04-07: ソレティアを見つめる瞳
――この空間は何だ?
青い空間。地面も天井も壁もない。ただ、立つことはできる。それは不思議で不安定な感覚だった。
立ち止まっていても意味がないと考えた俺は、とりあえず闇雲に進んでみることにした。こういう時は直感に従った方が良いに違いないという、根拠のない心の声に従って。
道なき道を進むにつれて、俺はだんだんとここが「夢」の世界なのではないかと思い始めた。なぜなら目を凝らし、耳を澄ませば、見知らぬ人間たちの言葉や思いが聞こえてきたからだ。
「ここは……」
その時、俺の足元から巨大な扉が姿を現した。透明で青い扉が、ただそれだけで出現したのだ。ノブもレバーもない、ただの板だったが、それが扉だということは直感的に理解できた。
「押せばいいのか?」
言いながら、それを人差し指でつついてみる。だが、開く気配はない。
代わりに、やけに鮮明な映像が、扉の表面に映し出された。
まず映し出されたのは顔の左側に大きな傷のある女――ソレティアだった。
「ハルベーデラを何としても」
握りしめられるペンダントトップ。それはジェイスの形見の指輪だ。
ソレティアはユティハを殺した罪人として領地を追われた。彼女は持ち出した貴金属類を用いて、外道師に片っ端から接触し、ハルベーデラの手がかりを求めた。
しかし、誰一人、ハルベーデラの存在を知らない。
「知らないのではなくて、忘れられてるだけなのでは」
ソレティアはそう考えた。あの用心深くて周到なユティハが雇ったこと、ジェイスが抵抗すら許されずに殺害されたこと――それらを考えてもただの外道師とは考えられなかった。
「確か、呪術師の組合があったはず。バルーサ、だったか」
ソレティアは王都ディーレニアに辿り着いた。
俺の視界いっぱいに活気に満ちた大都会が広がった。
王都ってこんなところなのか……。俺はそのあまりの繁栄ぶりに言葉を失う。巨大な建築物が並び、人々の衣装は色鮮やかで豪奢だった。貴族のみならず庶民も、誰も薄汚れた服を着ていない。
感動している俺をよそに、ソレティアは「バルーサ」という看板の掲げられた建物に入っていく。
建物に入るなり、カウンターに立っていた男が雑に声を掛ける。
「いらっしゃい、奥さん。見ない顔だね」
ソレティアは髪で顔の半分を隠しながら頷いた。
「何か依頼でもあるのかい? ていうか、依頼がなきゃこんなところに来ねぇよな」
「人を探しています」
ソレティアは低い声で言った。
「人探しの依頼なら……」
「そうではなく、呪術師を探しています」
「ほう? うちの組合員を調べたいと?」
「ハルベーデラ」
ソレティアは躊躇なくその名を口にした。途端、その男の表情が固まる。
「奥さん、その名前はどこで聞いたんだい」
「それを答える義務はないと思いますが。報酬なら弾みます。知っていることを教えてください」
ソレティアは王国金貨を三十枚ばかり積んだ。男の目の色が変わる。
「これは俺から聞いたとは言うなよ」
「心得ております」
「なら教える。ハルベーデラにはもう会えねえよ。奴さん死んじまったからな」
なんだって? 俺は耳を疑う。それはソレティアも同じだった。
「死んだって、ど、どうして」
「呪術の実験の失敗だって噂だ。ありゃ確か半年前か」
ソレティアの表情は凍て付いていた。
「ところであなた、なぜハルベーデラのことを隠そうとしたのですか」
「ん、そうだな……」
男は考え込む仕草をした。ソレティアはじっと次の言葉を待っている。
「ハルベーデラは確かにうちに所属していた呪術師、だった。だが、ある地方で犯罪を犯した。バルーサの支部も近くにはない辺鄙な場所の話さ。その時に、奴さん、あろうことか念を使った。うちじゃ絶対に認めない呪法だ。そしてそれで人を殺した。二十人もだ」
「二十……」
「ターゲットが一人。残りの十九人は呪返しへの対策さ」
「一人殺すのに十九人の生贄を……?」
「ん、そう言ってもいいわな。ともかくそれで奴さんはバルーサを追放された」
「でも、それだけではない、ですね」
「……なんか知ってるみたいだな、奥さん」
そう言って、男は何か分厚い植物紙の束を取り出した。そしてペラペラと手慣れた手つきでめくっていく。
「ここだ。これを見てくれ」
「……バルーサ追放後、呪術中の事故により死去。しかし、詳細は誰も知らず。……詳細もわからないまま、事故で死んだと?」
「そこだよ。しかもこの記録、書いた人間が誰かはっきりしねぇんだ」
自作自演か? 俺は真っ先にそう思った。
「それにこの俺だって、絶対にハルベーデラってぇ呪術師には会っているはずなんだが、顔も声も、どころか性別すら思い出せねぇ。おかしいだろ?」
男はそう言うと、壁からまた別の本を取り出した。ソレティアは眉根を寄せる。
「解願師……?」
「そう、可能性があるなら……解願師だ。こいつらの使う解願の力があれば、人間の記憶から自分の姿を消す事なんてそう難しいことじゃない、らしい。俺も解願師なんて、何十年も前に噂で聞いたことくらいしかねぇが」
解願師……。俺はヤミの人除けの解願を目にしている。だから、そう言われても納得ができた。
「ハルベーデラは解願師、ということですか」
「誰も解願師を詳しく知らねぇから、何とも言えたもんじゃねぇが」
「見つける方法は?」
「っていうか、あんた、ずっと見られてるんじゃねぇか?」
男のその言葉にゾッとした。確かに、記憶を消すと言っても、広範囲に無差別にそんなことができるとは考えにくい。だったら、ソレティアが接触する人物の記憶を短時間・ピンポイントで消去する……それでいいはずだ。
ソレティアにしてもハルベーデラにしてもなんという執念だろう。しかも、ソレティアには動機があるが、ハルベーデラにはない。つまり、ハルベーデラにしてみれば――これはただの余興に過ぎないというわけだ。
「奥さん、あんたが立ち去ったら、俺はあんたを忘れて、代わりにハルベーデラを思い出すかもしれねぇな」
「……なんと卑劣な」
ソレティアは苦々し気にそう言うと、バルーサの本部を後にした。
鳶たちが、天高く舞っていた。




