第二十二話 未来へのつなぎ
伊織は細い裏路地を足早に通り過ぎていた。
無論、清之助を撒くためである。
彩が去った直後の清之助の意気消沈は哀れな程。
それでも気を取り直して自分に向かってきたのは、さすが師範代というべきなのか。
そして試合後、清之助は潔く師範に頭を下げた。
「すみません、師範。茶屋で知り合った女子にいい所見せたくて嘘つきました」
「お前はまだそんなことをやってるのか。そんなことではいつまでも所帯を持てんぞ」
清之助の浮名を知る師範は、呆れ顔で溜息をついた。
周りの弟子たちもそれは同様で、またかという笑いが広がる。
清之助という男は節操の無い男だが、何故か憎み切れない愛嬌を持っていた。
また、あまり問い詰めて緒方家の息子の足が遠のくのも、師範にとっては痛いところなのだろう。
結局さしたるお咎めも無く稽古が終了した。
「では、俺はこれにて」
挨拶もそこそこに立ち去ろうとした伊織を、清之助が羽交い絞めにする。
そして耳元で恨みがましく呟いた。
「待て、俺は彩殿は許してもお前は許してない。じっくり話を聞かせてもらおうじゃないか」
「俺は関係ない」
「誰のおかげで彩殿がここで無事にいられたと思ってんだ。しかもお前の姿を見て涙ぐむなんて可憐すぎる。だから俺はお前を絶対許さない」
「……言ってる意味が分からん」
「いいから、ほら。行くぞ」
引きずられるようにして、二人で道場を出る。
伊織としては早く彩と苦楽が待っているであろう茶店に急ぎたいのだが、このまま清之助を連れて行く訳にもいかなかった。
「で。つまり何者なのだ、彩殿は」
「依頼主だと言っただろう」
「ただの依頼主ではあるまい。この間ははぐらかされたが、共に道場に来るとは、やはり彩殿はお前の所にいるのだろう。猫嬢が一緒とはいえ危険極まりない。大体この世の中に真に女嫌いの男などいるはずがないのだからな」
「自分の尺で論ずるな。……彩は、訳あってしばらく帰れずにいるだけだ。依頼が済めば必ず帰る、それだけだ」
「お前はそれでいいのか」
「何がだ」
清之助は、伊織の目の前に回り込み、その両腕をひしと掴んだ。
「お前は彩殿をどう思っている?」
「……は?」
「俺は今日、彩殿の横顔を見てこれまでの女性と違う何かを感じた。彼女こそ、俺の運命の女性ではないかと思っている」
「何度同じことを繰り返せば気が済むんだ」
「違う! 上手く言えないが今回は違うんだ。だからお前の気持ちを聞いておきたい。俺が本気だと分かれば、お前は俺を応援してくれるか」
試合の時以上に真剣に見える清之助に、伊織は思わず圧倒される。
「気持ちも何も……何度も言うが彩はただの依頼主で、俺にとってはそれ以外の何者でもない。だからといって、お前の応援はしたくない」
「最後の言葉は今は保留だ。これからの俺を見て考え直してくれ!」
「……あ、彩だ」
たまりかねた伊織が清之助の背後に向かって小さく呟くと、清之助が素早く振り返った。
「今、あそこの通りを曲がっていったぞ。帰るところかな。ちょうどい……」
「俺が先に行く、お前は気を利かせてゆっくり来い!」
言うやいなや、伊織が指した通りに走り出す。
それを見送らず、伊織はすぐ脇の路地に飛び込んだ。
「まったく。女が絡むと異常だな、あいつは」
思わず愚痴がこぼれる。
彩は依頼主であり、いつかは必ず自分の前から消えてしまう人間だ。
そして今自分が考えるべきことは彼女を元の世界に帰す方法、それだけなのだから。
念のため、遠回りをして辿り着いたいつもの茶店。
戸を開けると、店主が笑顔で迎えてくれた。
「伊織、遅かったなぁ。二人とも奥で待ちくたびれてるんじゃないか。ちょうど茶を入れたとこだ、団子と一緒に持ってけ」
「おおっ、ありがとう!」
そして茶と団子の入ったお盆を片手に、奥の間へと続く襖を開けた。
「すまん、遅くなった」
伊織の声に、弾かれるように彩が顔を上げた。
心なしか、その顔色が悪いように見える。
隣に座る苦楽はいつも通りの笑みを浮かべて小さく首を傾げた。
「清之助君はおとなしく引き下がったのか?」
「全然。むしろ突進してきてる感じだ。……彩は?どこか具合でも悪いんじゃないのか?」
「……ううん、何でもない」
「ならいいけど。団子、もらってきたけど二人ともまだ食えるか?」
「さっきもらったからいいよ、伊織が食べて」
「私も十分。伊織が美味しそうに食べてるのを見てる方が楽しいからね」
そうか、と言って伊織は大好物の団子を頬張った。
「やっぱ、すっげぇ美味いわ〜!」
その言葉に苦楽が笑う。
「ほらね、彩さん。同じでしょう」
「……そうですね」
「……?」
「美味しがり方が二人とも一緒だと言う話だよ。彩さんも、さっき伊織と同じように喜んでたんだ」
