帝都へ 1
帝都から遠く離れた、山間にある小さな田舎町。
孤児であるララは、この町の救貧院で育った。
薄茶色の瞳と髪は一見平凡だが、よく見れば野暮ったさはなく、その顔立ちは整っている。長い髪は動きやすさを重視し、背中に垂らす形で後ろでひとつにゆるく結って三つ編みにしていた。
ララは十四歳の頃から、この町に居を構えるコックニー男爵家に住み込みで働いている。働き始めてからもう四年になる。
救貧院の院長を務める老婦人は愛情深いうえに、理解と教養のある人で、子どもたちに読み書きや裁縫などを教えてくれたため、孤児のララでも使い勝手がよいと判断され、男爵家に雇ってもらうことができたのだ。
とはいえ職場環境はあまりよくなく、長時間労働で賃金は低いうえ、男爵一家の無茶振りは日常茶飯事。
特に、年が近い男爵家のひとり娘のミリーは何かとララに突っかかってくるのだが、ミリーが好意を寄せる遠縁の子爵令息がララに言い寄ったのを機に、より一層ララを目の敵にするようになった。
貴族の自分と平民のララとの立場の違いを、はっきりと思い知らせてやろうという陰険な嫌がらせだ。
そしてララは、今まさにその嫌がらせに遭っている最中だった。
「いい? 帝都なんてめったに行ける場所じゃないのよ。あんたみたいな孤児の平民でも連れて行ってもらえるんだから、感謝しなさいよ」
男爵令嬢のミリーが、こちらを見下ろしながら恩着せがましく言う。
帝国民なら死ぬまでに一度は帝都を訪れ、皇城を一目見たいと言われるほどと聞くが、救貧院育ちで町からは一度も出たことのないララがその素晴らしさを想像するのは難しい。
今から少し前、ララはこのミリーに足を引っ掛けられたせいで、持っていたバケツの水を廊下にぶちまけてしまった。そのせいでお昼ごはんは抜きになるし、水浸しになった廊下の後始末はまだ終わらない。
それなのに、廊下に膝をつき必死に雑巾で水気を取っていたララの前に、またもや邪魔するかのようにミリーが現れたのだ。
帝都行きの話が出たのはもう一週間も前のことなのに、こう連日のように言い続けられると、さすがにうんざりだった。
ララにとっては、想像もつかない帝都に連れて行かれるよりも、今置かれているこの境遇を改善してくれるほうが何倍も助かるのだが。
そんなことを考えていたからか、はあ……と、思わずため息が漏れてしまう。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
ミリーは目を吊り上げ、床を拭いていたララの手を思い切り踏みつける。
「──ッ!」
「いいこと、あんたは私の小間使いとして帝都に行くのよ、しっかり働いてもらうから!」
ミリーは目障りな虫でも踏み潰すように、靴の踵に力を入れてぐりぐりとララの手を執拗に痛めつける。
ララは唇を噛み締め、ぐっと堪える。しばらくすると、ミリーは面白くなさそうに苛立ちを募らせ、
「ふん! せいぜい帝都で身分の違いでも目の当たりにすればいいわ!」
そう吐き捨てると、追い打ちをかけるようにララの手を強烈に踏みつけ、立ち去って行った。
「……はあ」
ミリーの姿が見えなくなったあとで、ララは息を吐き出し、真っ赤になった手の甲をさする。
声をあげて助けを乞うものなら、より一層仕打ちが過激になるのはこれまでの経験で学んでいる。じっと耐えていれば、さっきみたいに痺れを切らしてあっちから立ち去ってくれる。
ララは気持ちを切り替えると、遅れを取り戻すように廊下の後始末を急ぎ再開させた。