大聖木と紋章付きの指輪 3
「あれ、リック叔父上、指輪をどうしたんですか? いつも身につけていたのに」
それは、遠方へ長期遠征に行ったと聞かされていた叔父が、遠征先から一時帰って来て、母のもとを突然訪れてくれたときのことだった。
叔父の名は”エーリックス”だが、身内では”リック”の愛称で呼ばれていたので、自然とアーヴィンもそう呼ぶようになっていた。
叔父は皇帝の弟で、元皇女のアーヴィンの母の弟でもあり、当時六歳の幼いアーヴィンが慕っている人物でもあった。
ローイエン公爵邸の広い庭園の一角。
母と叔父は用意されたお茶に口をつけることもなく、先ほどから何やら真剣な表情で話し込んでいる。
アーヴィンは言いつけどおり、呼ばれるまで大人しく待っていた。だが、やがて我慢できなくなり、呆れる母を説得してなんとかその席に加えてもらえることに成功する。
そしてふと、手袋を外している叔父の右手にいつもある指輪がないことに気づき、そう尋ねたのだった。
叔父はアーヴィンが気づいたことに、驚いていた。
母は何か理由を知っているようにも見えたが、複雑に微笑むだけで、言葉を発することはなかった。
叔父はふっと優しげに微笑むと、指輪のない手をアーヴィンの頭に乗せ、優しく撫でた。
「ああ、そうだな、いつかお前にも会わせられるといいな……」
アーヴィンは首を傾げる。
手元にない指輪について尋ねたのに、なぜ叔父が独り言のようにそうつぶやいたのかわからなかった。
でも叔父の表情からは、何か彼にとってとてもうれしいことが起こったのだと漠然と感じる。だから、指輪がないことはそれ以上気にならなかった。
しばらくして、「そろそろ行くよ」と言って、叔父は手袋をつけて席を立つ。
母は叔父に駆け寄ると、寂しさを振り払うように叔父の手を両手で包み込み、握り締めると言った。
「──リック、あなたがわたくしの弟であることは変わらないわ、永遠によ。わたくしはいつでもあなたの味方、それだけは忘れないで」
叔父は目を大きく見開いたあとで、何かを噛み締めるように頷き、やがてふっと優しく笑った。
ふたりの間には確かな絆があるようにアーヴィンには感じられた。
「じゃあな、アーヴィン」
叔父はどこか晴れやかな表情を浮かべ、手を振ると、アーヴィンと姉である母に見送られながら公爵邸を去っていった。
母が言うには、叔父はこのあと皇城へと向かい、用事を済ませ次第、また遠征先に戻るということだった。
「リック叔父上に、次はいつ会える?」
「さあ、いつかしら。でも待っていれば、また会えるわ。そうしたら、またみんなでお茶でもしましょう。今度はお父さまもご一緒にね」
アーヴィンが隣に立つ母を見上げて尋ねると、母は悲しみを押し隠すように微笑んで答えた。
そしてその数日後、叔父が遠征先に戻る道中、突如現れた魔獣に襲われ、命を落としたという知らせが入ったのだった──。
アーヴィンは指輪を指先でつまみ、おもむろに掲げると、指輪についたブルーサファイアの宝石を光にかざす。
そして指輪の裏側、台座に開いた穴を覗き込む。
『エーリックス この者すなわち 帝国第二の太陽なり』
サファイアの中に浮かび上がったのは、古代語の文字──。
このアリヴィウス帝国では、太陽は皇帝、光は息子を意味する。第二の太陽であるなら、皇弟を表す。
それを裏付けるように、古代語の文字の下には帝冠と盾が上下に配置された両脇に、翼を広げた大鷲が向かい合わせに描かれた皇族の紋章も見える。
アーヴィンは顔を上げ、テオを凝視する。
テオはまさしく、亡き皇弟エーリックスの息子──。
(リック叔父上に、息子がいたなんて……!)
未婚で若くして亡くなった叔父に、子どもがいようとはアーヴィンは夢にも思わなかった。
『ああ、そうだな、いつかお前にも会わせられるといいな……』
十五年以上も前のあの日、死ぬ前に会った叔父が独り言のようにぽつりと残した一言。
それが今になって、ようやくその意味を知る。
きっと叔父は、近い将来子どもが生まれることを知っていたのだ。
(そうだったのか……!)
あの当時、叔父が婚約したという話は聞いたことがなかった。だから、きっと相手の女性は貴族ではない。貴族ならば大々的に公表するはずだ。相手はおそらく平民の女性。テオ自身も平民の生まれだと認識しているようだから、そうなのだろう。
ならば、叔父は相当悩んだはずだ。皇弟である自分が、平民の娘を妻として迎え入れることは難しい。でもその女性と一緒になることを選んだのなら──?
アーヴィンはハッとあることに思い至る。
きっと帝位継承権の放棄を申し出たに違いない。
その決意を告げるために、姉である母の元を訪れ、その後、兄である皇帝に会って帝位継承権の放棄の許しを得ようと、あの日皇城へ向かったのではないか──。
テオは亡き父の正体や自身の出自のことを、何も知らないのだろう。
向けられるアーヴィンの強い視線に耐えかねるように、目を左右にさまよわせ、どこか落ち着かない様子だ。
そんなテオとは裏腹に、アーヴィンはある意思を固める。