9話 王都アステリア
王都までの旅は、十日かかった。
馬車は麦畑のあいだの道を進み、いくつもの丘を越えた。窓から入ってくる土と草のにおいは、一日ごとに、リーフェ村のものとは違っていった。
馬車の御者台で手綱を握っていたのは、使者の護衛として遣わされた若い騎士だった。
「いやあ、まさか噂の魔女さんが、こんなかわいいお嬢さんだったとはね!」
赤毛をくしゃくしゃにした、よくしゃべる騎士だった。名をカイルといい、王国騎士団の分隊長だという。
「分隊長さんが、どうして護衛なんかに?」
「団長の命令でね。『数字を変える娘には、腕の立つ者をつけろ』ってさ。うちの団長、無口なくせに、そういうところは細かいんだよ」
「団長さんは、どんな方なんですか」
カイルは、少し考えてから肩をすくめた。
「強い。めちゃくちゃ強い。あと、いつもこわい顔をして、黒い手袋をしてる。それ以外は、おれもよく知らないんだ」
(黒い手袋……)
わたしは、なぜかその言葉が、耳に残った。
◇ ◇ ◇
十日目の昼、丘の上から、王都アステリアが見えた。
白い石の城壁が、太陽の光を跳ね返してまぶしく光っている。その奥に、いくつもの尖塔がそびえ立つ王宮。
「きれい……」
けれど、城門をくぐってしばらくすると、わたしの胸に、少しずつ重いものがたまっていった。
大通りの両側に並ぶのは、色とりどりの布をまとった貴族たちの屋敷。そこを歩く人々の手の甲には、「残り60年」「残り80年」といった数字が、誇らしげに光っていた。
白髪の老紳士の手には、「残り42年」とあった。
「あの人、もう八十は過ぎてるように見えるけど……」
「百十歳だよ、たぶん」
カイルが、何でもないことのように言った。
「貴族さまは、寿命を買うからね。百歳を超えるのは珍しくない」
馬車が下町に入ると、景色は一変した。
狭い路地。すえたにおい。広場には長い列ができていた。
列の先にあるのは、白い石造りの建物。扉の上には、砂時計の紋章が刻まれている。
「寿命市場だ。寿命院の出張所だよ」
列に並ぶ人々の顔は、灰色だった。
その列から少し離れた石段に、一人の老人が座りこんでいた。骨と皮ばかりにやせた手の甲には、「残り3日」と光っていた。
わたしは、思わず馬車を止めてもらった。
水筒の水を差し出すと、老人は震える手でそれを受け取り、ゆっくりと飲んだ。
「……ありがとう、お嬢さん」
老人は、かすれた声で笑った。
「去年、孫の薬のために一年売ってね。それが最後の一年だった。いいんだ、孫は元気になった」
わたしは、何も言えなかった。
(命の長さが、お金で分けられている)
(村だけじゃない。この国全部が、そうなんだ)
◇ ◇ ◇
王宮に着くと、わたしは長い回廊を案内された。
壁には、大きな絵がずらりと並んでいた。
剣を振るう騎士。燃える空。黒い影と戦う騎馬の列。
「歴代の騎士団長の戦いの絵ですよ」
案内の侍従が言った。
わたしは、一枚一枚、絵を見上げながら歩いた。どの絵も、迫力のある戦闘の場面だった。
けれど、ふと気づいた。
(どの絵も、騎士団長の顔が……とても小さい)
戦場の真ん中で剣を掲げる英雄は、どの絵でも、遠くの小さな人影のようにしか描かれていない。顔は、豆粒ほどの大きさで、表情もわからなかった。
「どうして、顔がこんなに小さいんですか」
侍従は、少し困ったように笑った。
「昔からのしきたりでして。騎士団長は、名前も顔も、民には明かさないことになっているのです」
回廊の先の広間では、着飾った貴族たちが談笑していた。
その中心に、ひときわ目立つ男がいた。
背の高い、銀色の髪をなでつけた男。上品な笑みを浮かべ、貴婦人たちに囲まれている。胸もとには、黒い砂時計に蛇が巻きついた紋章が光っていた。
(あの紋章……)
村に寿命を買いに来た、あの馬車と同じ紋章だった。
「ノクス公爵ヴィクトールさまです」
侍従が小声で言った。
「この国で、いちばん寿命をお持ちの方ですよ」
公爵が、ふとこちらを見た。
目が合った。
公爵は、まるで珍しい宝石でも見つけたように、ゆっくりと微笑んだ。
わたしの背中に、あの日の黒い騎士の前で感じたのと同じ、冷たいものが走った。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、わたしは国王レオポルド三世に謁見した。
玉座の王は、五十代半ばの、疲れた目をした人だった。
その傍らには、白と金の衣をまとった老人が立っていた。大神官オルドリク・グレイヴ。外見は六十ほどに見えるのに、その目は、もっとずっと長い年月を生きてきた人のように、深く冷たかった。
「リーフェ村のエリアだな」
王は、穏やかな声で言った。
「数字を変える娘の話は聞いている。正直に申せ。おまえは何をした」
わたしは、ひざまずいたまま顔を上げた。
「水を沸かしました。早く眠るように言いました。皆で歩いて、皆で話をしました。それだけです」
大神官が、かすかに笑った。
「それだけで、神の定めた数字が変わると申すか」
「……わかりません。でも、変わりました」
王と大神官が、短く目を見交わした。
「よかろう」
王は言った。
「真偽はいずれ確かめる。だがその前に、頼みがある。わしの娘を、診てやってくれ」




