城郭の街 2
ある日の夕方のこと。
食堂がいつもより繁盛したので、ララは女将から頼まれて、追加で買い出しに出ていた。
野菜や果物、手作りの惣菜、雑貨などを扱う露店が雑多に並ぶ通りを歩きながら、頼まれた食材を手早く買い足していく。
すべてを買い終え、手にした紙を見ながら漏れがないか確認していたところ、ふいに耳に入ってきたのは、近くの露店の店主らが立ち話している声だった。
「──聖騎士だって?」
ララの肩が思わず跳ね上がる。手に持っている食材を危うく落としそうになった。
店主らは真剣な声音で、顔を寄せ合っている。
「ああ、ふたつ向こうの町で見かけたってよ。なんでも帝都に馴染みのあるやつが見たらしくて、あの白い隊服は聖騎士に間違いないって言ってたらしい」
「なんでまた、聖騎士なんてお偉い騎士さまがこんな辺境に? 遠征訓練か何かか? でも魔獣の被害が出てるなんて噂、ここ何年も聞かないぜ」
「噂だが、なんでも帝都から罪人が逃げたとかで……」
「ええ、罪人だって! おいおい、大丈夫なんだろうな」
「わからねえが、用心しておいたほうがよさそうだ」
「そうだな。夜は男連中で見回りでもしたほうがいいかもな」
露店の店主たちはそこで話を終えると、店番に集中するように商品の品出しをしたり、客引きをしたりし始める。
気づけばララは、手に持っている紙袋をぎゅっと握り締めていた。
* * *
その夜、ララはベッドに入るも一睡もすることなく、じっとしていた。
あと数時間で夜が明ける時間帯になるのを待ってから、静かに起き上がった。
借りている屋根裏部屋を整理する。元々私物はほとんどないので、ベッドを軽く整える程度ですぐに終わる。
ショートブーツの紐をキュッと結ぶと、旅の途中で買って以来ずっと使っているローブを羽織る。
部屋のドアの前に立って耳を澄ませれば、みんなぐっすり寝ているのか物音ひとつしない。
夕方、露天の店主らが言っていた言葉がやけに気になった。
もし帝都から逃げた罪人というのがララのことで、帝都の聖騎士が捕まえようと追って来ているのだとしたら──。
このままここに留まるのは危険が伴う。場合によっては、親切にしてくれた女将たちにも迷惑がかかるかもしれない。
今までお世話になったお礼と、あいさつもせずに立ち去ることを詫びることを綴った手紙は、ベットの上に置いてある。
物音を立てないようにそっと部屋の扉を開け、階下へと降りる。
こんなにもよくしてくれたのに、置き手紙ひとつで去らなければいけないことが心苦しい。
食堂の裏にある戸に手をかけたとき、
「ララちゃん……? どこいくの?」
振り返れば、そこには女将の娘のダナがいた。
まだ半分夢の中なのか、お気に入りの猫のぬいぐるみを片手に、眠たそうに目をこすっている。ぬいぐるみが着ている洋服は、この間ララが縫ってあげたものだ。本当は近いうちに、ほかの洋服も用意したいと思っていたのに……。
ララは早歩きでダナに近づくと、目線を合わせるように屈んで微笑む。
「ごめんね、ダナ。わたし急に行かなきゃいけなくなったの」
ダナはパチリと目を開ける。駄々をこねるように首を左右に振る。
「え、やだやだ! なんで? ララちゃんはあたしのお姉ちゃんになってくれるんでしょ?」
ララの胸がチクリと痛む。
ダナの小さな体を抱き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
一緒にいた時間はわずかだが、元孤児で救貧院育ちのララにとって幼いダナとの生活は、貧しくも楽しかった昔の日々がよみがえるようでとても満たされるものがあった。
「ごめんね、一緒にいられなくて」
「ほんとに、いっちゃうの……?」
「うん、このままここにいるとみんなに迷惑がかかるかもしれないから」
ララは悲しさを押し殺して微笑む。
何かを察したように、ダナが大人しくなる。
彼女はまだ幼いが、とても賢い子だ。ララの本気を理解している。
「……グス。わかった、気をつけてね」
「うん、ダナも元気で、またね」
再会が叶うかわからないが、ララはそう口にする。
ダナに別れを告げ、ララは街を出るべく、お世話になった食堂をあとにした。