第三十二話 若旦那
その夜、彩は久しぶりに夢を見た。
いや、実際にそれは本当に夢なのかどうか、自分でもよく分からなかった。
見たのは、自分がいない元の世界だった。
一人の女の子が、その子の部屋らしき場所にいる。
見覚えのあるような後ろ姿。
でもやはり名前は分からないし、顔も見えない。
彼女が握りしめた写真が小さく震えている。
遠くてよく見えないが、一人は自分のような気がした。
彼女は、絞り出すように呟いた。
-ごめん、彩。全部、私のせいだ……ごめんね-
次に見えたのは、両親だった。
両手で覆われて顔は見えないが、母親だと思った。
ならばその横に俯いて座るのは、きっと父親だ。
-私のせいだわ。あの子の話も聞かないで、追い詰めてしまってた-
-そんなことはない。きっと無事に帰ってくるよ-
-ごめんね、彩。どうか、無事に戻ってきて-
「…………」
目覚めて、彩は頬を伝う涙に気付いた。
指でそれを拭って横を向くと、伊織と目が合った。
「……おはよう、伊織」
「おはよう。……大丈夫か?」
「うん、大丈夫。夢、見たの。自分の妄想かもしれないけど、私のことを心配してくれてる人達の、夢」
それを聞いて、伊織が笑って頷いた。
「そうか。……きっとそれは、現実だよ」
今日はまず宝の様子を見に行こうと皆で決めていた。
朝餉を食べ終え支度をしていると、激しく戸が叩かれた。
「すみません、つなぎ屋様!」
「……あんたは、大内の」
大内家というのは、彩と出会ったあの日につなぎを成した、あの豪商のことだ。
額に汗を浮かべた大内家の使用人は、休まず走ってきたようで、息を整えながら伊織に訴えた。
「若旦那がどうしてもと。何とかおいで願えませんか」
「いや、ちょっと今日は……」
「急なお願いのため、もちろんお代は前回よりも多く致しますので何卒と、大旦那様が」
「行くぞ、伊織」
「なっ……猫! 勝手に決めるな」
「この時間じゃ。仕事の後で幻様の所に行っても十分じゃろう」
「だから、決めるのは俺だって」
抗議する伊織を無視して、猫は彩に問う。
「お主はどうする? 宝が心配ならば先に行くのもよかろう。道は教えるぞ」
「そ、そうだ、彩は先に行け。そもそもこの仕事も彩に見せるものじゃない」
「なら行く。私決めたの、もう伊織一人に背負わせないって」
「え? あ、いや、違う。危険とかじゃなくてな……その」
「何度も言ってるだろうが。お前の言い方は逆効果じゃ」
「……はぁ」
結局、伊織が上手く説明できぬまま、三人揃って大内邸へ向かった。
伊織の返事を伝えるため、先程の使用人は一足先に戻っている。
「今日は袴じゃなくていいの?」
「……洗って干してるところだしな。ま、今日のはそもそもいいんだ」
「気を抜くなよ、伊織」
「お前こそ、金に惑わされ過ぎだろう」
「失敬な。金の価値を知っておるだけじゃ」
***
辿り着いた大内邸では、出迎えた大旦那に先導され、長い廊下を歩いた。
「急に呼び立てて済まぬな、つなぎ屋。倅がどうしてもつなぎ屋を呼べと、昨日から何も食べずにごねておってな」
「……はあ、そうですか」
相変わらずの親馬鹿ぶりである。
屋敷の最も奥の部屋の前で立ち止まった大旦那が、声を掛けて襖を開ける。
するとそこでは一人の青年が布団に伏していた。
確かに食べていないのか青ざめた表情であるが、伊織の姿に気付くと飛び起きた。
「おお、つなぎ屋! 来てくれたか」
そして父親から渡された包みと、綺麗な細工の簪をいそいそと差し出した。
「これでどうか頼む」
伊織は小さく息を吐くと、包みを開けた。
彩でも分かるほど、これまでの依頼者と違う量の対価がそこにあった。
「……分かりました」
そして、いつものように時を斬り、依頼主の願う時につなぐ。
ただいつもと違うのは。
「それでは、こちらへ」
大旦那によって、強引に部屋から追い出される。
驚く彩だが、他の二人は諦めきった表情だ。
「前回も言いましたが、つなぎの場から目を離すのは危険なんですよ」
「分かっておるが、倅の好きにさせてやってくれ。無論、大事があれば立ち入ってもらって構わない。しっかり頼むぞ」
そう言い残し、大旦那は長い廊下をまた戻って行った。
「大事があってからでは遅いだろうが」
「まあ、気にするな。お主の貴重な収入源であるぞ」
「えっと……どういうこと?」
伊織は廊下の縁に座り、足を下におろした。
猫もその横に同じように座る。
「逢引の邪魔をするなということじゃ」
「あいびき……?」
「分からぬか。男と女がの」
「黙れ、猫。……彩も少しは察しろ」
「あ……ごめんなさい」
「だから来るなと言ったんだ。ほら、ここに草履があるから、ちょっと借りて庭でも見て来たらいい」
「う、うん」
しばし何事も無く時が過ぎた。
日差しは温かく、つい眠くなる程。
猫がうとうとする横で、伊織はぼんやりと空を眺めている。
彩はといえば、言われた通りに状況を察し、気まずさから彼らの元に戻れずにいた。
するとその時、部屋から男の叫び声が聞こえた。
「つなぎ屋! 助けてくれ!」
即座に伊織が襖を開け、目前の光景に溜息をつく。
妖の群れが若旦那と傍の女性に襲い掛かっている。
若旦那は、女性を守ろうとしているようだったが、やはりただの人間では敵わないようだった。
「だから言ったでしょうが! 伏せててください」
猫が出るまでも無い。
伊織は刀で次々と妖を斬り伏せた。
その後には、既に女性の姿はない。
「妖に囚われればつなぎは崩れる。今回はもう仕舞ですよ」
伊織の言葉に、若旦那は返事をしなかった。
代わりに思いつめた表情で、伊織に尋ねた。
「なあ、つなぎ屋。お前に頼めばすぐにお凛に会うことはできる。だが、それは幾ら重ねても現実にはならぬし、一方で、現実ではなくともお凛がああして化け物に狙われるということだよな」
「……そうです。それに、幾度も妖に囚われれば、あなたもいつか戻れなくなるかもしれません」
若旦那はまっすぐに前を向き立ち上がった。
先程までの彼とは別人のように、その目に力があった。
「俺は過去ではなくこれからを、お凛と生きて行きたい。こんな形で死ぬわけにはいかないし、どんな状況であれ、お凛を危険な目に合わせたくない。体裁など知ったことか。もうごまかすのはやめだ。……俺はお凛を見つけに行く」
伊織は小さく笑って頷いた。
「いいですね、俺も賛成ですよ」
呆然としたのは、息子の決意を聞かされた大旦那。
口を何度となく開閉させ、しばらくは言葉を見つけられないようだった。
それでも最終的には、お臨は手を尽くして見つけ出すから家は出るなと懇願した。
あとは親子で話しあうべき問題だろう。
大旦那の行き場の無い怒りを感じながらも、伊織達は大内邸を後にした。
「せっかくの収入源であったのに」
「いや、あれでいいんだよ」
いつもに増して仏頂面の猫と対照的に、伊織は嬉しそうだった。
それを見る彩も、自然と嬉しくなる。
「よかったね、伊織」
「ああ、そうだな」
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