第四十五話 決意
それから二日後。
道場から出てきた清之助は、伊織と彩の姿を見つけて驚きの表情を浮かべた。
「彩殿、どうしました? 伊織が何か悪さでもしましたか?」
「お前と一緒にするな」
困ったように笑う彩と、苦虫を噛み潰したような伊織を見比べる。
「冗談だよ、いちいちつっかかるな。……答えが出たんですね、彩殿」
「はい。私……ここで生きて行くことに決めました」
「本当に? よかったです、と言っていいのか分かりませんが、正直私はとても嬉しいです」
「ありがとうございます。あの、でも、これは清之助さんにお返ししなきゃいけないと思って」
「……?」
「私、清之助さんに背中を押してもらったのに、応えられなくて……ごめんなさい」
彩が両手で包み込んでいたもの。
それは以前、清之助が彩に贈った簪であった。
それを見た清之助は神妙な顔で腕組みをした後、彩の両手を自分の手で包み込んだ。
「え?」
「おい、清」
「うるさい、伊織。お前、俺に殴られないだけいいと思えよ」
「……」
「彩さん、これはもうあなたのものです。あなたがどういう決断をしても、返していただく必要はありません。……まあ、私からお二人への祝いの品だとでも思ってくだされば結構」
そして清之助は、目を細めて笑って続ける。
「とりあえず今のところは伊織の勝ちにしておきますけどね。私もすっかり諦めた訳では無いですから。伊織が嫌になったらいつでも言ってください」
「清之助さん」
「それはない……はずだ、多分」
この期に及んで煮え切らない伊織の返事に、清之助は仰々しく溜息をついてその肩に腕を回した。
「お前は救いようのない馬鹿だな。俺は、お前だから彩殿のことを任せるんだよ。そのくらい分かれ。彩殿を幸せにすると俺に誓え」
「……約束する」
幻の元に行くという二人を見送り、清之助は一人苦笑した。
予想通りの彩の答えに心が痛むかと思いきや、意外にも笑えている自分に呆れさえする。
結局自分は彩に惹かれていると同時に、伊織も大事なのだろう。
悔しいけれど、何故だか悪い気はしない。
「さて。俺も新しい出会いを見つけに行くとするか」
***
幻の家では猫と宝が味噌汁作りに励んでいた。
入って来た伊織達に気付き、宝が手を振る。
「こら、余所見をするでない」
「してないよ、ちゃんと見てる」
「そういうことをしてると、彩のように失敗するぞ」
「ちょっ……、猫ちゃん!」
「お姉ちゃん、味噌汁作れないの?」
「そ、そんなことないよ。大分上手くなったもん。ね、伊織?」
「え? お、おう。もちろん。」
彩の勢いに、思わず伊織まで慌ててしまう。
そんな伊織に猫がさらに詰め寄る。
「で、何の用じゃ。とうとう男になったか、伊織」
「……!! なっ、何言ってんだよ、猫!! ち、違うから。な、違うよな、彩?」
「…………」
「彩に何を聞いておるのだ、お主は。相変わらず馬鹿じゃのう」
「あ……す、すまん。気が動転して……ていうか、お前が悪いんだろうが!」
「うるさいのう」
「黙れ黙れ。今日は俺は真面目に報告に来たんだよ。……師匠は、あれからどうだ」
少し声を潜めた伊織に問われた猫は、はっとして僅かに目を伏せた。
そして少し口ごもるように答える。
「幻様は、のう……自分の目で確かめた方が良いのではないか」
伊織と彩は顔を見合わせ、そして二階への階段へと急いだ。
「師匠、俺です。開けますよ」
返事が無い。
伊織が襖に手をかけたと同時に、彩は後ろにいた猫に袖を引かれた。
そして-。
勢いよく開けた襖の向こうから、鞠が連続で三つ飛んできて、伊織の顔を直撃した。
「痛っ……!!」
蹲る伊織に、彩が恐る恐る近づく。
「だ、大丈夫?」
「……猫も師匠もっ! ……いいかげん俺で遊ぶな!!」
いつも通りの幻の笑い声が、中から聞こえた。
「緊張しているかと思って、場を和ませたつもりだったんだ。そう怒るな」
「あんたは馬鹿か」
「幻様に何という口の聞き方じゃ」
「お前も馬鹿だろうが」
「ちょっと、伊織。猫ちゃんも」
伊織と猫を宥める彩。
その横では今日も宝が笑っている。
そんな彼らの様子を見ながら幻も笑った。
やはり皆が揃うと嬉しいものだと思う。
それでも足りぬ、と感じる心が不思議ではあるが。
