11話 病める王女
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王女セシリアの部屋は、昼間だというのに暗かった。
厚いカーテンが、すべての窓を覆っている。部屋の中を照らしているのは、何本ものろうそくの火だけだった。
甘いにおいがした。焼き菓子と、砂糖漬けの果物と、溶けたろうのにおい。
部屋の奥の大きな寝台に、十二歳の少女が埋もれるように座っていた。
金色の髪はもつれ、頬は青白い。膝の上には分厚い本が開かれ、枕もとには、菓子の皿が三つも並んでいた。
「……誰」
かすれた声だった。
「リーフェ村のエリアです。王女さまを診るように言われて来ました」
「医者なら、もう十人も来たわ。みんな、苦い薬を置いて帰っていった」
セシリアは、本から顔も上げなかった。
「どうせ、あなたも同じでしょう」
わたしは、王女の左手を見た。
「残り58年」
数字だけ見れば、まだたっぷりと残っている。けれど、侍女長から聞いた話では、その数字がこの半年、一日に二日、三日と、理由もなく減り続けているのだという。
(村の人たちの数字が増えたのと、逆のことが起きてる)
◇ ◇ ◇
わたしは、すぐには何もしなかった。
かわりに、寝台の横の椅子に座って、ただ王女が本を読むのを見ていた。
一刻がたった。
「……何もしないの?」
セシリアが、ちらりとわたしを見た。
「王女さまが話したくなるまで、待ってます」
「変な人」
「よく言われます」
セシリアは、ふん、と鼻を鳴らして、また本に目を落とした。
けれど、ページをめくる手は、さっきより遅くなっていた。
その日、わたしは夕方まで、ただ王女のそばにいた。
次の日も、その次の日も。
三日目の昼、セシリアがぽつりと言った。
「お母さまも、この本が好きだったの」
わたしは、黙ってうなずいた。
「お母さまが死んでから、外に出たくなくなった。明るいところにいると、お母さまがいないのが、よく見えてしまうから」
ろうそくの火が、小さく揺れた。
「夜は眠れないの。目を閉じると、お母さまのことを思い出すから。だから、本を読むの。朝まで」
「お菓子は?」
「……甘いものを食べているときだけ、少しだけ、悲しくなくなるの」
わたしは、そっと王女の手を取った。
冷たい手だった。
(この子は、病気なんじゃない。ひとりで、悲しみの中に閉じこもってるんだ)
◇ ◇ ◇
その夜、わたしはルカと相談した。
≪昼夜逆転、日光不足、運動不足、甘いものによる血糖値の急な上下、そして孤立。数字が減っている原因として、どれも考えられます≫
「薬じゃ、治らないよね」
≪はい。必要なのは、生活と、人とのつながりです≫
次の朝、わたしは侍女たちに頼んで、王女の部屋のカーテンを、一枚だけ開けた。
朝の光が、細い帯になって部屋に差しこんだ。
「まぶしい……!」
セシリアが、掛け布を頭からかぶった。
「王女さま。少しだけ、窓のそばに来てくれませんか」
「いや」
「朝の光を浴びると、夜、眠りやすくなるんです。体の中の時計が、朝だって気づくから」
「体の中に、時計なんてないわ」
「あるんです。王女さまの体の中にも、ちゃんと」
長い沈黙のあと、掛け布の中から、小さな声がした。
「……少しだけよ」
◇ ◇ ◇
それから、わたしは少しずつ、王女の毎日を変えていった。
朝は、窓辺で光を浴びる。それから、窓を開けて、外の風を入れる。
食事には、野菜と豆と、トマの母親が持たせてくれた、すっぱいキャベツの漬物を少しずつ。
「すっぱい!」
「お腹の中の、小さな仲間のごはんです」
「お腹の中に、仲間なんているの?」
「いますよ。王女さまを守ってくれてる、大事な仲間が」
いちばん大変だったのは、お菓子だった。
「お菓子は、週に一日だけにしましょう」
「いやよ!」
セシリアは、枕を抱きしめて叫んだ。
