第三十七話 告白
今日は一人で宝に会いに行こうと思う。
彩の言葉に、伊織は驚く。
「大丈夫なのか?」
「うん…それに少し、一人で自分のことも考えてみたいんだ」
幻の家までの道順は大体覚えていたし、猫が書いてくれた地図もあるから大丈夫だ、と。
それを聞いてもなお、伊織は心配そうにしていたが、最終的には小さく笑って頷いた。
「そうだな。宝のことも落ち着いたようだし、それも必要か。じゃあ、俺は……」
猫は早々に遊びに行ってしまったし、今日は仕事も入っていなかった。
ならば一人でどうしようかと思い悩んで、伊織ははたと気づく。
今までだってこうしてきたはずではないか。
すっかり彩がいることに慣れてしまった自分が恥ずかしくなる。
「どうかしたの?」
「え? いや、全然。……気にするな」
「そう? 伊織はゆっくり休んでてね。あまり遅くならずに帰るから」
「暗くなるようなら、俺が迎えにいくから」
「それじゃ、全然伊織が休んでないじゃない」
「あ……いや、でも俺は別に」
「駄目。休んでて」
彩は笑って出て行った。
それを見送った伊織は、寝転んで天井を見上げた。
そしてそのまましばらく考え込む。
心残りが無くなったならば、きっと彩は帰れる。
自分がつなぎさえすれば、元の世界への道は開かれるはずだ。
-お前は本当にそれでいいのか-
猫にも清にも師匠にも、全く同じことを言われた。
だが、自分の気持ちなど一体何になるというのか。
帰るな、と言えばいいのか。
帰って欲しくないからつなぎはしない、とでも言えばいいのか。
そこまで考えて、伊織は勢いよく飛び起きた。
「……そんな馬鹿なことあるか。おれはつなぎ屋だろ、しっかりしろ!」
そう呟いて、自分の頬を両手で強く叩く。
このまま家にいるとろくなことを考えそうにない、そう思った。
***
一方の彩も、家を出た時の笑顔は消え、思い詰めた表情をして歩いていた。
一人で宝に会いに行くと決めた訳。
伊織に告げた理由ももちろん嘘では無い。
だが最も大きな理由は、猫もいない中、普通の顔をして伊織と過ごす自信が無かったからだ。
仕事として、自分を帰すため奔走してくれた伊織。
記憶が戻ったことを誰より喜んでくれて。
やっと帰れると、言ってくれて。
なのに自分は今更何を迷っているのだろう。
これ以上ここにいても、伊織に迷惑をかけてしまうだけだと分かっているのに。
下を向いたまま歩いていた彩は、交差する道から突然現れた人物に全く気づかなかった。
そのままぶつかってしまい、互いに声を上げる。
「す、すみませんっ。私、全然前見てなくって」
「いや、こちらこそ考え、ごとを……あ」
「……清之助さん」
常ならば咄嗟に浮いた文句の一つでも言うだろう清之助が、今回は彩の顔を見て明らかに戸惑った顔をする。
「あ、えっと。この間は、宝の所に行っていただいてありがとうございました」
「……いえ、お気になさらずに」
「宝と遊んでくれたって聞きました、すみません」
「……暇でしたので」
「これから道場でお稽古ですか?」
「……そうです」
背負った竹刀袋を見てそう尋ねたが、清之助はやはり歯切れが悪い。
もしかして、自分の正体を知って気味が悪くなったのかもしれない。
そう思って、彩はこれ以上の深入りをやめた。
「宝が待ってますので、もう行かないと。お稽古、頑張ってください」
「……はい」
そうして背を向け歩き出す。
寂しいけれど仕方がない。
伊織や猫の反応こそ普通ではないと思うべきなのだろう。
「待って……待ってください、彩殿!」
「……?」
不意に大声で呼ばれて、驚いて振り返る。
周りの人々も、何事かと足を止める。
真剣な顔の清之助が、彩を追って駆けてきた。
「少しだけ……もう一度だけ、私に時間をください」
「清之助さん……?」
「幻さんの所までお送りしますから」
「え? でも清之助さんは道場に」
「構いません。気を紛らわすために行くつもりでしたが、無駄だと分かったので」
清之助の言葉の意味はよく分からなかった。
だが敢えて断る理由も無く、彩は同行を頼むことにした。
そのはずなのだが。
「…………」
「…………」
互いに言葉も無いまま、歩く。
彩の一歩先を行く清之助の背中からは、何の感情も窺えなかった。
気付けば辺りは表通りから一旦逸れたため、往来する者も少なく沈黙が痛い程。
困り果てた彩が意を決して口を開こうとした時。
「彩殿」
背を向けたままの清之助に呼ばれた。
「は、はい」
「彩殿は、すぐに元の世界へ帰られるのですか」
「……え?」
まさに自分が思い悩んでいたことを尋ねられ、彩は動揺した。
清之助が足を止め、ゆっくりと振り返る。
「あれからずっと考えていました。彩殿の希望が叶うのが一番だと、そう思ってあなたのことを忘れようとした。……伊織や猫嬢から聞いてるでしょう、俺は女性にだらしがないと」
「い、いえ。そんなことは……」
言葉に詰まる彩に、清之助は小さく笑った。
「隠さずとも結構ですよ、自覚もありますから。……でも、彩殿とお会いする度、俺はどんどん自分が分からなくなっていくんです。去る者は追わず、それが俺の信条だったはずなんですが、今回は全くそれができません」
「…………」
「俺は、あなたを帰したくない。……もしもここに残ってもらえるのなら、俺が絶対にあなたを守ると約束します」
「……清之助、さん」
まっすぐな清之助の視線が、彩を捉えていた。
確かに、本人の立ち振る舞いに加え、伊織達の言葉もあり、出会った時からずっと女好きという印象のあった清之助。
だが、彩に対してはいつも丁寧な言葉遣いであったはずの彼の一人称が、いつの間にか「私」から「俺」へと変わっていることに、彩は気づいた。
取り繕うことを忘れる程、真剣だということなのかもしれない。
そして、そんな今の彼の言葉に偽りは無いように感じられた。
ならば自分も偽りを言うことはできない。
「ごめんなさい、私……自分でも分からないんです。どうしたらいいか」
迷っている自分の気持ちを吐露した。
帰るべきであることと、帰りたい気持ち、帰りたくない気持ち。
清之助は、彩の言葉に伏し目がちな笑みを浮かべた。
「彩殿が迷っておられるのは、なぜです?」
「え……?」
「記憶は戻り、元の世界へのわだかまりは消えたのですよね? それでもなお、あなたが帰りたくない理由……それは、伊織なのではないですか?」
「……伊、織?」
戸惑う彩を見て、清之助は大きくため息をついた。
「本当に困った人だな、あなたも伊織も。……でも理由が何であれ、彩殿が帰らずにいてくれるなら、俺は諦めません。伊織にも、絶対に負けません」
「清之助さん……」
「彩殿にきちんと伝えられてよかったです。……俺はやはり悩むより動く方が性にあってる。今日は師範にも余裕で勝てそうな気がします」
そう言って清之助は、やっと見慣れた笑顔で笑った。
「進む道が決まったら、俺にも教えてくださいね。……もしも元の世界へ帰ることを選んだとしても、黙っていなくなるのは無しですよ」
「……はい」
清之助は少し切なげだが、どこか晴々とした表情でそう言うと、来た道を戻っていった。
気付けばもう、幻の家は目と鼻の先である。
結局清之助は、共に歩いた道を丸々戻っていくのだろう。
彩は、そんな清之助の優しさをありがたく思う。
彼の望みに応えることは、きっと難しいけれど。
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