第十四話 居場所
幻の家から帰って行く伊織達。
その姿を長いこと二階の窓から見下ろしていた幻に、苦楽が声をかけた。
「良かったんですか、あのまま帰してしまって」
「何がだ」
「そんなに心配なら、もう少し助け舟を出してあげると良いのに。確かに時はつながっている……猫の言葉は正しい。ただ、その解決を伊織一人に任せるのは、流石に酷でしょう」
微かに笑いを含んだ苦楽の言葉に、幻はふんと鼻を鳴らした。
「甘やかしてはあいつのためにならん」
「素直じゃありませんね、相変わらず」
「……伊織には、始めから偽りしかないんだ。今更素直も何もあるまい」
そう呟く主の後ろ姿は、先ほどまでの威勢が嘘のように儚げで。
思わず手を伸ばしそうになり、苦楽はその拳を静かに握りしめた。
代わりに浮かべたのは、変わらぬいつもの微笑。
「とりあえず、親父の残した記録を調べてみる。しばらく下はお前に任すぞ」
「御意」
***
「……結局、収穫はあまり無かったな」
「お主の鼻が一層低くなっただけじゃったのう」
「お前……いつもながら師匠の前と態度違いすぎだろうが。彩もそう思うだろ?」
「え? ……あ、えっと。少しだけ」
「悔しければ、お主もワシにそういう態度を取らせるような威厳を身につけよ」
「あ〜そうですね。はいはい」
幻が店を構える通りから伊織の住む長屋までは少し離れている。
まだ日も高いことから、帰るついでにその辺を見て回ることにしよう。
そう言いだしたのは伊織だった。
往路とはうって変わり、進んで先を行き、あれこれ彩に説明してくれる。
余程幻から解放されたのが嬉しいのだろう。
彩はそう考えたが、呆れたように笑って囁く猫の言葉で、それ以上の意味を知った。
「彩を元気づけようとしておるのじゃ。面倒じゃろうが汲んでやってくれ」
「あ……そうなんだ」
すぐに元の世界に戻る方法。
それはやはり幻をしても分からなかった。
となれば嫌でも彩はこの時代に留まらざるを得ない。
伊織はそれを心配してくれているというのだ。
思わず彩の口元に笑みが浮かぶ。
だが、言葉はかけられなかった。
心配をかけているのは自分なのだから。
幻に問われた覚悟。
それすら、自分はまだ手にしていない。
その事実から逃れるように、彩は全く別のことを口にした。
「ね、幻様はいくつなの?伊織とほとんど変わらないように見えたけど」
「ああ、師匠はただの人間じゃないからな。人と妖の血が混じった半妖半人なんだ。俺もちゃんと聞いたことはないが、少なくとも百年以上は生きてるはずだ」
「えっ! ……そう、なん、だ」
確かに彩は驚いた。
だが、あの佇まいは、むしろ人ではないと言われた方が納得できる気もする。
「じゃあ、あのイケ……苦楽さんも」
「あいつは猫と同じく妖だ。俺や猫よりもずっと前から師匠とともにいる。経緯も歳も分からない」
師匠はそういう昔語りを一切しない人だった。
それは師匠自身のみならず、苦楽や猫、さらには伊織自身の過去についても同様で。
何も語らず、ただ前を見て生きろと、伊織は常々言われてきた。
人の過去に触れる分、己の過去は切り捨てよ、と。
「皆、すごいんだね」
「どうだかな。ただ……まあ、それぞれ変わった境遇で生きてるのは間違いない。だからという訳じゃ無いが、当面の彩の居場所も俺達なら作ってやれる。彩は何も心配しなくていい」
「……うん」
伊織の言葉には重みが感じられ、彩は改めて伊織に拾われてよかったと思った。




