第二十七話 甘さ
伊織が再び時を斬り、辺りが見慣れた長屋の一室に戻る。
それとともに、虹丸の片手に握られていた母の手ぬぐいが淡い光に包まれ消えた。
「…………」
虹丸は己の掌をしばらく見つめていたが、我に返ったように溜まった涙を力任せに拭った。
そして、まっすぐに伊織を見上げる。
「嘘ついて、ごめん」
伊織は、虹丸の頭に手を乗せて笑った。
「知ってた。お前の考えなんてお見通しだ」
「そっか。……それでも依頼、引き受けてくれたんだな」
「お前なら、きっと最後は分かってくれると思ってた。……まあ、今回はちょっと横やりが入ったけども」
そう言って苦楽を軽く睨みつけるが、相手は素知らぬ顔をしている。
「うん、ありがとう。猫も、本当にごめんな」
傷口を舐めようとして彩に止められていた猫が、呼ばれて顔を上げる。
「謝るな、虹丸」
「でも」
「お主が為したことは間違いであったか? つなぎを後悔しておるのか?」
「違う」
「では謝るな」
「……分かった」
その時、戸が叩かれた。
「伊織、虹丸。いるのか?」
「父ちゃんだ!」
虹丸が戸口に駆け寄った。
そして、開いた戸の向こうで心配そうに立ち尽くしていた佐野の腕の中に飛び込む。
「虹丸! ……無事だったか、よかった」
「うん、俺、母ちゃんに会えた。父ちゃんを頼むって。幸せになれって……母ちゃん、笑ってたよ」
「……そうか」
虹丸を抱き抱えながら、佐野が伊織の方を見た。
伊織が笑って頷くのを見て状況を察し、深く頭を下げる。
そして再び頭を上げると、目の前に団子が突き出されていた。
「なんだ、これは?」
「虹丸とあんたの分。これ食べながら、虹丸の話、いっぱい聞いてやりなよ」
「……おう。ありがとな、伊織」
佐野は顔を綻ばせて笑い、虹丸と共に帰って行った。
「まあ、めでたしめでたし、というところかな」
二人を見届けてにこやかに話す苦楽に、いや待て待てと伊織が詰め寄る。
「あんたこそ、何か謝罪は無いのか?……どうなることかと肝が冷えたぞ」
「おや、虹丸を信じてたんじゃなかったのか?」
「信じてたよ、信じてたけども! あれはさすがにやりすぎだ。万が一ってことも十分あり得た」
「それでも守るんだろう、君が虹丸を」
「……そりゃそうだけど」
伊織、と少し強い口調で苦楽が呼んだ。
「君の腕は確かだと思う。刀捌きも見事だったよ。だけどまだ幻様には到底及ばない。何故か分かるかい?」
「……分からん」
「甘いんだよ、伊織は。優しいだけじゃ真実は見えない。依頼主が命がけで選び取ることでしか導かれない答えがある。その選択を突き付けるのもつなぎ屋の仕事だ。幻様は、そんな場面にいくつも立ち会ってきたんだよ」
「…………」
「もちろん中には選択を誤った者もいる。けれど幻様はその全てから目を逸らさなかった。今回は虹丸は明らかに仇討ちを考えていた。それがあの子の本当の願いだったんだろう? ならば、その願いを叶える選択肢を与えるのが君の仕事じゃないのか? 悪意からただ遠ざけるだけではなく」
「…………」
伊織は返す言葉も無く、呆然と苦楽を見つめている。
と、苦楽がにこりと笑った。
「なぁんてね。幻様っぽく言ってみたけど、実は私も今回は我ながら上手く行ったものだと思ってるよ」
「……は?」
「いや、あれで本当に虹丸に何かあったらどう責任取らされるかと思って、ちょっと焦ってたんだけど。結果全て上手くいっただろう? 本当によかったね」
「……あのな」
「苦楽は幻様の真似が上手いのう。ワシもそんな風になりたいぞ。あ、伊織の真似がしたい訳では無いからな。幻様の様になりたいということじゃ」
「……はいはい」
張り詰めたその場の空気ががらりと変わったが。
その中で一人、彩は苦楽の真意を測りかねて戸惑っていた。
虹丸に仇討ちを勧めたあの瞬間。
彩はそこに苦楽の本気を感じた。
なぜなら虹丸の願いは、前に彼が述べた告白に繋がっていたから。
-彩さん。私はね、幻様を殺すために生きているんです-
ーどうして……? だって苦楽さん、幻さんを-
-初めから、私は一族の駒に過ぎないのですよ-
***
その後、伊織と苦楽は彩の件について話し合った。
未来につながるような記憶はまだ取り戻せていないこと。
伊織や猫が、彩につなぎの気配を感じないこと。
それを聞いた苦楽は、自分も彩につなぎの気配は感じないと言った。
「確かに、これだけ長い時間のつなぎというのも為しがたい気がする。やはり彩さんはつなぎでこちらに来たと言う訳では無いと考えた方がいいのかもしれないね」
「それなら突然消えることも無さそうだな」
伊織の声が嬉しそうに聞こえた気がして、密かに思い悩んでいた彩も一瞬嬉しくなる。
が、次の瞬間、そんな身勝手な自分が恥ずかしくなり俯いた。
勘違いするなと自分を叱咤する。
伊織は仕事に対する責任感でそう思っているだけなのだから。
「どうかしたかの、彩?」
下から覗き込むような猫の仕草に、慌てて首を振る。
「違う、全然大丈夫。……うん、気にしないで」
「ふぅん」
そして日暮れが近くなった頃。
「また来るよ。もちろん、伊織から訪ねてきてもらってもいい。幻様も会いたがっているからね」
「鞠を捨てたら行くと言っといてくれ」
伊織の返答に穏やかに笑い、苦楽は去って行った。
お立ち寄りありがとうございます。
どんなことでも構いませんので感想を頂けると嬉しいです。




