第二十五話 親と子
その日の夜遅く。
伊織の家は、新たな来訪者を迎えていた。
遠慮がちに戸口を叩き、入って来たのは体格の良い一人の男性。
「よう、伊織。……悪いな、うちのが迷惑かけてよ」
「全然迷惑じゃないよ。……虹丸は、もう寝たのか?」
「ああ。ずっと興奮しててな。なかなか寝やがらなくって遅くなっちまった」
「とりあえず、中へ」
男性は、伊織に促され中に入ってきた。
猫、そして彩に視線を移し、軽く頭を下げる。
「あんた、彩ちゃんだろ。俺は虹丸の父親の佐野鉄二。あんたとは初めて会うけど、よく虹丸が話してるよ。長屋の連中もな」
虹丸によく似た人懐こそうな笑顔で話しかけられ、自然と彩も笑顔で挨拶を返した。
目を細めて頷いた佐野は、次に大きく息を吐いた。
「虹丸の奴、俺には心配かけないようにってずっと黙ってたからよ。……もう三年か。初めてお前から、あいつにつなぎを頼まれたって聞いたときゃ、まず驚いた。けど当たり前だよな。俺が我慢させてただけだ」
「人の生死は変えられない。それを知った虹丸が考えたのが、母親の死を自分の目で看取ることだった。だが、大人であっても身内の死に向き合うのは辛い。だから大人になるまではと条件をつけたんだが……あいつの覚悟に、俺は勝てなかった。……すまない」
頭を下げた伊織に、佐野は大きく首を振った。
「伊織のせいじゃねぇ。あいつは、お前が何回断ったって諦めないよ。馬鹿みてぇに頑固なところは母親そっくりでな。……あの日も、俺が迎えに行くまで待ってりゃよかったのに、言うこと聞かねぇからさ」
「……」
そこまで言って、佐野は皆の表情に気付き、慌てて笑顔を作った。
「すまん。こんな愚痴を言いに来たんじゃねぇんだった」
そして、畳に額をつけるまで深く頭を下げた。
向かいに座る伊織も、それを見て居住まいを正す。
「伊織。……どうかよろしく頼む。あいつが用意したっていう対価じゃ全然足りないのは分かってる。でも、あいつが自分で働いて工面した金だ。俺が足してもいいなら、多くはないが用意する。だから」
「金の多寡を判断するのは俺じゃない。依頼主自身が妥当だと思う分で充分だ。それより……あんたはどうする。明日、一緒に来るか?」
伊織の言葉に佐野は一瞬驚いたように目を瞠り、そしてしばらくして大きく息を吐いた。
「いや、俺はいい。正直言って、俺、まだ向き合えてねぇんだ。あの夜、あの場所に立って、あいつを殺したやつに出会ったら、多分自分を止められねぇ。……息子の方がとっくに覚悟決めてるってのに、随分情けねぇ父親だけどもよ」
佐野は、虹丸が自分と同じく仇討ちを考えているとは微塵も思ってもいないようだった。
ならば敢えて今、父親の気持ちを乱すこともない。
そう考えて、伊織はゆっくりと首を振った。
「当然の感情だ。あんたが恥ずべきことは何もない」
「……ありがとな。じゃあ改めて頼む。虹丸が後悔しないように、見守ってやってほしい。……そして、無事に俺のもとに帰して欲しい。都合の良いことばかり言ってるのは十分承知してるんだが」
「それも父親なら当たり前の言葉だよ。虹丸は、俺と猫か必ず守る。信じてくれ」
「……すまない」
何度も頭を下げて佐野が帰った後、彩は伊織に尋ねた。
「ひとつだけ、聞いてもいい?」
「もちろん。どうした?」
「どうしても、お母さんを助けることはできないの?」
「出来ない。初めは虹丸もそう願ってたんだ、母親を助けたいからつないでくれって。……でも駄目なんだ。いや、実際には出来るが、やってはならない。俺がつなぎ屋になる時、初めに師匠から厳命されたことだ」
「……どうして?」
「犠牲が大きすぎる。人の生死を変えるに値するのは、人の命そのもの。師匠は一度だけ、依頼主の命と引き換えに死人を生き返らせてるんだ」
「……!」
「随分昔の話らしいけど、師匠はそれをずっと悔やんでる。だからあんまり詳しく語らない。まあ、俺も生死を変えることはつなぎ屋の範疇じゃないと思ってるから、そういう依頼は引き受けない。……依頼話は結構来るんだけどな」
少し寂し気に笑って、伊織は続けた。
人間って奴は業が深いもんだな、と。
***
夜が明けた。
佐野は今日は朝から仕事だと話していた。
そんな日は虹丸は父の代わりに家事を行う。
それを終えて来るとすると、少し遅くなるはずだ。
しかし、彩が目覚めた時には、既に伊織は布団の上に座していた。
寝ていないのかもしれない。
それでも、ここ数日で腕を上げた彩の朝餉を褒めてくれる伊織の様子は、いつもと変わらなかった。
昼より少し前に姿を現したのは苦楽。
その手には例の店の団子が抱えられていて、伊織を喜ばせた。
「さすが苦楽。気が利くな」
「伊織は団子さえもらえれば誰にでも懐きそうだな」
「……子供か、俺は」
「子供に失礼じゃ」
団子を食べながら、虹丸を待つ。
今日これから行うつなぎについては、誰も触れずにいた。
と、猫が小さな鼻をすんと鳴らした。
「来るぞ」
直後、突然戸が開かれる。
最早戸を叩くことすらも忘れられたようだ。
「頼もう!」
威勢よく言い放った虹丸だが、その顔は、この場にいる誰が見ても緊張しているのが分かる程。
伊織は小さく笑うと、団子を手にして振って見せた。
「まあ、焦るな。苦楽の差し入れだ。美味いぞ」
「食い物でごまかそうったって騙されないぞ」
「するか、そんなこと。つなぎは必ずやる。だから、ほら。こっちに来い」
「普段の信用の無さ故じゃな」
「だからうるさいって」
普段通りの伊織や猫の様子に、安心したのだろう。
少し表情が和らいだ虹丸は、首を小さく振った。
「ありがと。でも今はいいや。全部終わったら、もらう」
「……そうか」
伊織は、虹丸の答えを聞くと頷いた。
勿論、虹丸の胸の内はそれどころではないと分かっていた。
そして、傍らの刀を手に立ち上がる。
「それじゃ、始めるか。猫、苦楽……頼むぞ」
「承知」
虹丸にしっかりと母の形見の手ぬぐいを持たせ、そして伊織は時を斬り開いた-。
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