聖女の記憶と銀製の酒杯
皇城に来た二日後の午前、聖女選定を受ける順番が来たとのことで、男爵令嬢のミリーが呼ばれた。
ただの小間使いであるララは部屋で待機だとばかり思っていたら、立場の違いをわからせたいミリーによって同行を命じられる。どうやら自分が聖女に選ばれるという強い自信があるようだ。
城の使用人に案内されながら、まるでパーティにでも行くかのように着飾ったミリーの後ろに続いて、ララも聖女選定が行われる光の間と呼ばれる広間の大扉の前に立つ。
大扉の左右には、広間を守るように隊服姿の衛士の姿が見える。
彼らは選定者の訪問を確認すると、大扉を恭しく開けた。
広間に入ると、頭上のステンドグラスからは荘厳な光が注ぎ、奥にある祭壇を照らしているのが目に飛び込んで来る。
祭壇の上に飾られているのは、白色と淡い青色を基調とした美しい花々。そして、等間隔に並ぶ優しい光を発するロウソク。
祭壇のすぐ前には、聖餐式に使用されるような重厚なテーブルがある。
その横には、丈の長い白い祭服姿の若い男性の神官が立っている。彼は手元の書類に目を落としながら、やけに不躾な態度で言った。
「ええーっと、コックニー男爵家、ですか? はあ、聞いたことない家門ですね。帝国中の貴族令嬢に呼び出しをかけているみたいですが、まったく見境なしに選定を受けに来るんだから、こっちも暇じゃないんで困るんですよねぇ。では、ミリー・コックニー男爵令嬢、さっさと手をかざしてください」
若い神官が促す先、テーブルの上には乳白色の大きな水晶玉が置かれていた。
どういう仕組みかはわからないが、どうやらこれに手をかざすことで神聖力を測れるらしい。
ミリーは若い神官の無礼な態度に眉をピクピクさせながらも、かろうじて怒りを呑み込む。なんとか気を取り直すと、自信たっぷりに一歩前に出て、水晶玉に手をかざした。
しかし、水晶玉は何の変化も示さない。
すると、若い神官があっさりとした口調で言った。
「──神聖力なし、欠片もなし! ここに来るなら、少しくらいはあるものなんですけどね〜。はい、ご苦労さまでしたぁ、お帰りはあちらです〜」
「はあ⁉︎ ちょっと、その態度はなんなのよ! たかが神官のくせに!」
ミリーは堪えきれなくなったかのように、神官に盾突く。
するとそのとき、やや年配の神官が大慌てで広間に入って来た。
「──失礼いたしました! 少し急用で席を外す間、この者に代理を頼んだのですが、何かありましたか……!」
「何かですって⁉︎ ええ、大ありよ! とんでもない侮辱だわ、神聖力なしだと言われたのよ! もう一度鑑定を受けさせなさいよ!」
「ああ、さようでしたか、いいえご令嬢、それは無理です。結果は変わりませんから」
「なんですって⁉︎」
「いえ、ですから──」
「あり得ないわ! この水晶玉がおかしいんじゃない、そうよ、そうに決まってるわ!」
ミリーがより一層苛烈に言い寄る。
年配の神官は説明して、なんとかなだめようとしているが、火に油を注ぐようなものだ。
ララはそれを遠い目をして眺める。
相手は神官とはいえ、場合によっては貴族の次男や三男などが務めることもあるというから、相手はミリーの男爵家以上の家門の子息の可能性もある。そうなれば謝罪を求められるのはミリーのほうだ。
ララは気づかれないように、呆れまじりのため息をそっと漏らす。
そのとき、ふと視界の端で何かがキラッと光った気がした。
視線を向けると、その光は口論しているミリーや神官たちの向こう、広間の奥にある祭壇からだった。
ララは吸い寄せられるように、そちらを注視する。
すると、あるものが目に入る。
──銀製の酒杯?
祭壇の上、ロウソクの光を反射するように輝いているのは、銀製の酒杯だった。
グラス部分の表面は鏡のようにくもりひとつなく完璧に磨き上げられ、特徴的な曲線を描く持ち手部分には精緻な細工が施されている。
とても美しい銀製の酒杯──。
なぜか、どこか懐かしさを覚える。
すると次の瞬間、ララの脳裏に洪水のようにさまざまな映像が流れ込む。
激流にのまれるような、息もできない溺れそうなほどの情報が一気に頭に叩き込まれる感覚。
何年もの長い時間が経過したかのよう──。
だが、それは一瞬のことだった。
次にまぶたを開いたときには、自分が生まれ変わったような未知の感覚に全身が震えた。
息継ぎするように息を吐くと、ぽつりとつぶやく。
「……思い出した。わたしの前世は、ララフネス……」
五百年以上も昔、魔獣大討伐の戦いのさなかに命を落とした、ララフネスという名の筆頭聖女。
それは紛れもなく、ララの前世だった──。