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第四十六話 再会

 光に眩んだ目が元に戻るより先に、耳が音を拾う。

 ずっと聞かなかった、ずっと聞こえるはずの無かった音。

 それは車の、信号機の、何処かの工事現場の、音。


 慌てて目をこすれば、次第に懐かしい街並みが形を為していく。

 更に驚くことに、その光景があるのは自分の眼下。

 自分の体はまるで鳥の様に空に浮かんでいた。

 それでも何故か、恐怖は感じなかった。


「戻って、きた……」


 捨てると決めたはずなのに、彩の心は否応なく震えてしまう。


 一方、彩の横に並ぶ伊織と猫は言葉を失っていた。


 数十階建ての高層ビル群、整然と立ち並ぶ住宅街、流れるように走る車。

 この世界は彼らの想像を遥かに超えていた。


「伊織、猫ちゃん……大丈夫?」

「……ああ、いや、驚いた……すごいな、未来って」

「そうじゃな。二百年もすれば、人間はこのような世界を作ることができるのか」

「うん。でも……どんなにすごい世界でも、私が居たいのはあの世界だから」


 自ら声にすることで、彩は本来の目的を思い出す。


「そうだ。私、伝えに来たんだ……自分の気持ちを」


 両親に、そして香奈に-。

 そう思った瞬間、周りの光景が歪んで一変した。



「……?! ここ、って」


 そこは室内だった。

 見慣れた家具の数々に、全てが夢だったかのような錯覚すら覚える。


「ここ、私の家だ! お母さんとお父さんに会わなきゃって思ったら……」

「そうなのか? こんなつなぎは初めてだが、もしかすると彩の気持ちに反応してるのかもな」


 少し考えるようにして、伊織が言った。

 猫も窓から上空を覗き込むようにして口を開く。


「妖の気配はやはり感じぬな」


 その時、廊下から声が聞こえ、彩は息を呑んだ。

 声は次第に近づき、そして扉が開かれる。


「少し休まないとお前が倒れるぞ」

「……だからって、辞める訳にいかないでしょ!あの子がどこかで待ってるかもしれ……ない………え?」


 リビングに入って来た彩の父母は、そこに立ち尽くす彩に気づき絶句した。

 二人の顔がひどく窶れ、それを目にした彩の心がずきりと痛む。


「お父さん、お母さん……私」

「「……彩!」」


 抱えた荷物を投げ出し、二人は彩に駆け寄った。

 床に散らばったのは、彩の写真に”娘を探しています"の文字が書かれたチラシ。

 だが、二人が娘に伸ばした手は虚しく空を切り、何度やっても触れることが出来なかった。

 これには彩自身も、伊織と猫も驚いた。


「……!! 何? どうなってるの、彩!」

「わ、分からない……私にも」


 彩は助けを求めるように伊織を見た。

 慌てて伊織が傍の猫に手を伸ばせば、何も問題なく触れることができる。

 時はつなげたはずなのに、この世界と自分達には目には見えぬ隔たりがある。

 つなぐ時が遠すぎるのが原因かとも思うが、伊織にもよく分からなかった。


 一方、彩の両親は彼らが映像だと考えたようで必死に辺りを見回していた。

 だが、もちろん何も見つかるはずもなく、血の気の引いた顔で彩に迫る。


「彩、お前……まさか死んでるのか? だから」

「違う! 私、生きてる。元気でいるから、信じて」

「じゃあ、どうして帰ってこないの? どうして触れないの!」

「ごめんなさい。……私、自分が生きて行きたい場所を見つけたの。大切な人達とも出会えた。だから……もう、帰れない」

「何、馬鹿なことをっ!!」


 そこでようやく彩の父は、娘の後ろに立つ伊織を認識したようだった。


「お前か? お前がうちの娘を!」


 伊織に掴みかかろうとするが、やはり触れることは出来ずに勢い余って膝をついた。


「やめて、お父さん! 伊織も猫ちゃんも、私を助けてくれたんだよ」

「ふざけるな、高校生を連れ出すなんて! その恰好も一体何なんだ? 彩、こいつらに騙されてるんじゃないのか」

「あなた、やめて。そんな小さな子が何するっていうのよ!」


 伊織一人ならば責め立てようもあっただろうが、傍らに立つ猫の姿に、母の方は少し冷静さを取り戻したようだった。

 

「突然いなくなって……たくさん心配かけて本当にごめんなさい。でも、誰のせいでもなくて、私が選んだことなの。そして自分で選んだこと、私、何も後悔してない」


 これまで彩には表立った反抗期も何も無かった。

 そもそも両親に表立って意見するということすらほとんど無い娘だった。

 その娘が今こんなにもはっきりと自分の思いを主張していることに、両親は驚いた。

 二人でしばし顔を見合って、そして痛みを堪えるような顔で父が口を開く。


「本当に……本当に大丈夫なのか? 辛い思いはしてないのか?」


 満面の笑顔で頷く彩に、二人は大きく息を吐いた。

 いなくなるずっと前から娘のこんな笑顔を見ていなかったと、今更になって気づく。


 しばらくして、涙に濡れた顔で母は微かに笑った。


「夢なのかしら……見たいものが見えてるだけかもしれない……でも、私は彩が幸せなら、それでいいわ」


 そう話す母に幻の姿が重なり、伊織は目を瞠った。


「彩、ずっと悩んでたんだよね。気づいてあげられなくってごめんね。……これからは、うんと幸せになりなさい。お母さんも、お父さんも……彩がどこにいても、ずっと味方だから」