「美味いもの食べたら誰だって喜ぶだろう。逆に苦楽が冷静過ぎるんだよ。もっと自分に正直になれ」
苦楽は今度は困ったように笑った。
その横で、彩も困ったようにつられて笑っていた。
「長年生きていると、なかなか性格も変えられなくてね。だけど私もここの団子は大好きだよ。ここの親父さんもね」
「そうだな」
伊織はあっという間に団子を平らげ、お茶を飲み干した。
それを見計らって、苦楽が再び口を開く。
「幻様はあれからずっと御父上の残した書物を調べておられた。その結果、かつて一度だけ、未来へのつなぎを行った記録が見つかったよ」
「本当か」
「ただ、それは遠い未来ではない。戦の最中、もうすぐ生まれる子供の顔も見られずに深手を負った雑兵の頼みを聞いたものだったんだ。……せめて死ぬ前に子供の顔が見たい、というね」
幻の父は、もともと修行僧として各地を旅し、貧しい農民や、戦場で死に逝く者の声を聞いていたという。
その話は伊織も幻自身から聞いて知っていた。
「つなぎは成った。自分の残りの命全てを対価にして、その男は会えぬはずの息子に会い、妻に別れを告げることが出来たそうだ。そして、時が戻った瞬間に息絶えた」
「……そうか」
とりあえず、未来へのつなぎは存在する。
安堵の表情を浮かべる伊織を見て、苦楽は微かに目を伏せた。
「御父上の記録には続きがあるんだ。未来へのつなぎは確かに成った。対価以上の犠牲を払って、ね」
「どういうことだ」
「通常では考えられない数の妖が引き寄せられた。当時お一人でつなぎを行っていた御父上は隙をつかれ、妖に左耳を削がれた。御父上が左耳を失っていた理由を、幻様はその記録で初めて知ったそうだよ」
「…………」
「あまり遠くない未来へのつなぎでさえ、御父上は左耳を失った。彩殿の元の世界までとなると何が起きるか、正直分からない。もちろん、何も起きない可能性もあるしね」
陽の落ち始めた縁側で、互いの顔が影を負って見える。
言葉を失って俯いていた彩が顔を上げた。
「あの。私、そこまでして帰らなくても」
「駄目だ」
言いかけた言葉を、伊織は強く打ち消す。
「こんな話で諦めるな。俺は必ず彩を未来に帰すと決めた。何があってもだ。だから彩は、過去の記録じゃなくて、今の俺を信じろ」
「伊織」
苦楽が小さく息をついた。
「幻様の予想通りの答えだね。まあ、私の予想も同じだけれど。それじゃ、第一関門は無事通過、ということで」
「……は?」
「幻様の見立てでは、もうひとつの可能性がある。彩さんの話によれば未来につなぎ屋はいない。ただ、もしも実際には存在していたとして。理由は分からないけれど、彩さんがつなぎによってこの世界に来ていたのだとしたら?」
「……!」
つなぎには限りがある。
斬り開いた時は、いつか必ず閉じる。
そうなれば、彩は伊織が動くまでも無く未来に戻るだろう。
そしてそれは、今この瞬間に訪れることかもしれない。
「鍵はやはりあなたの記憶だと思います、彩さん。なぜ我々の時代にやってきたのか。元の世界で何があったのか。それを思い出すことが、あなた自身を、そして伊織をも救うことになるかもしれません」
「私の、記憶……」
彩の顔色が一層悪くなったように見えた。
やはり体調が悪いのではないだろうか、と伊織は思う。
それとも、無くした記憶が原因なのだろうか。
「彩、無理をすることは無い。師匠も苦楽も焦りすぎだ。彩に考える時間を与えてやってくれ」
「もしもつなぎの途中なのだとしたら、時間は無いかもしれないよ」
「分かってる。でも追い詰めるな……結果がどうなろうと、彩は俺の依頼主だ。師匠だろうと誰だろうと、俺の依頼主に勝手な手出しはさせない」
伊織の言葉を聞いた苦楽は、今度こそ心から嬉しそうに笑った。
「幻様のお言葉だよ-それでこそ我が弟子。何があろうとどうなろうと、彩を守れ」
「なんだよ。結局全部、見透かされてんじゃないか」
「信じてるんだよ、伊織を。彩さんも、伊織を信じてやってくれませんか? この世界には信じられぬものが確実に存在します。ただ、伊織は信じていい。何しろ幻様の自慢の弟子ですからね」
「……はい」
不肖の弟子の間違いだろ、と伊織がぼやいた。
「さて、すっかり遅くなりましたね。今日のところは解散としましょうか」
「そうだな。彩は大丈夫か? 歩けるか? もし具合が悪いならちゃんと俺に言えよ」
大丈夫ではないと言えば彩を背負ってでも帰りそうな勢いの伊織に、彩が思わず笑う。
「ありがとう、でも大丈夫だよ」
「伊織、焦りすぎはよくないんだろう? そんなんじゃ、彩さんに嫌われてしまうよ」
「……人の揚げ足をとるな」
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