「毎日食べなきゃ、悲しくなるもの!」
「じゃあ、こうしましょう」
わたしは、指を一本立てた。
「週に一日、『お菓子の日』をつくります。その日は、好きなお菓子を、好きなだけじゃないけど、ちゃんと選んで食べていい日」
「……好きなだけじゃないの?」
「じゃないです」
「けち」
「そのかわり、お菓子の日は、わたしもいっしょに食べます」
セシリアは、枕の陰から、じっとわたしを見た。
「……いっしょに?」
「はい。ひとりで食べるより、二人で食べたほうが、ずっとおいしいんです」
長い交渉の末、お菓子の日は「七日に一日」と決まった。
◇ ◇ ◇
最後の処方は、散歩だった。
「庭を、歩きましょう」
「いや。外は、人がいっぱいいるもの」
「朝早くなら、誰もいません」
王に相談すると、王はしばらく考えてから言った。
「王女の散歩には、護衛をつける。……アルベルトに頼もう」
次の朝。
まだ朝露の残る庭に、黒い騎士服の青年が立っていた。
「おはようございます、殿下」
アルベルトが、深く頭を下げた。
セシリアは、わたしの後ろに隠れるようにして、小さな声で言った。
「……騎士団長は、いつも怖い顔をしてるわ」
「そうですか」
アルベルトは、真顔のまま答えた。
「では、今日は少し、怖くない顔を練習しましょう」
セシリアが、目をぱちくりさせた。
わたしは、思わず吹き出しそうになった。
(この人、冗談を言うんだ)
三人で、朝の庭を歩いた。
最初の日は、噴水まで。次の日は、生け垣の迷路の入口まで。その次の日は、迷路の真ん中まで。
セシリアは、少しずつ口数が増えていった。母のこと。好きな本のこと。昔、この庭で母とかくれんぼをしたこと。
アルベルトは、ほとんどしゃべらなかった。けれど、王女が転びそうになると、誰よりも早く手を差し出した。
黒い革手袋をはめたままの手で。
(いつも、手袋を外さないんだ)
わたしは、その手を見つめた。
ある朝、迷路の出口で、セシリアが振り返って笑った。
「エリア! 騎士団長! 早く!」
その笑い声が、朝の庭に高く響いた。
アルベルトが、ほんの少しだけ、目を細めた。
その横顔を見ていたエリアの胸が、なぜか、きゅっと痛くなった。
◇ ◇ ◇
ひと月がたった。
セシリアの部屋のカーテンは、もうすべて開け放たれていた。
王女は夜になるとちゃんと眠り、朝は自分から窓辺に立つようになった。頬には赤みが戻り、もつれていた金色の髪は、侍女がきれいに編んでいる。
ある朝、セシリアが、左手をわたしの前に突き出した。
「エリア、見て!」
「残り58年12日」
「増えてる! 減ってないの、増えてるのよ!」
セシリアは、わたしに飛びついた。
その知らせは、すぐに王のもとへ届いた。
謁見の間で、王は玉座から立ち上がり、わたしの手を両手で握った。
「礼を言う。娘を、救ってくれた」
疲れていた王の目に、光るものがあった。
「エリア。そなたを、宮廷に迎えたい。王女の、そしてこの王宮の、命の相談役として」
わたしは、深く頭を下げた。
(役に立てた。ここにも、わたしの居場所ができた)
けれど、謁見の間の隅で、大神官オルドリクが、何も言わずにこちらを見ていた。
その目は、まるで実った果実の重さを量るように、冷たく、静かだった。
◇ ◇ ◇
その夜、わたしは寿命日誌を開いた。
「残り1年70日」
この一か月で、数字は大きく増えていた。
日付と数字を、一つずつ指でたどっていく。
大きく増えた日には、ある共通点があった。
王女と三人で、朝の庭を歩いた日。
(……アルベルトさまと、会った日)
わたしは、あわててスマホを伏せた。
≪エリアさん。何か発見しましたか≫
「な、何も!」
≪そうですか≫
ルカの声は、どこか、笑っているように聞こえた。
窓の外では、月が王宮の庭を照らしていた。
噴水のそばに、今夜も、黒い人影が一つ、立っていた。