 目を伏せて妻の言葉を聞いていた父は、拳を強く握りしめた。

 そして睨みつけるように伊織に視線を向けると、頭を下げ、声を絞り出す。


「あんた達が何者かは分からない。全て信じることも出来ないが……あんた達だけが頼りだ。どうか、娘を頼む。娘を、絶対に裏切らないでくれ」

「……この先何があっても娘さんを守ると、お約束します」


 伊織も深く一礼した。

 それを見届け、彩はもう一度笑った。


「今まで育ててくれて、本当にありがとうございました。会えなくても、ずっとお父さんとお母さんのこと、思ってるから。元気でいてね……さよなら」


「彩っ……待って!」


 手を伸ばす両親の前で、彩の姿はふっと消えた。


          ***


 瞬きする程の時間で、周りの景色が変わる。

 先程と同じ空からの景色だ。


「よく頑張ったな、彩」

「伊織も頑張ってくれたから。……ありがとう」


 泣かずに笑顔で別れを告げたいと思っていた、少なくとも彼らの前では。

 それが出来たのだから、ひとまず自分に合格点をあげていいだろう。

 手の甲で涙を拭い、彩は笑って伊織に話しかけた。


「ちゃんと私の未来に来られたね」

「そうだな。彩が正しかった」


 自分が願っていた通り、ここは間違いなく自分が消えた後の未来だ。

 伊織には、難しいのではないかと言われていた。

 ただでさえ前例の無い遠い未来へのつなぎだ。

 だが彩はどうしても、心配をかけている親や香奈に謝りたかった。

 そして、自分の気持ちを伝えたかった。


「次は……香奈にもちゃんと言わなきゃ」


 先程、居間の時計で時間は確認できた。

 この時間ならば、香奈は学校で部活だろうか。

 香奈の顔を思い浮かべると、再び景色が歪んだ。


          ***


 グラウンドでの走り込みを終え、休憩に入る。

 仲間数人で校舎脇の水飲み場に水を飲みに来て、香奈はふと名を呼ばれた気がした。


「香奈、行かないの?」

「あ……うん、すぐ行く。先に行ってて」


 皆を先にグラウンドに返してまでそこに留まったのは、その声に覚えがあったから。

 我ながらそんな馬鹿なと思うものの、一方で不思議と譲れない予感がした。


「彩? 彩、じゃないの? ……お願い。いたら返事して」

「……うん、いるよ。やっぱり香奈には敵わないな」


 そう言ってすぐ傍の木陰から現れた彩に、香奈は思わず息を飲む。

 

「彩……今までどこにいたの? ずっと心配してたんだよ!」


 焦って彩の両肩にかけた手が、何の抵抗も無く彩をすり抜ける。

 親と同じように目を瞠る香奈に、今度は彩が先回りして両手を大きく振る。


「大丈夫だから心配しないで。私、死んでないの。ちょっと事情があって、こんな感じなだけ」


 話し方も仕草も、すべて香奈の知る彩そのもの。

 安心と不安が入り混じり、香奈は足から力が抜けてその場に座り込んだ。

 彩も同じように腰を下ろす。


「彩……ごめんね。私、彩のことすごく傷つけた。彩のこと裏切って、守ってあげられなかった」

「そんなことない。私が香奈のこと、信じられなかったんだよ。ごめんね、大事な友達だったのに……自分から手放しちゃった」

「彩、戻ってきて。また一緒にいよう……約束してた桜、見に行こう」


 泣きながら懇願する香奈。

 彩は一度俯いたが、すぐに顔を上げ笑って見せた。


「私、ここにはもう戻らない。……でも、それはここが嫌だからじゃないの。香奈が責任を感じるようなことは、本当に何もないから」

「何言ってんの? 全然分かんない。だったらどこにも行かないで、ここにいてよ!」

「もう、決めたんだ。……昔から、自分で決められなくって、いつも香奈に頼ってばっかりでごめんね。これからは、私も香奈みたいにちゃんと自分で決めていく。私の目標はずっと昔から香奈だから。……今までずっと、本当にありがとう、香奈」

「やめてよっ、そんな最後みたいな言い方!」

「ね、香奈。私、香奈が笑ってるとこが大好き。明るくて、優しくて、太陽みたいで。……笑って、香奈」

「そんなの、今なんか無理だよ」

「お願いします、この通り!」


 おどけたように手を合わせたかと思うと、拝むように香奈の顔を窺う。


「……駄目?」


 こんな時に何を言ってるんだろうか。

 でも。

 私の大好きな、いつも一緒にいた頃の彩は確かにこんな子だった。

 そう思って、香奈は泣き顔のまま笑ってしまう。


「ありがとう、香奈」


 大好きだよ。


 言い終わる前に彩の姿はかき消えたが、その声は確かに香奈の耳に届いた。

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