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第十九話 予感

 長屋まであと少しというところで、伊織は突然足を止めた。


「どうしたの?」

「……ものすごく嫌な予感がする。もう少し歩こう」


 そう言うと、振り返りさっさと歩き出そうとする。

 彩が不思議に思って口を開くより先に、遠くから声が聞こえた。


「おお、伊織に彩殿!待った甲斐があったな」

「……遅かった」

「あれ……緒方さん?」

「存在ごと忘れていいって言ったろ」


 見れば、こちらに手を振り駆けてくる緒方清之助の姿。

 颯爽と目の前まで来ると、笑顔で彩の手を掴む。


「留守のようでしたが、きっとあなたに会えると思いお待ちしておりました。これはもう運命ですよ、彩殿」

「勝手に彩に触るな、阿保」

「いちいちお前の許可が必要だとでも?」


 伊織が払いのけようとする前に素早く手を引いた清之助は、揶揄するような口調で伊織に尋ねた。


「ただの依頼主だと言う割に随分な執心ぶりではないか。お前が猫嬢以外の女性とそんなに親密にしているのは初めて見るぞ」

「そんなことはない」

「ならば俺かどうしようと勝手だな。というわけで、彩殿。明日は何かご予定がおありですか?」

「え……? いえ、あの……」


 困って伊織の方を見ようとするが、その間に清之助が体をずらして立ちはだかる。


「私は彩殿にお聞きしているのですよ。もしよろしければ、美味しい茶菓子のお店にでも行きませんか?」

「えっと……すみません、明日はちょっと」

「そんなに長い時間じゃないし、最近巷で評判の店なんですよ」

「じゃあ、俺も一緒に行く」


 清之助の体を押しのけるようにして、伊織が口を挟んだ。

 そんな伊織に、清之助が勝ち誇ったように告げる。


「お前は駄目だ、伊織」

「なんでだよ」

「明日こそ、縄をつけてでも道場に連れて来いとの師範からの厳命だ。だから俺がお前を道場に連れて行き、お前の稽古中に俺が彩殿のお相手をすると言う訳だ。どうだ、完璧だろう」

「どこがだ。俺は絶対に行かん」

「そうすると俺が師範から怒られるんだぞ。お前は俺がかわいそうだと思わないのか?」

「全く思わん」

「あの……」


 目の前で繰り広げられる攻防に、彩は思い切って割り込んだ。

 二人が少し驚いたようにこちらを見た。


「あの、私、もし可能なら、道場で伊織が稽古してるのが見たいです」

「彩! ……何言ってるんだよ」

「そうですよ、彩殿。こんなの見ても面白くないですよ」

「お前が言うな」

「お願い、伊織。大人しくしてるから」

「……」


 伊織は深くため息をついた。

 呆れたのか怒っているのかは分からなかった。

 ただ、彩がそのまま様子を窺っていると、頭を掻きながら渋々と言った感じで口を開いた。


「分かったよ。清と二人で出かけられるよりは余程安心だからな。いつもの時間に道場に行くから、清は別に迎えに来なくていい。明日はすっぽかさないと約束する」

「……了解。ではまた改めてお誘いしますね、彩殿」


 清之助は、苦笑して引き下がった。


 これ以上しつこくしては逆効果だろう。

 ここ数年、数多の浮名を流してきたこの武家の次男坊には、そういう駆け引きに長けているという自負があった。

 そして実際、今までは上手くやってきたのだ。

 だから当然今回も最終的には上手くいくはずだ、と。

 そう思っていた。


           ***


「まったく。とんだ目に遭ったな」

「ごめんなさい、勝手に」

「彩のせいじゃない、清が全部悪い。……ただ、言っとくが、本当に面白くもなんともないからな。それに男ばかりでむさ苦しい所だ、覚悟しておけ」

「うん、大丈夫。ありがとう」



 長屋に着くと、ちょうど家の前に猫と虹丸がいた。


「猫、今帰って来たのか?」

「一度帰ったが、疫病神の姿が見えたのでな。虹丸と隠れておった」

「全く正しい判断だな、それは」


 一方の虹丸は、黙って彩を見上げている。

 その視線に戸惑いながら、彩は虹丸に話しかけてみた。


「えっと、何かな?」

「猫に聞いたんだけど」

「うん」

「彩ちゃんと伊織は運命の出会いって本当?」

「……えぇっ?!」

「おいっ、猫。お前、虹丸になんて言ったんだ」

「お主が誰かの運命を変えたいと願った時に折よく現れた依頼主じゃ。間違いでも嘘でも無かろう。それとも、夫婦になる相手だとでも嘘を言う方がよかったか?」

「ばっ、馬鹿野郎! ふざけんな、待て、猫!」


 伊織が猫を捕まえようとするが、猫は俊敏な動きですり抜けて部屋の中に飛び込んだ。

 伊織もその後を追い、表には顔を赤くした彩と虹丸だけが残される。


「あ……あのね、虹丸。私、本当にただの依頼人だから、そんなすごい人じゃないよ」

「でも、彩ちゃんと一緒にいる伊織、何かいつもより楽しそうだぞ」

「そうなの?」

「うん、依頼主が女の人の時は大体いつも元気無いもん」


 それは伊織が自ら述べていた幻や猫へのトラウマによるものなのでろうか。

 でも、と彩の心に疑問が生じる。

 それならば、私は一体他の依頼主の女性と何が違うのだろう。

 未来から来たこと、だろうか。

 伊織にはこの数日だけでも散々お世話になっているし、トラウマ克服の助けになれるなら嬉しいけれど。


「彩ちゃん、聞いてる?」

「あ……うん、聞いてるよ」

「俺ね、もうすぐ伊織に大事な依頼をするんだ。……きっと初めは断られると思う。その時、彩ちゃんに俺の味方して欲しいんだ」

「大事な依頼って、どんなこと?」

「まだ秘密。でも、きっと彩ちゃんが味方してくれたら、伊織も折れてくれる気がする。だから頼むよ」


 彩は困ってしまった。

 虹丸の表情は真剣で、冗談を言っている風ではない。

 だからこそ、内容も聞かずに簡単に味方をするとは言えない感じがした。

 悩む彩の様子を見ていた虹丸は、にこりと笑う。


「もし味方してくれないなら、彩ちゃんは伊織の女だって言いふらしちゃうからね」

「……え?! や、だから違うってば。ちょっと待って」

「待てな〜い。ちゃんと考えておいてね、じゃあ、またね!」

「あ、こら!待ちなさいってば」


 ひらひらと手を振ると、虹丸は自分の家へと駆け込んでしまった。

 最後に残されたのは、更に顔を赤らめた彩一人。

 しばらく待ったが、もう虹丸は出てくる気はないらしい。


 諦めて伊織の部屋に戻ると、頬に引っかき傷を作った伊織が憮然とした表情で座っていた。

 対する猫は、何事も無かったかのようにすましてお膳の用意をしている。

 急いで彩もそれを手伝いながら、伊織に声を掛ける。


「……大丈夫、伊織?」

「返り討ちにあった」

「ワシに勝とうなどと思うには二百年早い」

「でも猫ちゃんもひどいよ、虹丸も結局何か誤解したままだったし」

「火のない所に煙は立たぬというがな」

「火も煙もないわ! ……てか、猫。お前完全にただ面白がってるだけだろう」

「さあ、どうかの」

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