07-01: 構って欲しい
ハルケンブローラの西にあるハイザルク男爵領最西端の城塞都市、グレンダル。そこの西門は関所になっている。また、町と繋がるように、ハイザルク男爵領の領地の境界線に長大な壁が建てられている。同じディーレニア王国内に、ここまで堅牢な壁が必要なんだろうかと、俺は思った。
「この国の貴族たちは今も水面下じゃ権謀術数に忙しいのさ。もっとも、ここの防備はそのためだけってわけじゃないんだけどさ」
一晩明けても、ヤミは不機嫌そうだった。宿の窓から見える城壁を眺めながら、ヤミは口を尖らせる。
「外道師たちが生き生きしている。それはなぜか」
「仕事があるから、ですか?」
「いい生徒だ、あんたは」
褒められたが、なんとなく嬉しくない。
俺たちが窓辺で話している間、ベスは買ってきた羊皮紙に方角を書き込むと、人形をそのわきに置いた。そして羊皮紙の中央に銅貨を置き、そこに真上から銀貨を落とした。銀貨はコロコロと転がり、羊皮紙から落ちたところで倒れた。示した方角は西北西だった。
「このまま街道沿いでよさそうだ。南とか言われたらゾッとするところだ」
「ここから真南と言えば、ジェイルムド山脈の霊峰ダルフシュペントを越えて、下手したらベルヌード大帝国の勢力範囲ですね」
確かにゾッとする。ダルフシュペント山は神の山とも言われていて、爆炎の魔女がジェイルムド魔導攻防戦において、ジムレグと対峙した激戦地の一つだ――とさっき聞いた。その時の戦いが元で、山の中腹がまるで垂直に切り立っており、徒歩では到底歩み入れない。また、あまりにも膨大な量の魔力の激突が起きたせいで、そこには魔物と呼ばれる化け物も多数出現したという。極寒の地でもあり、今の装備では侵入することすらできないだろう。
そしてその山脈を超えた場所に巨大な内海――ハレンブレット海――があるのだが、その海を渡った所がすぐに、長年領土問題で争いを続けているベルヌード大帝国の領土だ。ディーレニア王国の人間が踏み入れば、まず無事では済まされない。
「西北西ってことは、このままキレーネ男爵領の領地を横切る形か」
ヤミの頭の中には、正確な王国の地図が入っているのかもしれない。
「そっちって、王都の方ですか?」
「かなり遠いけどね」
ベスが言う。
「千年王国ディーレニア。魔導大戦の後に一面の荒野に建てられた小さな王国は、千年かけてここまで版図を広げたのよ。あんた、知ってた?」
「そ、そりゃ、もちろん。俺のご先祖様にも関わることだし」
「貴族として続いている勇者の末裔は全部で五家――あんたのところもカウントするとね」
俺のヒューケイア家、ベスのティラール伯爵家、ゲミア・ノードンの末裔ノードン子爵家、オベリアナ・モルフェアスのモルフェアス伯爵家、そして今も王国で最も力のある貴族として君臨しているユース・ヴィレオリアの末裔、バルツ・ヴィレオリア公爵。
俺が指折り挙げると、ベスは感心したように「へぇ」と声を上げた。そして占いの道具をしまい始める。
「あんたでもある程度の教養は身についているのね」
「あのね、ベス。魔導大戦のことなら誰だって知ってるでしょ」
「そうでもないわよ」
不満げなベス。俺は片づけを手伝いながら様子を窺う。すると、ベスと目が合った。
「ちょっ、近っ。顔が近い!」
ベスは目を見開いてそう言うと、俺の左頬を思い切り押した。――平手打ち未満の攻撃だった。
「あんたのそういう距離感が嫌いなのよ。あんた、好きな女の子とかいたことないでしょ」
「うん」
「うんってあんたね。だから下級貴族は嫌いなのよ」
なんか酷い言われようだと思ったが、反論はぐっと堪えておく。俺の父さんも母さんに小言を言われている時は、ほとんど沈黙を守る人だった。
ベスは目を細めて、鼻を鳴らし、パッパッと前髪を掻き分けた。
「さっきの話に戻すけど。王国で一番権威を持つのは王室だけど、事実上の最高権力者は西国の雄、ヴィレオリア公爵。それじゃ、二番目に権勢を誇るのは誰か知ってる?」
「ザルメラ女侯爵」
「ちっ、正解」
ザルメラ侯爵家の当主、ベルリタは、名ばかり侯爵家に成り下がっていた家をわずか数年の事業成功で復権させた女性だったはずだ。その噂を耳にしたのは五、六年前で、ベルリタはまだ若いと聞いていた。噂話と俺の記憶が本当なら、まだ三十代も前半といったところだろう。
対するバルツ・ヴィレオリア公爵は六十も過ぎ、そろそろ子息に家督を譲るのではないかと言われている。ヴィレオリア公爵家は、南のベルヌード大帝国を睨む内海沿岸の防衛も任されている。そのため強大な海軍を有していると言われている。また、西に広がる大鯨海を越えた貿易にも手を広げており、その保有資産は他の貴族全てを合算したものを超える、という噂もある。
……ということを補足してやったら、ベスはあからさまに不機嫌な顔になった。ヤミを窺うと「あーぁ」という表情を返してきた。
「そ、そこはっ! 知らないふりをして女の子に花を持たせるのが正解でしょうが!」
「男にだって見栄ってものがあるし!」
「見栄? そんなものに何の価値があるのよ!」
「そっちだって!」
俺たちは至近距離で声を張り合う。俺にだって意地もあるし矜持だってある。
「落ち着け、若人たち」
ヤミが苦笑混じりに言った。
「これで、正確な情報をお互いに有していることが確認できたってわけさ。この国は貴族社会だからねぇ。その情勢を把握しておくのは大切なことさ」
「でもぉ」
ベスはまだ不満顔だ。ヤミはそんなベスの金髪に左手で触れ、右手の指をパチンと鳴らした。
「あ?」
ベスはぽかんとした表情を浮かべた。
ヤミは俺にそっと囁いた。
「構って欲しいっていう頑を解いたのさ」
構って欲しい、か。
俺は内心でひとしきり唸ったのだった。




