表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/48

第二十八話 正体

 苦楽が去った部屋で、残された伊織は思う。


 冗談めかしていたものの、苦楽の言葉は正しい。

 それでも自分は割り切れずにいる。

 こんな自分がつなぎ屋を続けていいのだろうかと。


 その時突然、背に重みを感じた。

 驚いて振り向けば、猫が自分に覆い被さるようにもたれかかっている。


「何だよ。重いぞ、離れろ」

「また下らぬことを考えておるのだろう。馬鹿な頭でいくら考えても無駄じゃ」

「悪かったな」

「お主はただ感じるままに動けば良い。……それは正解ではなくとも、決して間違いではないはずじゃ」

「……」

「虹丸のこと、感謝しておるぞ」

「俺じゃなくて苦楽にだろう」


 いや、と猫は小さく呟いた。

 そして先程から無言で俯いている彩に視線を移す。


「苦楽は……本当は何を望んでおったのだろうな」


           


 夜の気配が近づく江戸の町に、音も無く雨が降り出した。

 その中を一人、苦楽は手にした傘もささずに歩く。

 いつもと変わらぬ穏やかな表情が、一歩進むごとに憂いを帯びていき。

 やがてゆっくりと立ち止まると、横の壁に映る己の影を一瞥した。


「まだだ。……手出しは一切無用、そう伝えよ」


 普段の彼から想像もつかぬ程低く冷たい声を受け、影が溶ける様に消えたが。

 それを見届けることもなく、苦楽は再び歩き出した。


           ***


 それから数刻。

 闇の中、途切れることなく降り続く雨に濡れ、ようやく帰宅した苦楽は、静かに戸を開けた。

 と、思いがけず明るい室内に驚く。


「……幻、さ」


 だが、言い終えるより先に、視界が遮られた。


「世話の焼ける僕だ。傘をさせと言わなかったか」


 自分の頭に掛けられたのが手拭いだと気づいた時、戸口のすぐ横に立っていた幻が、呆れた口調で述べた。


「……幻様。お休みではなかったのですか」

「休んで欲しければ無駄な心配をさせるな。その手の傘は何の為のものだ。これではお前に伊織を笑う資格は無いぞ」

「それは……困りますね」

「まずはさっさとその着物を替えてこい。それから報告を聞かせてもらう」

「承知いたしました」



 着替えてきた苦楽から虹丸の一件について聞かされた幻は、小さく笑った。

 何処かから風が入るのか、行灯の明かりも揺れる。


「伊織の驚いた顔が目に浮かぶようだな」

「やりすぎてしまいました」

「お前の言葉は正しい。だが、正しさだけが全てではないのだ。此度が無事であったのは、虹丸自身の力によるもの。それを忘れるな」

「……御意」


 苦楽の返答の後、沈黙が部屋を包む。


 幻は、やがて微かに笑みを浮かべた。


「幼い心に恨みを残したまま生きて行くのは辛かったであろうな」

「…………」

「苦楽」

「はい」

「人の心に最も深く刻まれる想いとは何だと思う?」

「……分かりません」

「私は、喪失だと思う」

「……喪失、ですか」

「そうだ。大切な人を失った痛みや悲しみが癒えることはない。何故なら、失われた瞬間から、その者の中で時は止まったままだからな。……そこには本来、つなぎ屋の出番など無いのだ。現実の時が過ぎ、季節が幾度巡ろうと、失われた人は、変わらず心の中に生き続けている。決して届かぬのに、いつまでも鮮やかに」

「…………」

「さらにその喪失が、何者かによって意図的に行われたものならば。その相手を憎み、仇討ちを望むのは至極当然のこと」


 幻は真っ直ぐに苦楽を見つめた。


「人の心とは言ったがな……妖とて思いは同じではないか、苦楽」

「幻、様……?」

「痛む心を抱えたまま、長く側に仕えてくれたことに感謝する。だが、そろそろ己を解放してやってはどうだ」

「幻様、一体何を……」

「お前のことなど全てお見通しだと、常に言っているだろう。……ずっと昔から、分かっていたよ」

「……!!」



 苦楽が幻の前に現れたのは、まだ幻の父親が存命で、幻も幼かった時。

 苦楽は有能で優しくて、すぐに父娘だけの寂しい生活に溶け込んだ。


 そんなある日。

 父親が頼んだ用向きで苦楽が不在となった折、彼は幻に語りかけた。


 -苦楽からは、俺がかつて殺めてしまった妖とよく似た気を感じる。だが、揺れているな。……あいつはいつか、俺やお前の命を狙うことを選ぶかもしれない。悩んで、苦しんで出した結論がそれだとしたら、幻はどうする?-


「……隠し、切れているものと、ばかり」

「親父の感の鋭さは、お前も充分知ってるだろう。……そして、それを気取られない狸ぶりも。我が親父ながら、ただの人間とは思えん」


 苦笑して、幻が言う。

 だが、気取られなかったのは幻も同じだ。

 なぜ-。


「幻様は何と……何とお答えになったのですか」

「親父と同じだ、と答えた」

「では……お父上は何と」

「みすみす殺されはしない。だが、もしもその時、自分を生き切ったと胸を張れるならば、苦楽の願いを叶えてやりたい。……それが親父の思いで、同時に私の思いでもある」

「…………」

「何と言う顔をしている、苦楽」

「……幻様」

「お前がいなければ、親父亡き後、私は今日まで生きてこられなかった。そして、今ここにいるからこそ、伊織のような弟子にも巡り合えた。唯一残る気掛かりと言えば、彩を元の世界に返すことだけだが、伊織ならば必ずやり遂げるだろう。……だから苦楽、お前はその心のままに生きよ」


 苦楽は、膝に置いた両の拳を、強く握りしめた。


「お察しの通り、私はあなたを殺めるよう命じられてきました。幻様のお父上は、私の兄の仇……残された父母は今も、仇の子であるあなたを憎んでいるのです」

「うん」

「仇討ちを胸に秘めお二人と共に暮らす中で、私は次第に父の命に疑問をもった。やがてお父上が亡くなり幻様と二人きりになり……いつしか私は父からあなたを守りたいと思うようになった。いや、そう思い上がっておりましたが、結局はずっと、あなたに守られていたのですね。……ですが幻様、あなたは一つだけ間違えておられる」

「そうか」

「喪失は、新たな存在により埋めることができる。私はそれを知りました。……今の私にとっては、あなたの存在が全てです。私には幻様を殺めることは」

「苦楽」


 幻は静かに、だが鋭く苦楽の言葉を遮った。


「それ以上は言うな。お前にも、もちろん私にも、今はそれぞれに背負う立場がある。想いだけで生きて行けた幼き頃とは違うのだ。居心地の良さに甘えてここまで来てしまったが……我らは長く共に居過ぎたのかもしれぬな」


お立ち寄りありがとうございます。どんなことでも構いませんので感想を頂けると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