「……それで? 気持ちが定まったからここに来たのだろう? 出した答えを聞かせてもらおうか」
赤い鼻をさすりながら不貞腐れていた伊織は、その言葉に動きを止めた。
彩の方を見て、居住まいを正す。
ひとつ大きく深呼吸をして、そして。
「彩は帰しません」
「……ほう」
「彩をこちらに引き留めた責任は、俺が全て負います。……それからもうひとつ。俺はつなぎ屋を辞めません。その責任も、全て自分で背負います」
「…………」
期待と失望が入り混じる幻の視線を、まっすぐに受け止める。
「長らくご心配をおかけして申し訳ありません。何も知らずにただ甘えて過ごしてきた俺を、これまで見捨てずに育ててくれたこと、心から感謝いたします」
「その答えを見つけたのはお前自身。私は何もしておらぬ。どころか私の思惑が全く外れた訳だが、それこそお前の成長の証だろう。……これもまた、親冥利に尽きるというものだな。一応聞くが、彩にも異論は無いか」
「はい。私はここで、伊織を支えて生きて行きます」
はっきりと答える彩にも、幻は目を細めて笑った。
「お前も随分といい顔になったな。……もしや」
「ちょっと、師匠! その件はもういいから。猫もそんな目で見るな! やめろっ、何も言うな!!」
幻の家に幸せな笑い声が溢れる。
苦楽もどこかでこの光景を知り得ていたらいい。
二人に抗議しながら、伊織はそんなことを思った。
***
ひとしきり笑った後、伊織が更に告げた言葉。
それを聞いて、幻は小首を傾げる。
「それでも未来へつなぐ、というのか?」
「はい。彩は帰しませんが、未来の世界への決別は必要だ。俺はそう思います」
「言ったはずだが、親父は未来へのつなぎで片耳を失った。何が起こるか全く分からんぞ」
「承知してます。それでも俺は彩に、彩の大事な人達への思いを伝えてほしい。それに……これは俺がつなぎ屋としてこれからも生きて行くために、絶対に必要なつなぎなんです」
幻はしばし無言で考え込み、ゆっくりと口を開いた。
「対価は?」
「未来への帰り道。……二度とあちらへのつなぎはできなくなりますが」
「もしもそれで彩がやはり帰りたいと思ったらどうするつもりだ」
「帰しません」
「帰りません」
ぴたりと重なる伊織と彩の声に、幻は再び堪り兼ねたように苦笑した。
「わかったわかった。…失敗は許さぬ。必ず無事にこちらへ戻れ」
「「はい」」
二人の返事を聞き、幻は傍らに控える猫に視線を移した。
「ということだ。お前の力を借りられるか」
「え? あ、いや猫は、何かあっては困るので」
「何かあるからワシの力がいるのであろうが。何度も言わせるな、主殿」
「……ありがとう、猫」
***
予定通りに幻の家からやって来た猫を迎え、羽織袴姿の伊織は刀を手にした。
一方の彩は制服姿で、その手にはスマホが握られている。
猫がしげしげと彩を眺めた。
「お主がこちらに来た時以来じゃが、やはり変わった服じゃのう」
「伊織が向こうにつないでくれたら、多分たくさん見られるよ」
「楽しみじゃな。……で、その“すまほ”が憑代ということじゃろうが、よいのか?」
「うん。もう、見なくても大丈夫だから」
この中に到底収まりきれない沢山の思いは、今の自分の中に確かにある。
むしろその思いによって、今の自分は作られているとさえ思う。
だからスマホは消えてしまっても大丈夫。
そう話す彩を、伊織は微かに笑って見つめた。
そして、ゆっくりと刀を抜く。
「準備はいいか、彩、猫」
「もちろん」
「では、行こう。…未来へ」
慎重につなぎの道を探っていた伊織が、見つけた、と小さく呟いて刀を振る。
と次の瞬間、斬り開かれた時のつなぎ目から、光と風が一気に弾けた-。
「っ……!!」
気を抜けば吹き飛ばされそうな暴風に、彩は手探りで隣に立つ猫と身を寄せ合った。
目が眩んで辺りもよく見えない。
「すごいな、これ……」
伊織の声も、激しい風の音で良く聞こえない。
「妖の気配も感じぬな」
「そりゃ、そうだろ。……これじゃ……うわっ!」
短く伊織が叫んだと同時に、今度は光と風が一瞬で消えた。
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