05-02: 罪咎
たった一人残されたスレッガだったが、彼はまだ戦意を失ってはいなかった。長剣を構え、襲い来るベスを迎撃した。振り撒かれる鮮血を回避しつつ、ベスの槍を躱し続けた。
スレッガは実は相当な手練れだった――その事実に、俺の背筋が凍る。奴はずっと、その能力を隠していたのだ。
「先生、ベスを」
「必要ない」
「でも!」
「こいつらの言う先生が何者なのか、つきとめないとねぇ」
ヤミはベスとスレッガの間に瞬時に移動して、ベスの穂先を刀で弾き上げた。
「とどめを刺したらだめだろ、ベス」
ヤミはあろうことか、スレッガを捕らえかけていた一撃を無効化した。ベスは変わらず狂戦士化しており、おそらく敵味方の判断が曖昧にしかついていない。
「先生! ベスが!」
「いちいち怒鳴らないでもわかってるよ」
ベスの攻撃がヤミを襲い始める。スレッガは何が面白いのか、ニヤニヤしながら俺の方に向かってくる。
「まずは坊主、てめぇに落とし前をつけてもらおうか」
俺はゲミトルードを両手で構えて迎撃の体勢を取る。先制攻撃か、あるいは後の先か。どっちを取るべきだ?
相手は巨漢だ。奴の剣をまともに受けては……勝ち目がない。
スレッガが思い切り剣を振り上げる。わずかに右に傾いた大上段の構えだ。まともな剣の指導を受けていれば、こうはならない。……のだが、この男は油断ならない。こちらを油断させておいてからの一撃必殺も考えられる。何にせよ、スレッガは明確に俺を殺そうとしているのだ。
となればカウンターも読まれている。先制攻撃の間合いでもない。
対峙してからここまで三秒強。振り上がった剣が落ちてくる。俺は後ろに跳ぶ。こちらからの攻撃は選択肢から除外した。初撃をやり過ごし、時間を稼ぐ。相手の剣技を読む。幼少期からの訓練で何度もやってきたことだ。
盗賊狩りや内乱鎮圧に何度も参加したことがあった父さんは、剣の訓練に関してだけは厳しかった。
敵を倒すための剣ではない。己の身を守るための剣だ。
父さんはそう言っていた。そして「己の身すら守れぬ人間が、他の誰かを守ることなどできない」――とも。
それはヒューケイア家の始祖・ゲイネスが遺した言葉だったのかもしれない。
後ろに跳んだ俺の頬に鋭い痛みが奔る。視界の端にギラリと光るものが映った。黄昏の空を背景にして飛来してくるそれは……ナイフだ。今投げられたものではない。それは意思を持つかのように俺の周囲を飛び回り、抉り込むようにして何度も突っ込んでくる。
「躱すか!?」
スレッガの声に動揺が見えたが、その表情はすぐに冷酷で下卑たものに変わっていた。そしてまたその長剣で打ち込んできた。鍔迫り合いになったら、飛んでくるナイフにやられてしまうに違いなかった。
俺はまたすぐに後ろに跳んで逃げ、ここぞと飛んできたナイフを叩き落した。――が、地面に落ちたナイフはすぐに浮かび上がると、俺の周りを回り始めた。軌道も攻撃のタイミングも、全く読めない。
「お前、呪術師か!!」
「へへ、外道師の端くれよ。殺人のために呪術を使う人間は、組合に入れないんだとよ、へへ……っ! 人を殺す呪術は、呪返しも強力でねぇ。人間一人殺そうと思ったら、一人二人の生贄が必要なくらいさ」
「だからここで殺人と誘拐を繰り返していたというわけか」
「馬鹿が山ほど通るからな。俺の呪術の試し打ちにも持って来いってわけだ」
ペラペラとよく喋る男だなと、俺の中の冷静な部分が分析する。
ナイフが超高速で舞い、俺の動きを縛る。この速度、この間合い。叩き落すのは難しい。
「そらそら、どうする、坊主」
スレッガが打ち込んでくる。こいつ、ナイフを操りながら自分も動いているのか? そしてこのナイフは、魔力とかいうものを使って動いているのか?
