01-02: 三人
扉の魔物の触手は、達人の槍をも凌ぐほどの速度で伸びてきた。ゲミトルードの重さが忌々しい。
だが、それらは俺に届く前に全て切り落とされていた。
カチン、と、音が聞こえた。ヤミが刀を収めた音だと理解するまで、瞬き三つほどの時間を要した。
『居合の達人というのは本当らしいな』
男の声が聞こえた。老人に差し掛かったくらいのしわがれた声だ。今のヤミの神速の技が、居合というものなのだろうか。
『お前を討ち取れば儂の評価も上がろうぞ』
「そんなもののために討たれてやる理由はないさ」
ヤミは刀の柄に手を乗せ、腰を落とした。
炎から巨大な狼が二匹姿を現した。俺たちは扉の魔物と狼に挟まれている。
「数の暴力でどうにかできると思われてんなら、そいつぁ心外な話さ」
ヤミが動いた。と思ったら、俺の視界から消えていた。
次の瞬間、ヤミは俺のすぐ隣にいて、俺に飛び掛かろうとしていた炎の狼の首を刎ね飛ばしていた。
なんて速さだと思った。少なくとも人間が実現できる速度じゃない。これが居合と呼ばれる剣術の正体だというのか。
『ぐっ……!?』
「降参しないと、あんた呪返しで死ぬよ」
『なるものか』
残った狼と扉からの触手がヤミに襲い掛かる。ヤミは俺に離れているようにと顎をしゃくる。
「大方、呪のために返しの分を前借りしたんだろうけど」
ヤミの刀が抜かれ、触手がことごとく切り落とされる。扉の魔物が明確な意思を持って苦悶した。
カチン、と、再び刃が鞘に戻る。流れるような動きに、俺は見惚れる。幼少期から剣の訓練を欠かしたことはなかったが、ヤミに比べればヒヨッコもいいところだった。
その時、俺の視界の端で炎の狼の姿が膨れ上がった。
「ヤミ、狼がなんか変だ」
「ちっ、めんどくさい奴だね」
ヤミは俺を左腕で捕まえると、右手のひらを狼に向けた。その刹那、炎の狼が内側から弾けた。白金の炎が玄関フロアを焼き尽くす。だが、俺はヤミの展開した輝く球状の領域に守られていた。
その力は見た目の美しさとは裏腹に、何とも歪なものであるように、俺には思えてならなかった。
その理由はわからない。
ただ、胸の奥が冷たくささくれ立ったような、そんな感触を覚えたのだ。
「せっかくため込んだ魔力がさぁ」
「魔力?」
「おいおい話してやるよ。そもそもアタシは、規格外ってこと」
扉の魔物が姿を変えていた。玄関扉から現れたそれは、四つ足、一つ目の巨大なトカゲだった。その大きな口には乱杭歯がびっしりと生えている。
「本体のお出ましだ」
「こいつを殺せば、父さんや母さんを殺した呪術師は死ぬのか?」
「正確には外道師だけどね。その認識で間違いない」
なら。
俺はゲミトルードを構えた。ヤミは俺の隣で腕を組んでいる。意図が読めない。ヤミが尋ねる。
「魔物との戦闘経験は?」
「ない……」
「そいつは魔物とはいえ、実際のところは呪術の見せる幻のようなものだ。呪法を行使している人間が動かしているようなもの。だから、ほとんど対人戦と同じ感覚でいい。見た目に惑わされるんじゃないよ」
「対人戦も経験がない……」
「あんたくらいの年で人を殺めた経験がある方がおかしいさ。一風変わった訓練だと思ってやんな」
「わかった」
俺はゲミトルードを正眼に構えると、その一つ目の魔物に向かって踏み出した。全力での打ち込みは、しかし、躱されてしまう。相手の動きが思った以上に速く、大振りになってしまった俺の打ち込みは盛大に空振りし、たたらを踏んだ。
「瞬きをするな。見続けていればおのずと身体が動く」
俺は両目に力を込める。とはいえ、煙のせいで目を開けていられない。
「無理だよ。煙が染みて」
「軟弱だねぇ」
ヤミは呆れたようにそう言った。しかし、目が開けられないものは開けられない。
「呼吸を読みな。魔物の裏にいるのは人間だ。人間の行動は呼吸と共に行われる。タイミングさえ読めればどうとでもなる」
呼吸――。
目玉のトカゲが飛び掛かってくる。
大きく開いた口が俺の頭を狙ってくる。
これは油断だ。俺が半人前だと踏んだ相手の油断だ。
普通ならここで転がるだろう。そしてやり過ごしてから一撃を入れる。だが、こいつの外皮は固そうだ。通用するかはわからない。
となれば、今は、絶対に固くない場所を狙うしかない。
チャンスは一度だけ。
魔物の大顎が迫ってくる。
振り上げろ。ゲミトルードを。
両腕の筋肉に指令が伝わり、腕は忠実に動く。
「くたばれ!」
口中から上顎を貫いたゲミトルードは、魔物の目玉をも貫通して頭頂部に切っ先を出現させていた。
足をかけて剣を抜き去り、俺は再び構えに戻った。
「この状況で残心を取れるのはたいしたもんだよ。普通なら油断して最後の一撃でやられてる」
言うのと同時に、ヤミは動いていた。魔物の全身、あらゆるところから噴き出した触手を全て切り払っていた。どういう動きなのか全くわからなかった。
構えていた俺は、それだけだった。身動き一つ取れなかった。
『馬鹿な……馬鹿な……!』
呪術師の弱々しい叫びが聞こえた。
「あんたの願いは、アタシが解いた。自らの生み出したその呪いを、その身に受けるがいい」
ヤミはそう言うと、何食わぬ顔で玄関扉を開けた。
「代わり身にされた哀れな外道師、か」
ヤミは炎を一瞥して呟いた。
外に出た俺たちは、建物を振り返る。燃え盛る小さな屋敷は、ヒューケイア家の滅亡を歌っているようにも見えた。
「一千年前の魔導大戦以来の勇者の家系、ヒューケイア家。何度も滅びかけては復活してきた家さ」
ヤミは俺の肩に手を置いて言った。
「あんたとその宝剣があればまだ再興の機会はある。その気になればね」
「俺は……」
どうしたらいい、と問いかけようとした。何もかも失ってしまった地方貴族の跡取りが一人で生きていくための選択肢は、あまり多くはない。
その時、「ししょおぉぉぉぉぉぉ!」という元気すぎる女の声が夜闇に響き渡った。
「ご無事で!」
「いつも通りさ」
「で、このデクノボウは?」
「デっ……!?」
金髪碧眼。俺よりも幼い印象の――少なくとも外見的には――疑いようもない美少女だ。しかし手には長槍を持ち、胸甲を着けている。一直線に走ってきたときにも全く重心がぶれていないように見えた。つまり、かなりの手練れだということだ。
「この子は今回の救助対象、オル……なんとかヒューケイア」
「オルレアス・ヒューケイア」
「そうそう、レア。レアでいいよな」
「え、はい」
押し切られてしまった。そこで少女が俺の方に一歩踏み込み、顔を近づけて目を細めて、これみよがしに口角を上げた。
「あら、そう。レア、初めまして、私、ベス。助けてもらったからもういいよね。さようなら」
マジで言っている――俺は少女の敵意に満ちた目を見て、思わず唾を飲んだ。




