04-04: 人形と呪
この人形を呪具として、ベスに呪を送り込む――ヤミはそんなことを言い出した。
「呪って……そんなことをして大丈夫なんですか?」
「アタシはその呪、つまるところ願を解く能力者だよ」
「でも、一発は呪術を打ち込む……んですよね?」
俺はそう言ったが、ヤミは「心配するな」としか返してくれなかった。まるで俺との対話に飽き飽きしているような様子だった。
「――わかりました」
俺は渋々納得した。そもそも呪術についての知識量が違い過ぎる。俺が心配することではないのかもしれない――そう思ったのだ。
「じゃ、やるよ。ここは人目につかないしちょうどいい」
ヤミはそう言ったが、表通りに出たとしても誰もいなかっただろう。夜通し明るい街なんて、あったとしてもせいぜい王都ディーレニアくらいだ。夜とは、それだけで恐るべきものなのだ。闇とは、ただそこにあるだけで身も心も竦ませる存在なのだ。
「お前の主に伝えておくれ。左腕に痛みが行くと」
ヤミは人形に語り掛けると、それを目の前に置いた。そして右手で刀を抜き、自分の左前腕に刃を滑らせた。
「……ッ!」
痛みを堪えて唇を噛み締めるヤミを呆然と見ていた俺だったが、すぐに我に返って彼女に駆け寄った。
「袋の中に包帯がある。頼む」
「はい、先生」
俺は言われるがままに包帯と分厚い布を取り出して、ぱっくりと開いた傷口に当てがった。
「呪法というのは本当に気を遣うから嫌いだねぇ」
「これも……呪返しというやつの対策なんですか?」
「そういうこと」
ヤミは包帯を巻かれた腕を軽く振って顔を顰めた。
「誰かを呪えば必ず返しが来る。人を呪わばなんとやら、さ。それをこうして前払いしておくことで、予期せぬ返しを防ぐことができるのさ」
今のはベスの左手にダメージを与える呪法だから、自分も同じようなところにあらかじめ傷を負ったと、そういうことか。
「それで先生、ベスの居場所は」
「わかったよ。この都市の中心部に小さな城があるだろ。この通りの先だ」
「城……。ということは、この都市の市長もグル……?」
「そうだろうねぇ。市長の部下たちが調べてるんじゃ、そりゃ行方不明事件の真相なんて明らかにはならないさ」
確かに。俺は頷いた。
「占い師が来たのが三年前だって、露店商から聞きました」
「三年……国王陛下と王妃殿下が暗殺された年か」
「ええ、その頃だと」
「……あの時の外道師どもの一人か。となれば、ハイザルク男爵も関わっている……と、そういうことかい」
ヤミは歩きながら何やらブツブツと言い始めた。
「そうだ、レア。あんたは三年前のことは覚えているんじゃないか?」
「もちろん知っているんですが、俺のところみたいな田舎は、そこまで影響はなかったんです」
「ふぅん」
ヤミは左手をさすりながら鼻を鳴らした。俺は角灯を持って前に出た。
「お、紳士だねぇ」
「からかわないでください」
俺は極力不愛想に応じた。そこで遠くに見える明かりに気付く。あれが城だ。こんな時間でも、灯りが煌々と漏れていた。しかし、城塞都市の性質上、くねくねと曲がりくねった道を行くしかなかった。そのため、見た目以上に時間がかかってしまった。
「城に着いても、そう簡単に入れるんですか?」
「見張りをぶち殺せばいい」
「だめですよ、それは」
「なんで?」
隣を歩くヤミに、少女のように純粋な目で見つめられ、俺は言葉に詰まった。
「彼らは別に悪に加担しているわけじゃないでしょう」
「広義には一蓮托生にしていいと思うよ、アタシ。事件を知らないってことはないだろ?」
「それでも、全員が全員進んで協力しているなんて、ありえないでしょうに」
「めんどくさいやつだな、あんたは」
彼らにだって立場や生活、家族だっているだろう。問答無用で殺していい人間がいるとは思えない。
「まぁ、わかった。できるだけ傷つけないようにはする」
「本当ですか?」
「疑うんじゃないよ、失礼な奴だね」
ヤミは流れるような動きで柄に右手をかけた。俺は角灯を左手に持ち替え、いつでも抜剣できるよう身構えた。
建物の影からずらりと十人以上の人間が姿を見せたからだ。
どう考えても俺たちが狙われている。夜盗の類だ。
「こっから先に進みてぇなら、通行料を払いな」
リーダー格の男が言った。全員フードとマスクを着けているので、顔は見えない。
「騎士団はおねんねかい。あんたらみたいな奴らを取り締まって欲しいねぇ」
「ははは、騎士団ごときに俺たちを取り締まるなんてできやしねぇよ。経済の原理ってやつだ」
「おー、難しい言葉をご存じなことで、ねぇ?」
ヤミと相手のリーダーが至近距離で睨み合った。
「レア。こいつらは痛めつけていいよねぇ?」
「生かして裁きを受けさせましょう」
「生きてさえいれば……いいね?」
ヤミの横顔に見えた凄みに、俺は思わず震えた。
「なんだぁ、この女!」
リーダーが剣を抜こうとした。
夜闇に閃光が奔った。
「う、うっ!?」
リーダーの呻き声が聞こえ、同時に「ぼとっ」という物騒な湿った音が響いた。落ちていたのは右腕の肘から先だった。目にも止まらぬヤミの居合抜きに、男は完全に不意を打たれていた。
「相手の実力を見誤った愚かさを嘆くといいさ。でも、もう盗賊は廃業だねぇ」
ヤミはリーダーの右腕を拾うと、後ろに控えていた部下たちの一人に投げつけた。
「ひっ……!」
ぶつけられた男は腰を抜かしている。
「ちょうどいいや、あんたら、城に案内しな。あんたらと騎士団の間には、経済の原理ってやつがあるんだろ」
「こ、殺せ、この女を殺せ!」
リーダーは泡を吹きながら叫んだ。だが、部下たちは動かなかった。いや、何が起きたか理解できていなくて、動けなかったのだ。
「いいことを教えてあげようじゃないか」
ヤミはニヤリと笑った。
「アタシ、解願師ってのをやってるんだよねぇ。外道の呪術師とどっちが強いか、見たくはないかい? ねぇ、あんたたち」
それは誘いではなく脅しだった。お前らなんて最初から眼中にないぞ、という圧力だ。
結果として、彼らの副リーダーを含む三名が俺たちについてくることになった。
「たまには人を斬らないと身体がなまっちまうもんだからねぇ。ちょうどよかった」
ヤミはその三人にも聞こえるくらいに大きな声で、そう言い放った。
他人に回復不能な傷を与えることに、これっぽっちも良心の呵責を覚えていない――俺はヤミのことを見誤っていた。彼女は俺が思っているよりもずっと、恐ろしい人だったのだ。




