04-06: 息を吐け!
人肉人形はその見た目に反して俊敏だった。ベスの槍を変幻自在に操り、三節棍すら使いこなしてきた。長剣一本しかない俺にはその全方向から放たれる中距離攻撃を前に、為す術がなかった。
ゲミトルードでなければ、その重たい一撃を止められなかったかもしれない。受け流そうにも衝撃が両手を痺れさせてくる。防戦一方、活路が見い出せない。
迂闊に前に出れば突かれて終わり。左右に動いてもその長槍の柄で払われる。動かないことが正解だが、あと数撃耐えている間にヤミが戻ってきてくれなければ……それも無意味だ。
そもそもこいつには、どこか弱点があるのか? 闇雲に斬り付けても意味がないのではないか? そんな不安が脳裏を過る。
そしてこんな時に限って、例の予知夢的な現象は起こらない。
その時、人肉人形が動いた。肉の胴体を床に引きずるようにして、前に出てきた。一気に仕留めようという目論見だろう。見た目は鈍重なのに、その動きは俺よりも速かった。
「はっ」
強く意識して息を吐く。息を吐けば頭がクリアになる。おのずと冷静になれる。
吸うのは生存本能が勝手にやる。だから、吐く。息を吐くことだけに集中する。
槍の穂先が右の頬を掠める。鋭い痛みが奔る。首を左に倒していなければ串刺しだった。
この回避によって、槍の引き戻しが遅れる。遅れるが、どういう仕掛けなのか、それが三節棍に変じる。穂先の部分が後ろから襲い掛かってくる。
後ろから?
俺にはそれが見えていた。この両目で正面にある人肉人形の不気味な一つ目を捕えているにも関わらず、俺には背後の様子が見えていた。
俺は勢いを殺さずに仰向けに倒れた。槍の穂先が俺の眼前を通り抜けていく。
そのまま床を滑り、人肉人形の右脇腹辺りに斬りつける。
『キャァァァァァ!』
女の悲鳴が上がった。発信源は、この不気味な敵だ。そのギャップと、確かにこの肉たちはかつて人間だったのだという確信に、俺は吐き気を覚える。
そのまま人肉人形の背後に回った俺は、その後頭部に向けてゲミトルードを打ち下ろした。が、その回避行動に追い付けず、右肩を大きく抉るにとどまった。
再び上がる悲鳴。
そのあまりの絶叫に、俺の意識が朦朧となる。集中力がプツンと切れたのを冷静に実感する。
槍の柄が俺を強かに打ち、俺はたまらず吹っ飛んだ。辛うじてゲミトルードでの防御は行えたが、体勢が悪かった。床を転がり、最終的には石壁に激突して止まる。せめて軽鎧でも着ておくんだったと後悔する。身体が痺れて動かない。
――視界が明転した瞬間、室内の惨状が目に飛び込んできた。
部屋の奥は薄暗かった。床には真新しい血液が池を作り、あちこちに手や足や臓物のようなものが散らばっていた。そして部屋の奥の奥、ほとんど真っ暗なところにヤミの背中が見えた。その景色の中で、白い髪だけがやけに浮いている。
「レア」
ヤミの昏い声が響いた。
「その人形を殲滅しな」
そうしたいのはやまやまだけど、身体が……。
声もうまく出せない。
「あんた、勇者の末裔だろ。やってみせな」
ヤミはゆっくりと立ち上がった。その足元には目を見開いたベスがいた。ここに至るまでの惨状を目にしたのだろう、おそらくは強いショック症状にある。
「ベス……」
動く。右手を少し動かせた。
視界の端に人肉人形がいる。それは蛇のように胴体をのたくらせながら、俺に迫ってくる。血の池にそのぶよぶよとした肉が浸かり、びちゃびちゃと不愉快な音を響かせる。
「レア!」
聞いたことがないほど鋭いヤミの声に、俺の全神経が一気に正常化する。これも解願の一種なのだろうか――などと漠然と思った。
俺は壁を蹴って人肉人形に迫る。槍での連撃が襲ってくる。穂先が右肩と左の腿を掠ったが、今は痛みを感じない。
「力を貸せ、ゲミトルード!」
そう叫んだ瞬間だった。
俺はひたすらに青い空間に放り出された――。




