04-08: 血まみれの真実
重く、湿った手ごたえを感じた。目の前に、人肉人形の一つ目があった。半ば飛び出した眼球は、不気味の一言に尽きた。そして腐臭と血の臭い。そのあまりの激臭に、俺の意識は一気に現実に引き戻された。
ゲミトルードをその醜悪な胴体から引き抜き、思い切り蹴りつけて距離を取った。その巨体が立ち直る前に、俺は再度突進した。ゲミトルードを二閃、三閃し、そのおそらく生身と同じ防御性能しかない両腕を狙い続けた。腕がなくなれば槍は振るえないだろうという計算だ。
押した。
俺は必死に押しに押した。
人肉人形の動きが急に読めるようになってきた。一瞬先、ほんの少し先の未来が見える――かのようだ。
ああああ、殺して……!
苦しい、苦しいの、痛いの……!
頭の中に反響するそれは、この化け物の元になった女たちのものに違いない。
ハルベーデラ……いや、ソレティア。お前ってやつは!
俺は人肉人形からの刺突を弾き返した。衝撃が大きかったのか、化け物の左手が槍から離れる。こうなったらさっきまでの高速振り戻しはできないだろう。
俺は防御を捨てて肉薄した。体験したことのない打ち込み速度だった。
「解き放つ!」
人肉人形の頭部と思しきところが吹き飛んだ。腐った血液が巨大な間欠泉のように吹き上がり、天井に当たって雨のように降ってきた。
「うっ」
臭気にやられて吐き気がこみ上がってくる。
だが、こんなところでへこたれてもいられない。
俺は人肉人形が溶けていくのを見て、思わず左手を口に当てる。吐くのは何とか耐え切った。
「先生、ベスは」
「外傷はないけど」
ヤミはベスを肩に担いで歩いてきた。
「よくやったね、レア。今度はアタシの出番だ」
「……今度は?」
俺はベスを受け取り、横抱きにした。ヤミの氷のような瞳が、頼りない蝋燭の明かりを受けて鋭く輝いた。
「ソレティア、いるんだろ」
『その名を知っているとは、貴様は何者だ』
「やっぱりね」
ヤミは油断なくあたりを見回した。俺は――自我を完全に失っているベスを抱えているから何もできる状態ではない。
「あんたはなぜ宿敵の、ハルベーデラの名を名乗る」
『……なぜ知っている』
「企業秘密さ」
ヤミは両手を打ち鳴らした。暗い地下室を青白い光が奔り抜けた。
ヤミのすぐそば、踏み込みがギリギリ届かない位置に女の姿があった。顔の左半分に大きな裂傷痕がある。間違いない、夢で見た女性――ソレティアだ。血染めのような赤黒いマントを羽織り、その内側には黒い軍服のようなものを身に着けているのが見えた。
ソレティアは目を見開く。
「解願師、だと……!?」
「そういうことさ」
姿を見せたくないという願を解いたということだろうか。
「まず確認させてもらおうか、ソレティア。ここにいた女たちを、あんな化け物に仕立て上げたのはあんたかい」
余裕を崩さないヤミの詰問に、ソレティアは微笑を見せる。紫の瞳がヤミ以上に物騒に光っている。
「私が労力を割いてやったわけではない」
「呪返しか」
「解願師といえばヤミだが、お前がそうか」
「答えになっちゃいないよ。で、アタシもそこまで有名人だったのかい」
ヤミはやっぱり有名人だったんだ。王室魔法術師みたいなのが接触してきたくらいだから、そんな気はしていたけど。
「ともかく、あんたは今罪を一つ数えた。占い師の傍ら少女たちを誘拐し、本業の呪返しの盾にした。それは悪魔の所業さ」
「そこまでは事実。そしてそんなことは百も承知。私はハルベーデラを殺さなくてはならない」
「何のためにそのハルベーデラを名乗ったんだいって訊いているんだけど?」
ヤミは刀の柄に手をかける。ソレティアは襟口から、ペンダントを引っ張り出した。その鎖の先には指輪がある。
「ジェイスの指輪……」
「少年、なぜそれを知っている。さっきからいろいろ不思議だったが、お前の能力か」
ソレティアは尖った声を発する。俺は半歩後ずさった。ソレティアは俺を一瞥して、顎に手をやって呟いた。
「いや、しかしそんなことが――」
「おしゃべりは終わりだよ、ソレティア。まだアタシの質問が棚上げになっているんだけど?」
「見せただろう、この指輪を。これは呪具だ。ハルベーデラを殺すためのな」
ヤミの後ろ姿を見るだけでも、彼女がイラついているのが伝わってくる。だがこれはソレティアの仕掛けている心理戦に違いない――そう思える程度には俺は冷静だった。
「そこに呪を貯め込むために、あんたは事件を起こし続けてきたということかい」
「そう。そして今日、ようやくそれが結実する」
ソレティアはそう言うと、指輪を鎖から引きちぎり高く掲げた。
「最近になってハルベーデラを名乗ったのは、奴を殺す準備ができたから。そしてそうである方が、呪具には余計に力が込められていくことに気付いたから、だ!」
「そしてアタシたちという邪魔が入ったから、明日以降に回すこともできないと」
「それだけではない」
ソレティアの掲げる指輪は正視できないほどに輝いていた。暗闇に慣れた目には刺激が強すぎた。
「面白いことをおしえてあげよう、少年。さっきの人肉人形を作ったのは、私ではない。本物のハルベーデラだ」
「なんだって?」
俺は息を飲み、思わず訊き返していた。
「あれは私を殺すための化け物だったんだ。奴にしてもそれだけ私が脅威になったということの証明だ」
あの化け物は、ソレティアが集めてきた呪返し用の少女たちを、ハルベーデラが……?
「お前が抱いてる少女は、その現場の一部始終を見せられた。忘れたいという願を解き、永遠に忘れられない景色として記憶に焼き付けた」
「そんな!」
俺はヤミを窺う。ヤミは振り返ってくれない。ただ状況を見ているようだ。俺の腕の中にいるベスは、相変わらず目を見開いて譫言を発していた。
「じゃぁ、何かい。あんたはハルベーデラを殺すための呪をその指輪に蓄積するために多くの人間を殺した。そしてハルベーデラを名乗り、その憎しみにより蓄積量を増すことを思いついた。本物のハルベーデラが嗅ぎつけて、その指輪が自分の脅威になるレベルだってことを悟った。そういうことかい」
「そういうこと――」
ソレティアは右手で顔の傷に触れる。
「私の復讐が終わったら、私の命など、どうにでもさせてやる。だけど、それを邪魔するというのなら、私はあんたたちを殺さなくちゃならない」
「……ふむ」
ヤミは唸って沈黙した。
俺は……ソレティアの復讐を遂げさせてもいいんじゃないかって、思った。




