると突然、足元が石畳で舗装された。馬車がすれ違えるほどの幅のある道だ。道の両脇も草は奇麗に刈られており、要塞からは遥か遠くまで全て丸見えだ。周辺を含めてよく整備された要塞だ。ハイザルク男爵らが与えられたその役割をどれほど重視しているのかがうかがえる。
「魔物?」
要塞の周囲には兵士の死体が散在していた。それらはどれも原型を留めていない。簡単に言えば、まるで食い荒らされたかのようだ。
俺はその死体の間を縫って、要塞に近付く。本来閉まっているべき門が完全に開け放たれていた。
俺は姿を隠すこともなく、まっすぐにその巨大な門をくぐる。
「!?」
門の中に誰かいた。立派な身なりの中年の男と……異常に背の高い女だ。たぶん俺よりも頭二つ分は大きく、当然こんな長身の人物は見たことがなかった。そしてその髪の色――金色に輝く紫――が目を引いた。そして女は場にそぐわないドレスのようなものを身に纏っていた。それにより身体の曲線が惜しげもなく披露されている。だが、その肉体とドレスが醸し出す空気は、美しいというよりも、むしろ禍々しい。
「男爵」
背の高い女が中年の男に呼び掛けた。男――おそらくハイザルク男爵――は怪我こそなかったが、その表情には疲労がありありと浮かんでいた。だが、女の声には何の感情も感じられない。俺の角度からは女の顔は見えない。
「やはりジェスガルディア要塞は陥落したと見るべきです」
「そんな、馬鹿な」
愕然とした表情のハイザルク男爵と、その前にじっと立っている背の高い奇妙な髪色の女。
「我が大要塞は難攻不落。我がハイザルク家がこの地を与えられて三百余年、幾度となく魔物の襲撃を防いできた。それがこんな数日で陥落するなど! 兵士たちも歴戦の猛者だったのだぞ」
「現実をお認めください、男爵。要塞内、およびバルーサ施設内に生存者はおりませぬ」
断定されるその現実に、ハイザルク男爵は息を飲む。
「へ、兵士だけで千人いたのだぞ」
「その千人は誰も生きてはおりませぬ」
この背の高い女が、メディオラだろう。俺は回り込んでその顔を覗き見、絶句した。
顔がなかった。いや、正確には、その中央に巨大な目玉が一つあるだけだった。その目は何を見ている様子もなく、ただそこに存在していた。不気味の一言では表現できない。
「い、いったい、誰がこんなことを」
「ジムレグの手の者、でしょうね」
「ジムレグだと!?」
驚愕するハイザルク男爵。
「奴はもうジェイルムドにはおらんのではなかったか」
「ジムレグが今どこにいるかなど、わかりませぬ。問題は霊話石です」
霊話石――ヤミもその存在について言及していた。それが何なのかは知らないが。
「霊話石を奪われるなどあっては、我が男爵家は存亡の危機だ。ましてやジムレグに……」
「ご心配なく」
メディオラは笑った。表情なんて欠片もないその容姿だが、確かに笑った。
その瞬間、メディオラと目が合った。
「……ほう?」
やばい。
俺は咄嗟に逃げを打つ。
が、反転して逃げたはずなのに、俺の前にメディオラがいる。明らかに発見されていた。
「くっそ」
この夢から逃げ出さないと。どうしたら夢から覚められる。
メディオラの右手が、逃げようと方向を変えた俺の左手首を捕まえる。それはぞっとするほど冷たかった。手首から震えが上がってくる。
ヤミ! ベス!
俺は声にならない声で二人を呼んだ。




