04-03: 魔紋の銀ブレスレット
夕方が迫る頃になって、俺は合流地点である宿の前に戻ってきた。ヤミは庇の下で険しい顔をして立っており、俺を発見した時もその表情を崩すことはなかった。
「先生、ベスは」
「まだ戻ってこない」
俺は左手に持ったブレスレットの感触を確かめた。ヤミはだいぶ高さを失った太陽を細めた目で観察してから、ぼそりと言った。
「少し遅いね。いつものあの子なら、時間前に戻ってきているんだけど」
「大丈夫でしょうか」
「騒ぎが起きた気配はない。だけど、そうだね、少し心配だね」
ヤミは歯切れ悪く言い、腰の刀に軽く触れた。俺は唾を飲みこんでから言った。
「誘拐されたとか……」
「……レア、ちょっと探しに行ってくれるかい」
「わかりました。あ、その前に、これを預かっていてもらっていいですか」
「魔紋の銀ブレスレットか」
「おまじないみたいなもんだって言ってました」
「どこぞの外道師の小遣い稼ぎの品だろう。でも役に立たないって事はないさ。とりあえずあんた、着けときな」
有無を言わせぬ口調に押され、俺はそれを左手首に装着した。男女兼用のようなシンプルなデザインで助かった。
俺はヤミと別れ、ベスが割り当てられた地区、整然とした商店街の方へと向かった。俺が担当した地区とは違い、露店の類はなく、規則正しくいろいろな店舗が並んでいた。人通りも極めて多く、少しでもよそ見をしようものなら誰かにぶつかってしまうほどだ。
建物と建物の間にはいくつもの細い路地があった。それらの道は夕暮れ時も近付いてきた今、ぞっとするほどの暗闇になっているところもあった。
ベスがそこらの暴漢に後れを取るとは思えなかった。確か、愛用の槍も持っていたはずだ。第一、この都市の治安は悪くない。着いてから今まで、一度も喧嘩や悲鳴を耳にしていないからだ。
人通りが少なくなってきて、通りもいよいよ暗くなった。目視では路地を見通すことは、もはや不可能だった。
「レア!」
路地から出てきたところで突然呼ばれて、俺は思わず跳び上がった。
「先生、びっくりさせないでください」
「さすがにこの時間だ。何かあったと考えるべきさ」
ヤミの呼吸が少し荒かった。走ってきたのだろう。
「でも、手掛かりが――」
「あんたの未来予知は発動しないのかい」
「いまのところは……」
「ってことは、最悪の未来にはなってないってことだ」
根拠があるのかないのか、ヤミはそんなことを言って、俺たちを追い抜いた荷馬車を見送った。この町も夜間は人通りが減るに違いなかった――それはすなわち危険が増すということだった。
「敵は占い師だけじゃない。ベスを狙う奴らに孤立がばれたらまずいねぇ」
その時、俺の頭の中に映像が奔った。
ベスが誰かと言い争っている。どこかの狭い路地で槍を構えている。
だが、その必殺の突きはあえなく躱され、長剣の鞘尻で強かに突かれ、ベスは白目を剥いて昏倒してしまった。
――ベスの傍らには、彼女が大事にしているあの金髪碧眼の人形が落ちていた。
「先生!」
俺は振り返ると、黄昏に沈みつつある建物たちをぐるりと見回した。
手がかりはないか。あの映像の中に答えはないか。
「そこを調べるんだ、レア」
ヤミは俺から一番近い細路地を指差した。そこは完全に真っ暗で、灯りを持たない俺にはなかなか厳しいものがあった。
「仕方ないね」
ヤミは腰に下げていた角灯を取り出すと、右手の指を二度鳴らした。たちまち黄金色の炎がその中で揺れ始める。いつもは火打石を使っていたはずだから、ヤミの中でもこれは緊急事態なのだろう。
手渡されたランタンを手に、剣の柄に手をかけながら、俺は路地に踏み込んだ。
ヤミも数歩の距離を開けてついてきた。あんまり近すぎると一網打尽にされかねないからだろう。
その時、俺は灯りの端に見覚えのあるものを発見した。
「先生! 人形です!」
「ちっ、やっぱりそういうことかい」
あの脳内に奔った景色は、時間的には三時間ばかり前と考えていいだろう。俺たちが捜索に出る一時間前といったところだ。
問題はここからどこへ連れ去られたか、だ。
俺は人形を拾い上げて、ヤミに手渡した。
「ははぁ……!」
ヤミが意外にも明るい声を発した。
「これはベスのお手柄かもしれないねぇ」
「お手柄……?」
「この人形さえあれば、アタシたちはベスの居所を簡単に突き止められるのさ」
そうか。これはベスにとって重要な人形だから、そこには強い呪力が宿るということか。
俺は納得しながら、一歩前に踏み出した。ヤミが「あっ」と声を出したのと同時だった。
地面から閃光が放たれ、俺は左手首に激しい痛みを感じた。
「ブレスレットが……!」
銀製のアクセサリがボロボロになって散っていった。
「あんたの身代わりになったのさ。機能したってことじゃないか」
それはそうなんだろうけど、いまいちスッキリとはしない。
俺は角灯を右手に持ち替え、まだ痺れている左手の様子を確かめた。軽い火傷程度、か。俺はひとまず胸を撫でおろした。
俺は路地の突き当たりまで行って辺りを調べたが、そこには何も見つけられなかった。完全に袋小路だった。
「さてさて」
ヤミが人形を両手で持ち上げながら首を回した。ゴキゴキという少し心配になる音が、暗闇に響き渡った。
そして――。
「今度はこっちの番だよ、レア」
ヤミは厳かに宣言した。