右手のゲミトルードが大きく震えた。
「ん、坊主、震えてんじゃねぇか。ヨーシヨシ、一撃で脳天かち割ってやるからな!」
「仲間を十四人も失って笑っていられるお前は、狂ってる」
「狂ってなきゃ強盗殺人なんざできやしねぇよ、ばーか」
「居直るか! 今まで何人殺してきた!」
「女なら五十人は使わせてもらったな。男の数なんざ数えちゃいねぇなぁ」
この下衆……ッ!
ナイフが首元に飛んでくる――のが分かった。予知なのか直感なのかは、わからない。
「?」
ナイフの切っ先から俺に向けて、赤い糸のようなものが伸びていた。
これが攻撃軌道……!
ゲミトルードでその糸を切ってみる。ぶつん、と、音を立てて糸が切れた。ナイフが地面に落下し、遥か遠くまで転がっていった。
スレッガが目を見開く。
「ぼ、坊主、何をした」
「魔力の流れを……切った……?」
一瞬、スレッガの顔に動揺が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
「――そんなことができるわけねぇだろうが!」
スレッガが吼えて斬り込んできた。あまりにも無防備な一撃だ。
俺は身を撓めて、一気にスレッガの懐に飛び込んだ。
スレッガの剣が打ち下ろされてくる。左肩を狙っている。
俺は左半身を後ろに引いてその一撃をかすり傷に留めると、右手に持ったゲミトルードでその腹部を一薙ぎにした。革の鎧は容易に切り裂かれ、腹の皮と肉も切れただろう。感じたことのない不気味で不愉快な手応えがあったからだ。
「ぐっ」
スレッガは剣を捨ててうずくまった。そこにヤミの声が飛んでくる。
「レア、こいつの首を落とせ。役場に持っていけば金になる」
「せ、先生、こいつはもう戦えないですよ?」
「だから何だ。何十何百という人間に恐怖と苦しみを与え、その何倍もの人々に悲しみと怒りをもたらした元凶だ。首の一つくらい落とされたところで何だ? あんたがそれをやりたくないだけだろう、レア」
図星を突かれて、俺は唇を噛む。ベスはヤミに抱き留められるような形で動きを止めていた。
「こいつは獣だ。人間に仇をなす、駆除されて当然の生き物だ」
ヤミはそう言うと右手にした刀を一閃した。小さな肉塊が地面に落ちる。
それが『耳』だと理解した俺は、ぎこちなくヤミを見た。ヤミは言った。
「次は指を落とす」
「拷問なんてしなくたって!」
「こいつらは何の罪もない人間を弄び、奪い、殺した。なぜアタシがやってはならない?」
「同じところに落ちる必要は――」
「はん」
ヤミは鼻で笑う。
「同じところ? アタシがいつ面白半分に略奪した? いつ面白半分に女を犯した? いつ面白半分に、罪も謂れもない人たちをバラした?」
「それは……」
「あんたのそれは優しさじゃない。ただの事なかれ主義ってやつだ」
ヤミの口調はいつになく鋭かった。
「外道師、スレッガ。己の犯してきた罪咎を思い起こせ」
「俺は、俺は、世界のためになることをしてきた」
「なんだって?」
思わず訊き返す俺に、スレッガは膝をついた姿勢でにたりと俺を見た。
「俺は世界に見捨てられた。生きることも儘ならない毎日を、先生が救ってくれた。俺たちのような弱者に見向きもせず、自分たちのことばかりを考える呑気でクソったれな連中から、その幸せのいくらかをおすそ分けしてもらっても、それは俺たちの当然の権利だ」
「クソの論理だな」
ヤミはその弁明を、文字通り一刀両断に斬って捨てた。だがスレッガは引き下がらなかった。
「この世界をクソにしたのは、持てる人間どもだ。俺たち持たざる人間の無数の屍の上に、奴らは堂々と胡坐をかいている。その事実を俺たちが教えてやってんだよ」
「反吐が出る話じゃないか、なぁ、レア」
ヤミは俺を見た。氷のように青い瞳が、俺を冷たく抉った。
「俺たちはこの世界を平等にするために戦ってたんだよ、坊主。大貴族でもない俺にできるのは、世界のためにできるのはこのくらいだってこった」
絶え間なく紡がれる自己正当化の弁を耳にするうち、俺の腹の底から、どす黒い怒りがせり上がってきた。
「……ふざけんな」
俺の口から思わぬ言葉が出た――。




