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第十五話 依頼

 伊織の家に来訪者があったのは、その日の黄昏時。

 控えめに叩かれた戸を開けると、白髪の老人が丁寧に頭を下げた。


「突然申し訳ありません。こちらにつなぎ屋様がおられると聞いて参ったのですが」


 しばし老人を見つめ、伊織は静かに告げた。


「どうぞ中へ。まずはお話を伺いましょう」


 坂田寿三と名乗った老人は、湯飲みを差し出す猫に丁寧に礼を述べ、そっと湯呑みに視線を落とし黙した。


 伊織は、急かすことなくただ待っている。

 彩は邪魔にならぬようにと部屋の隅に。

 役目を終えた猫もその横に並んで腰を下ろす。


 しばらくして、坂田老がゆっくりと口を開いた。


「ご依頼したいのは、私が妻と出会った当時の……満開の桜の下へ、私らをつないでいただくことでございます。私の妻は長らく病に伏しておりますが、医者の見立てではもう長くない、と。……恐らく来年の桜は見られないでしょう」

「…………」

「あれは桜の花が好きで、病に伏すまでは、毎年花見に出かけていたものです。ここ数年は外に出ることも難しく、私が拾い集めた桜の花びらを枕元に並べてやることしかできませんでしたが」

「…………」

「私は何とか妻を元気づけたかった。来年こそ二人で桜を見に行こうと……そう言いましたら、あれがふと呟いたんです。出会った年の桜が忘れられない、と」


 彼自身も忘れるはずが無かった。

 その年の春はいつもよりも早く、満開の桜が川原を埋め尽くしていた。

 そしてその桜の下、彼は妻と所帯を持つことを決めたのだった。


 彩から見える伊織の横顔は、坂田老の話に全く表情を変えず。

 ただ、彼が話し終えると一度目を伏せ、またまっすぐに顔を上げた。


「つなぎについては、既にお聞きになっておられるのですね」

「はい。……こちらが対価です。少ないですが、今の私にはこれ以上さしあげることができません」


 坂田老は、胸元から取り出した袋から四角い銀色のものを数枚取り出した。

 この時代のお金なのだろうと彩にも想像はつくが、どれくらいの価値なのかは分からない。

 伊織の表情は、それを見てもやはり変わらなかった。


「そしてこちらは憑代としてお使いください。……私が当時妻にやった手鏡です」

「……憑代として使用したものは、つなぎが成れば失われます。それはご存じか」

「承知しております。ただ、あれがこの手鏡を必要とすることはもう無いでしょう。……それに、この手鏡こそが、私等にとって、あの時の思いが一番詰まったものですので」


 そう言って再度深く頭を下げた坂田老に、伊織はひとつ息をついて微かに笑った。


「分かりました、お引き受けいたしましょう」


          ***


 早速明日、坂田老宅へと赴くこととなった。

 段取りを打ち合わせ、何度も振り返り頭を下げながら彼が長屋を去る頃には、既に辺りはすっかり暗くなっていた。


「少ないのう。こう見ると……やはり、あの屑の払いの良さは別格であったな」

「金じゃないって前にも言ったろ。問題なのは中身だ。受けるかどうかは、俺が話を聞いて決める」


 坂田老が置いて行った貨幣を数えながら呟く猫に、伊織が反論した。

 そんな二人の会話に、彩が首を傾げる。


「あの……対価って、決まってるんじゃないの?内容によって変わるの?」

「決まってない。対価は依頼主が決める。……自分が求める過去にどれだけの価値があるのか、本当に分かるは自分自身だけだからな。ちなみに、対価は金に限らないし、物の場合もある。そして俺には、出された対価が正当かどうかは判断できない。……仕事を受けるかどうかは決められるけどな」

「でもそれって……やっぱり、伊織が損するんじゃない?」

「対価が正当かどうかは、時の神が見極めるから問題ない」

「時の……神、様?」

「そうだ。つなぎっていうのは結局、時を捻じ曲げることだからな。時の神の領域ってやつに踏み込むことになる。……例えば、ケチって自分でも釣り合わないと分かっている対価を差し出すとするだろ。そうすると、つなぎが成ったと同時に、そいつは間違いなく神に裁かれる」


 淡々と話す伊織の瞳の色が、灯籠の光の加減のせいなのか、影を作って一段と暗く見えた。


「……そうしたら、どうなるの?」


 猫が何か言いかけたが、伊織がその先手を打つ。


「今、そこまで彩が知る必要はない。……な、猫」

「む。まあ、そうじゃのう。とりあえず、今回は素直に伊織が仕事を受けただけで良しとするか」

「今回の仕事は、つなぎがどんなものか、彩に見てもらういい機会だと思って引き受けたんだ。あの爺さんなら大丈夫だろうしな。……さ、そうと決まったら、早く飯食って寝るぞ」



 結局その夜の布団も、結局前日と同じ形で敷いた。

 ただ違うのは、伊織と彩の二人が猫に重々言い聞かせたこと。


「いいか、お前は真ん中で寝てろ。絶対に動くな」

「もし私が転がったら、引っ掻いていいから起こして。絶対ね」

「俺もだ、分かったな」


 既に本来の姿に戻った猫は、あからさまに嫌そうな顔をしている。


「うるさいのう……分かったわ。ただ、もとはと言えばお主らの寝相が良ければよいのじゃなからな、共に反省せよ」

「「……はい」」


           ***


 その日の夜が更けた頃。

 苦楽は、頼まれた茶を用意し、主の部屋の襖を開けた。


「幻様、あまり根をつめては体に……」


 言いかけた言葉を途中で飲み込む。

 幻は大量の書物に埋もれるようにして眠っていた。

 伊織達が帰ってから先程まで、飲まず食わずどころか立ち上がりもせず、黙々と書物を調べていたのだ。

 そして漸く顔を上げたと思ったら、茶を、と一言だけ命じられたのに。


「……全く、素直じゃない」


 苦笑しながら呟くと、自分の羽織を脱ぎ、そっと幻の肩にかけてやる。

 文机に俯せた、幻の整った横顔。

 しばらくそれを眺めていた苦楽は、白く細い指を幻の首元にそっと近づける。

 触れるか触れないか、そのぎりぎりの所。

 だが、幻が起きる気配は無い。


「隙だらけですよ、幻様」


 その、どこか哀しげな微かな呟きは、薄暗い部屋の中で、誰にも聞かれずに消えて行った。

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