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あなたの寿命を、私にください ――世界でたった一人、私だけが彼の死を知っている  作者: Hamin
第3章 黒い手袋の騎士団長

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10話 夜の庭の出会い

その夜、わたしは眠れなかった。

与えられた部屋は、村の小屋が五つは入りそうなほど広かった。寝台はふかふかで、絹の掛け布はひんやりと冷たい。

けれど、川の音が聞こえない。


(静かすぎる……)


わたしは寝台を抜け出し、窓を開けた。

月が出ていた。窓の下には、王宮の庭が広がっている。白い砂利の小道、刈りこまれた生け垣、噴水の水音。


≪エリアさん。午前一時十二分です。睡眠をおすすめします≫


「わかってる。少しだけ、歩いてくるね」


≪自分で村の人に言っていたことを、覚えていますか≫


「……眠りは、明日の自分をつくる時間」


≪そのとおりです≫


わたしは小さく笑って、肩掛けをはおった。


◇ ◇ ◇


夜の庭は、昼間とはまるで違う顔をしていた。

月の光が、白い砂利を青く染めている。夜咲きの花の、甘く重たい香りが漂っていた。

噴水の向こうまで歩いたとき、わたしは足を止めた。

誰かが、いた。


月明かりの下に、一人の男が立っていた。

背が高い。黒い騎士服。手には抜き身の剣を持っているが、構えてはいない。ただ、剣先を地面に向けたまま、じっと月を見上げている。

その横顔は、驚くほど整っていた。年は、二十代の後半くらいだろうか。

けれど、その表情には、若さとはまったく違う何かがあった。


(疲れ……? ううん、違う)


(何かを、ずっと昔に置いてきた人の顔だ)


砂利を踏む音に、男がゆっくりと振り向いた。まだ若い。青年といってもいいだろう。その両手には、黒い革の手袋がはめられていた。

月の光を映した灰色の瞳が、まっすぐにわたしを見た。


「……この時間に、なぜ起きている」


低い、静かな声だった。


「あなたこそ」


わたしが言い返すと、青年はわずかに眉を上げた。


「私は、眠らなくていい体なんだ」


「眠らなくていい人なんて、いません」


思わず、口から出ていた。

前世で何百回も言ってきた言葉だった。夜勤明けの看護師に、徹夜続きの受験生の母親に、眠れないと訴える老人に。

青年は、かすかに目を見開いた。


「君は、医者か」


「……医者の手伝いです。リーフェ村から来ました。エリアといいます」


「ああ」


青年は、少しだけ表情をゆるめた。


「数字を変える娘か。カイルが、ずいぶん楽しそうに話していた」


「じゃあ、あなたが……」


「アルベルト。アルベルト・ヴァルハルト。騎士団を預かっている」


(この人が、黒い手袋の騎士団長)


わたしは、思わず彼の手を見た。

アルベルトは、その視線に気づいたのか、剣を鞘に収め、手を背中に回した。


◇ ◇ ◇


「どうして、眠らないんですか」


わたしが聞くと、アルベルトは噴水の縁に腰を下ろした。


「眠り方を、忘れたんだ。ずいぶん昔に」


「忘れた……?」


「目を閉じても、朝まで何も起きない。夢も見ない。だから、起きていることにした。夜の王宮を見回るには、ちょうどいい」


彼の声は淡々としていて、まるで他人のことを話しているようだった。

わたしは、少し迷ってから、噴水の反対側の縁に腰を下ろした。


「わたしの村では、こう言ってるんです。眠りは、明日のあなたをつくる時間だって」


「明日の、自分」


アルベルトは、その言葉を、口の中でゆっくりと転がした。

それから、かすかに笑った。笑ったというより、口の端がほんの少しだけ動いた。


「私には、つくるべき明日がないんだ」


「え……?」


聞き返そうとしたときには、アルベルトはもう立ち上がっていた。


「部屋に戻りなさい、エリア。夜の庭は冷える。明日、王女殿下を診るのだろう」


「……はい」


「殿下を、頼む」


それだけ言うと、アルベルトは月明かりの小道を、音もなく去っていった。

黒い背中が、生け垣の向こうに消える。

噴水の水音だけが、いつまでも耳に残った。


◇ ◇ ◇


部屋に戻ったわたしは、寝台に腰かけて、いつものようにスマホのメモを開いた。

左手の甲を、画面の明かりに照らす。

そして、手が止まった。


「残り1年37日」


夕方に記録したときは、「残り1年30日」だった。

たった数時間で、七日。


「ルカ……」


≪記録しました。数時間でこれほど増えたのは、初めてです≫


「何が、あったんだろう」


≪この数時間の出来事は、庭を歩いたことと、騎士団長と話したことです≫


わたしは、黙って手の甲の数字を見つめた。

頬が、少しだけ熱かった。


≪原因は、不明です≫


ルカの声が、いつもより少しだけ間をあけて、そう付け加えた。


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