第二十四話 嘘
そうして何事もなく五日が過ぎた日。
苦楽がふらりと姿を見せた。
「幻様が彩さんのことを大層心配されててね。買い出しついでに寄らせてもらったよ」
「本当に信用されてないな、俺は」
「当たり前じゃ」
苦楽や猫との普段通りのやり取り。
そこに気を取られた伊織は、一瞬強張った彩の表情を見落とした。
「彩さん、体調はいかがですか」
苦楽に呼び掛けられて皆の視線を受ける時には、既にいつもの彩の笑顔で。
だから伊織は気づけなかった。
「大丈夫です」
「あれから何か思い出したことはありますか」
「いいえ、それは何も。……すみません」
「とりあえず元気なんだからいいだろう。そうやって急かすなと」
「確認しただけだよ。本当に伊織は彩さんのこととなると目の色が変わるね」
「いや、そんなことは」
「皆分かっておるぞ」
「なっ……おい!」
慌てる伊織に、苦楽と猫が笑う。
とその時、誰かが外から戸を強く叩いた。
そしてこちらの返事を待つまでもなく、その戸が勢いよく開けられる。
「よう、伊織。苦楽さんもこんちわ」
「やあ、虹丸。久しぶりだね」
「……あのな。そろそろ礼儀をもて、虹丸」
「添い寝中だと困るから?」
「!! ったくどいつもこいつも」
明らかに動揺を見せる伊織に、虹丸は一度いつものように笑った。
だが次の瞬間にはその笑顔を消して、真剣な顔で伊織の前に立つ。
「俺、伊織につなぎの依頼にきたんだ。……忘れてないよね、約束」
伊織の動きが止まった。
同時に彩も思い出していた。
虹丸は言っていたはずだ、もうすぐ大事な依頼をするけれど断られるから味方をしてほしいと。
「忘れてない。そして俺の記憶が確かなら、それはお前が大人になったらという約束だったはずだ」
伊織の言葉に、虹丸は口の端を上げて笑って見せた。
「俺、もう子供じゃない」
「調子に乗るなよ。お前はまだ十分餓鬼だ」
「ちゃんと対価も憑代も用意したよ!」
そう言うと、懐から数枚の貨幣と綺麗な藤色の手ぬぐいを取り出した。
「これで、あの夜につないで……俺に、母ちゃんの最期を見せてよ」
「……!」
彩は驚いて息を呑み、苦楽は動きを止めゆっくりと瞬きをした。
伊織と猫は無言で虹丸を見つめたまま。
「俺が大人になって、それでも気持ちが変わらなければつなぎをやってくれるって、約束したよね」
「確かに言った。だが何度も言うが、それはお前が大人になってからだ。冷静に母親が死ぬところを受け止められるようにならなければ無理だ」
虹丸は右手を伊織に突き出し、そのうち三本の指を立てて見せた。
「ひとつ。今よりもっと昔は俺くらいの年で元服して大人として扱われてたって寺子屋の先生に聞いた」
「それは屁理屈ってやつだぞ」
「ふたつ。こないだの伊織と彩ちゃんの添い寝事件、内緒にしてやった。あの時、貸しだって言ったよね」
「待て待て」
虹丸は、みっつ、と言いながら彩に視線を向けた。
「彩ちゃんも俺に味方してくれるはず」
驚いてこちらを見る伊織から、彩は思わず目を逸らした。
「彩ちゃん。俺の母ちゃんね、俺が四つの時に殺されたんだ。その日は知り合いの小料理屋の手伝いに呼ばれててさ。たまたま、本当にたまたま帰りが遅くなって、暗い中一人で歩いてて刀で斬られた。……母ちゃんを斬った奴は、今も捕まってない。俺、すごく寂しかったけど、そう言うと父ちゃんが悲しい顔するから、言うのはやめた。それからしばらくして、伊織がこの長屋に越してきたんだよ」
「つなぎ屋がどんな仕事か聞きつけて、俺の所にすっ飛んできたな」
「だってこんな偶然ってないだろ。……母ちゃん、死んだ後しばらく誰にも見つけられずに倒れてたんだ。きっと死ぬまですごく寂しかったはずだよ。彩ちゃん、俺の気持ち分かってくれるでしょ?」
「…………」
彩には答えられなかった。
元の世界でも、毎日のように殺人事件があり、ニュースで流れている。
それは自分の狭い世界には無関係だったけれど、大事な人を失った気持ちを想像することはできる。
でも、それでもこんな子供に母親が殺される場を見せるなんて、やはり同意できない。
困り果てた様子の彩を見た伊織は、軽く目を伏せるとその視線を虹丸に移した。
真っ直ぐに虹丸を捉え、そして問いかける。
「虹丸……もっと違う過去を選ばないか? 母親と楽しく過ごした日々につなぐことだってできる。俺はその方がいいと思ってるよ」
