第三十五話 記憶
結局、宝に会いに行くのは翌日にした。
泣きはらした目も原因ではあるが、少し気持ちを整理した方がいいという伊織の助言もあったためだ。
「すぐ帰りたいのはやまやまだろうけど。宝のことも気になってるんだろう? 今回は、出来る限りこちらに心が残らぬようにした方がいい。つなぎに影響する可能性がある」
「うん……伊織に迷惑じゃないなら、もう少しだけ時間、ください」
「迷惑なんてある訳ないだろ」
そう答えて、伊織は笑って見せた。
一方の清之助は、まだ複雑な表情のままである。
それでも、帰りに幻の家に立ち寄ることを引き受けてくれた。
「すみません、清之助さん」
彩が頭を下げると、困ったような笑顔を見せる。
「気になさらずに。彩殿はまず自分のことをお考え下さい。何なら私が宝と遊んでおきますから。子供の扱いは結構得意なんですよ」
「猫の扱いは苦手なようだがな」
「猫嬢は特別だ。お前だって似たようなもんだろが」
「俺はもともと子供の扱いが得意じゃないから、別にいいんだ」
「そこで威張るな」
伊織の軽口に応じることで、清之助も時代にいつもの調子が戻ってきたようだった。
「では、遅くなっては宝も心配するでしょうし、そろそろ行くとします。またな、伊織……彩殿も」
「はい、また」
そして外に出て、後ろ手に戸を閉める。
何とか無理やり作った笑顔も限界だった。
俯いて歩き出した清之助だが、すぐに足を止めた。
小さく溜息をついて、目の前の人物に話しかける。
「盗み聞きとは少々行儀が悪いね、猫嬢」
「お主も伊織も、苦手なワシはおらぬ方がよかろう。気を利かせたまでのこと」
「なるほど。……じゃ、彩殿を頼むよ。伊織だけでは心許ない」
「言われずとも。お主はまず自分の顔をなんとかせい。この世の終わりのような顔をしておるぞ」
「幻さんの家に着くまでには何とかする……多分ね」
項垂れた清之助の後ろ姿を横目で見やり、猫は戸を開ける。
部屋の中では彩が“すまほ”とやらを手にし、それをすぐ横から伊織が覗き込んでいたが、猫に気付くと二人とも顔を上げた。
「あれ、早いな猫」
「お帰りなさい、猫ちゃん」
夢中になっているので二人とも気づかないのだろうが、かなりの至近距離である。
気付けば互いに真っ赤になって部屋の端から端まで離れるくせに。
伊織はともかく彩も相当鈍感な女子じゃな、と思って呆れる猫である。
「虹丸が父の使いに出てしまったのでな。少々前から戻っておったので、大体の話は聞こえた」
「なら話は早い。お前も見てみろよ。“すまほ”ってすごいんだぞ、本当に」
子供のように目を輝かせて伊織が猫を手招きする。
呆れたまま伊織と反対側から彩の持つ“すまほ”を覗いた猫だが、さすがに驚きの声を上げた。
「……ほう、これは」
その小さな四角いものの中に、笑顔の彩と見知らぬ女子がいた。
彩の指が表面に触れると、また別の彩が現れる。
それぞれが違った場所で、共にいる人間はその女子が多いようだが他の人物もいるようだった。
「写真っていうんだ。……最近ずっと撮ってなかったから、ちょっと前のだけど」
そこに映る彩は、どれも笑顔だった。
「楽しそうじゃな」
「……写真は、そういう時に撮るものだから。悲しい時には撮らないよ」
だから最近の写真は無いのだ。
そう思って切なくなると同時に、ふと彩は違和感を感じた。
「あれ……待って」
「どうした、彩」
「……この、日付」
真っ先に確認した大量のメッセージ。
送信日時はすべて、元の世界で自分の記憶がある最後の日より後。
内容からしてもそれは当然だろう。
彼らは自分が消えたことを心配しているのだから。
「当然? 違う……当然じゃない」
「彩?」
「これ、私がいなくなった後に送られたメッセージが届いてる。……このスマホ、私と一緒にこっちに来たんじゃないってことだよね?」
彩の言葉が理解できずに戸惑っている二人に、必死に説明する。
今いるこの世界で、メールの受信など出来るはずがないこと。
だとすれば考えられるのは、自分がこちらに来た後もスマホだけは元の世界に残っていたということ。
そして男性の証言通り、これは昨夜の雷雨の中、突如としてこの世界に現れたのであろうこと。
「確かに、彩が降ってきたときには他に何も無かったよな。次の日にあそこに行った時も見つけられなかったし」
「うむ。彩はあの時からこの“すまほ”のことを気にしておったのじゃな」
「……うん。これが無いと、私の時代の人間は何もできなくて不安になるの」
伊織は腕組みをして唸った。
「でも何でそんなことが起きるんだ? 物だけをつなぐのは不可能だ。そもそも物に感情なんてないんだから。……とすると、やっぱり彩がこちらに来たこととつなぎは関係ないってことなんだろうか」
「……我が主がここまで阿呆とは情けなや」
伊織の言葉に、猫は大きな溜息をついた。
「いきなり何を言うか、お前は」
怒る伊織を無視して、猫は彩を見つめた。
内まで見通すようなその視線に、彩は思わず目を伏せてしまう。
「彩。すべて思い出したのならば、なぜこちらに来たのかも分かっているのではないのか?」
「……あ」
「あ、ではないわ馬鹿者。お主など半人前と言われて当然じゃ」
これはさすがに言い返すことも出来ない。
伊織は黙って、彩に視線を移した。
「……思い出したのは、全部じゃないの」
彩は、下を向いたまま口を開いた。
スマホを握る手に自然と力が入る。
「どうしてここに来たかは、本当にまだ思い出せてないんだ。……でも、その直前に自分が何をしてたかは、分かった」
予感はしていたけれど、この二人には隠したかった本当の自分。
けれど前に苦楽が言ったように自分の行動が鍵になるなら、この事実を隠したままでは済まないはずだ。
彩はそう心を決め、思い出した事実を告げた。
「私、あの日ね……死のうとしてたんだ」
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