第42話 簡単には癒えない傷
魔瘴の森で生活を始めてから百日ほどが経過する。
最初は何もないただの開けた土地だったシスイの住む沼の隣は、それはなんともずいぶんと様変わりをしていた。
「よし、今日はこのくらいにしておこうか」
「そうですね、カインさん」
畑の世話も終わり、二人は汗をぬぐっている。
魔瘴の森に来た頃は何もなかった場所に、小麦などの作物が育っている。
メイベルが来た時に祝福をしていってくれたこともあって、特に目立った害もなく、無事に収穫が近付いてきている。この畑が定着できれば、近くに野草を探しに行かなくても野菜類を食べられるようになりそうだ。そうすれば、生活はより安定するだろう。
「もうちょっとで収穫できそうね。まったく、最初はどうなることかと思ったけど、いい感じに育ってよかったわ」
「だな」
「はいっ!」
ひょっこりと顔を出したシスイに言われて、カインもワムも笑顔で笑っている。
「でも、収穫したのは全部食べちゃダメよ。種は残しておかないと次が育てられないからね」
「あ、ああ、そうだな。気をつけるよ」
ただ、しっかりと釘を刺しておくことは忘れないシスイである。全部食べつくして、また種を仕入れに行くのだけは勘弁願いたいからだ。
シスイが街に出るのを嫌がるのは、一部の街で後をつけられるためだ。人間のふりをしたシスイは少々ばかり美人なので目立つというわけだ。それが嫌なので、人間の街にはできる限り、顔を出したくないらしい。
「さーて、それじゃ夕食の支度をするから、二人はさっさと汗を流しておいで」
「おう。じゃ、行くとするか、ワム」
「はい、カインさん」
お互いに声をかけて、体を洗いに行く二人である。
とはいえ、男女であるので、少し距離を取っている。ワムの方はまだコボルトで全身毛だらけとはいえど、年頃の女性ではあるのでいろいろ気を付けているのだ。
そんな二人が沼に向かっていく姿を見て、シスイは夕食の支度にとりかかった。
きれいさっぱりして服を着替えた二人は、シスイのところへと戻ってくる。
戻ってきた時には、二人は隣り合って歩いている。その姿を見たシスイは、なんとも微笑ましい様子だなと思った。
二人とも、魔瘴の森に来た頃はあんまり元気のある様子ではなかったのだ。なんというか、この世界のすべてを諦めたような、そんな雰囲気すらあった。普通に話してはいたものの、シスイはその雰囲気を強く感じ取っていたのだ。
ところが、今はどうだろうか。その頃には背負っていた影というものが、微塵も感じられない。
それもそのはず。外の世界とのしがらみと完全に切り離されたのだから。正確にいうとメイベルやイストスという外部の人物との関係はあるが、死を偽装したことで、二人を追う者はいなくなった。だからこそ、ここでの生活にようやく希望を見出せたというわけなのだ。
シスイという協力者がいる中で、カインはワムを守り、ワムはカインを頼りにしている。ほどほど良い関係が築けたことで、前向きになれたのだ。
「さて、どうするのよ、カイン」
「何をだよ」
シスイはふとカインに話を振ってみる。急なことだったので、カインはどこか嫌そうにシスイを見ている。
「いや、ワムを一度故郷に連れていく?」
「ああ? コボルトの集落か。そういや、どこら辺にあるんだ」
「あー……、メイベルしか知らないんだっけか」
話を振っておいて知らないとかいうものだから、カインは思わずずっこけそうになってしまう。食べ物を粗末にするものかという根性で、なんとか耐えたようだ。
どうにか食事をこぼさなかったカインは、思わずシスイにジト目を向けてしまう。
ところが、シスイはそれに構うことなく、話を続けようとしている。しょうがなく、カインは話を聞く態度を取ることにした。
「一度、連れていっておいた方がいいと思うのよね。その方が、ワムも心の整理がつくだろうし」
「そうだな……。それは、ワムに聞いてみた方がいいんじゃないかな」
「えっ……。あの、私は……」
故郷の話をすると、さすがにワムは落ち込んでしまう。
以前にメイベルと話をした時には少し気にしていたようだが、いざ戻るとなると、踏ん切りがつかないようだ。
「うん。まだ早いだろうな。いくら指名手配を消すことができたとはいえ、そんなに時間が経っていない。もうちょっと待ってみるべきだろう」
「分かったわ。無理いってごめんなさいね、ワム」
「いえ、私は気にしていませんから」
カインの言葉も踏まえて、シスイはワムに謝罪している。だが、ワムはずいぶんと気にしているようで、さっきまでの明るい表情はすっかりと消えてしまっていた。
さすがにこの様子を見たシスイは、やっちゃったかと深く反省したようである。カインにも睨まれてしまったので、なおさらという感じだった。
魔瘴の森にやってきてから耕し始めた畑も、そろそろ収穫の時期を迎える。それと同時に、今の生活も一段落を迎えることになる。
しかし、二人が背負っているものはなかなか大きく、吹っ切れたようでまだまだ強く影を落としている。
外へと出ることに対しての不安がまだ残る中、はたして二人の心は完全な安寧を取り戻すことができるのだろうか。
それには、まだまだ時間がかかりそうなのであった。