「それは俺の中にずっと、ちゃんと、ある。足りないのは、母ちゃんの最期だけだ。俺は母ちゃんの最期に、傍にいてやりたい」
「過去は変えられない。何があっても、お前の母親を助けることは出来ない。それは承知の上だな」
「分かってる」
「ならばいい。……お前の依頼を引き受けよう」
「伊織!」
絶対に断られると思っていた伊織にすんなりと了承された。
虹丸の頭では理解が追い付かず、つかの間呆然とした表情を浮かべていた。
だが次第にそれは笑顔に変わっていく。
「ありがとう、伊織!」
「礼を言われることじゃない。ただし俺にも準備がある。つなぎは明日だ。お前も今日は帰って明日に備えろ」
「うん、分かった。じゃあ、また明日。じゃあね、猫、彩ちゃん、苦楽さん」
来た時と同じく、虹丸は勢いよく出ていった。
それにより、一気に静かになった室内。
「伊織、どうして」
「どうして引き受けたのか?……本気で覚悟を決めた人間は誰にも止められない。それが大人であろうと子供であろうと同じだ」
「でも」
「彩。口を出してはならぬ」
虹丸がいる間一言も話さなかった猫が、厳しい口調で言った。
見れば口調と同じく険しい表情で、虹丸の出て行った戸口を見つめている。
「つなぎ屋が受けると言った以上、契約は成立した。そこより先は口を挟むべきことではない」
「……そう、だね。ごめんなさい」
そう言って伊織に向き直ると、伊織は小さく笑って首を振った。
「謝る必要はない。疑問に思って当然だからな。ただ、色々事情があってな。……猫は最近の虹丸をどう見る」
「余程思いつめていたのであろうな。日増しに気が淀んでいった。あれでは妖の恰好の的じゃ」
「そうか。やっぱり限界だったよな」
その言葉に、それまでずっと黙って話を聞いていた苦楽が口を開いた。
「伊織。もしかして虹丸は」
その言葉に、伊織は小さく頷いた。
「恐らく虹丸の本当の目的は母親の仇を討つことだ。あいつは俺を騙そうとしてる」
「…………」
苦楽は微かに目を瞠った。
周りには気付かれぬ程、だが確実に。
「ここ最近の虹丸の気の乱れは、俺も猫も感じていた。苦楽も今感じただろう? 虹丸が抱えている感情。母親の最期を見届けたいというのももちろん嘘じゃないだろう。だが……それ以上に今、あいつの心を支配しているのは、怒りと憎悪だ」
「嘘をつき、つなぎの依頼をしたとなれば時の神が黙っていないだろうね」
「俺と猫が絶対にあいつを止める。嘘の目的を真実にすれば済むことだ。……ただ、恐らく妖も多い。彩まで守る余裕がないかもしれない。それでも何とかしなきゃと思っていたが、ちょうど苦楽がいてくれて助かったよ。明日まで彩を師匠の所で預かってくれないか」
急な展開であったが、自分が邪魔でしかないのも痛いほど分かる。
伊織の言葉からして今回は本当に危険なのだろう。
諦めた彩の横で、苦楽がいつもの笑顔を見せた。
「断る」
「ああ、頼む……って、え?」
「断ると言ったんだよ。今回は私も一緒に行こう。そうすれば虹丸も彩さんも守り切れるだろう」
「いや、ちょっと待て」
「幻様は常々、ご自分の目の届かない所に逃げ出した伊織のつなぎの腕が鈍っていないかも心配されてるからね。いい機会だよ」
「……それは別の機会でいいだろうが」
「彩さんだって、一人安全な所にいるのは嫌ですよね」
突然水を向けられ、彩は驚いた。
苦楽の考えが全く読めない、けれど。
「そう、ですね。私も見届けたい。虹丸のこと、心配だから」
伊織は頭を抱えて悩んでいたが、観念したように顔を上げた。
「仕方ないな、分かったよ。その代わり、苦楽もちゃんと動いてくれよ」
「もちろん」
「苦楽が一緒ならば、お主一人よりワシは逆に安心じゃがな」
「……もう好きにしてくれ」
***
翌朝出直すこととして、苦楽は一旦幻の元に戻った。
夕餉の場で、幻に今日の出来事を報告する。
幻は、表情を変えずに聞いていた。
「ということで、明日は伊織の腕を見物して来ようと思います。勝手に話を進めてしまいましたが、よろしいでしょうか」
「お前が決めたことを私がとやかく言う必要はない。明日はお嬢さんらの稽古も入ってないしな。しっかり伊織の腕を確認してこい」
「ありがとうございます」
「ただ、明日は雨になりそうだ。……傘を持って行け」
「御意」
苦楽が頭を下げる。
幻の視線から逃れるかのように伏せられたその瞳が、鈍い光を帯びていた。
お立ち寄り頂き感謝いたします。どんなことでも構いませんので、感想を頂けると嬉しいです。




