8話 王宮からの召喚状
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それから半月後。
村にやって来たのは、今度は神官ではなかった。
白い馬に乗った、王家の使者だった。
使者は、金の封蝋が押された羊皮紙を広げ、広場に集まった村人たちの前で読み上げた。
「リーフェ村のエリアに告げる。国王レオポルド三世陛下の名において、王都アステリアへの出頭を命ずる」
ざわめきが起きた。
使者は続けた。
「数字を変える娘の噂は、陛下のお耳にも届いている。真偽を確かめたいとの仰せだ。また、王女セシリア殿下が病に伏しておられる。殿下の数字は、理由もなく減り続けている。娘に、殿下を診させたいとのことだ」
わたしは、その場に立ちつくした。
◇ ◇ ◇
その夜、ヨハンがわたしの小屋を訪ねてきた。
「エリア。言いにくいんだが……村のしきたりで、王さまのお召しは断れねえ」
ヨハンは、帽子を手の中でくしゃくしゃにしていた。
「昔、お召しを断った村があってな。その年、村の者は誰も寿命を売らせてもらえなかった。パンが買えなくて、冬に何人も死んだ」
「……わかってます」
ヨハンが帰ったあと、わたしは寝台に座りこんだ。
左手の甲を見る。
「残り1年25日」
(王都には、寿命院がある。大神官がいる。行ったら、きっと調べられる。魔女として裁かれるかもしれない)
(それに……)
わたしは、小屋の中を見回した。
かまど。母の残した塩の壺。窓の外から聞こえる川の音。トマの家から漏れる、小さな笑い声。
(やっと、見つけたんだ。わたしがいてもいい場所)
(それを、また失うの?)
≪エリアさん。心拍数が上がっています≫
「……ルカ。わたし、逃げようと思う」
≪どこへですか≫
「わからない。でも、王都に行ったら、もうここには戻れない気がするの」
ルカは、しばらく何も言わなかった。
それから、静かに言った。
≪私には、エリアさんを止める権限はありません。ただ、記録を一つだけ読み上げてもいいですか≫
「……なに」
≪寿命日誌、九十八日分。エリアさんの数字が最も大きく増えた日は、トマさんが回復した朝と、おしゃべりの火に村の人が初めて集まった夜です≫
わたしは、答えられなかった。
◇ ◇ ◇
夜明け前。
川は、墨を流したように黒かった。水面から立ちのぼる冷たい霧が、頬をなでていく。
わたしは医療バッグを肩にかけ、そっと小屋の戸を開けた。
村は、まだ眠っていた。空の端が、かすかに白みはじめている。
川沿いの道を、上流へ。
足音を殺して、あの日目覚めた川辺まで来たとき、わたしは息をのんだ。
岩の上に、小さな人影が座っていた。
杖を膝に立てかけた、腰の曲がった老婆。
「……マルタさん」
「遅かったね。もう少し早く来るかと思ってたよ」
マルタは、川面を見つめたまま言った。
「十九の子は、昔から困ったことがあると、ここに来た。ハンナもそうだった」
わたしは、マルタの隣に腰を下ろした。
川の音だけが、しばらく二人の間を流れていった。
「マルタさん。母さんのこと……知ってたんですか」
マルタは、ゆっくりとうなずいた。
「毎年秋になると、ハンナは隣町へ出かけていった。かごを売りに行くってね。でも、あたしは産婆だ。人の顔色ぐらいわかる。帰ってくるたびに、あの子は少しずつ、年を取っていった」
「どうして、止めてくれなかったんですか」
「止めたさ。そしたら、あの子は笑って言ったよ。『エリアには内緒にしてね。あの子が自分のせいだと思わないように』ってね」
わたしの目から、涙がこぼれた。
自分の涙なのか、この体の持ち主の涙なのか、もうわからなかった。
マルタは、杖の先で川の水をそっとかき回した。
「なあ、エリア。あたしの婆さまの、そのまた婆さまから伝わる、古い言い伝えがある」
「言い伝え……?」
「大昔、数字は揺れるものだったそうだよ。よく眠り、よく食べ、よく笑う者の数字は増え、そうでない者の数字は減った。神さまじゃなく、人が自分で決めていたんだってさ」
わたしは、顔を上げた。
「でも、いつのまにか、誰もそれを信じなくなった。数字を売るようになってからさ」
マルタは、わたしの左手を取った。
しわだらけの指が、手の甲の数字をなでる。
「あんたが来てから、この村の数字は揺れはじめた。それはきっと、この村だけの話じゃない。王女さまの数字だって、減り続けてるんだろう?」
「……はい」
「だったら、行きな」
マルタは、まっすぐにわたしの目を見た。
「あんたの命は、もう村だけのものじゃない」
川の音が、ふいに遠くなった気がした。
風もやんでいた。夜明け前の、すべてが息をひそめているような静けさ。
その静けさの中で、わたしは祖父の声を聞いた気がした。
(本当に大事なことは、静かな、小さな声で聞こえてくる)
(逃げたいのは、怖いから。でも、本当のわたしの声は――)
わたしは、手の甲の数字を見つめた。
「行きます」
声に出すと、胸の奥が不思議と軽くなった。
マルタは、ふん、と鼻を鳴らした。それから、ほんの少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
その朝、王家の使者とともに村を発つわたしを、村じゅうの人が見送りに出た。
ヨハンは深く頭を下げ、ゲオルグ爺さんは杖を振り、女たちは泣きながら手を振った。
トマが、走ってきた。
両手に、小さな壺を抱えている。
「エリアねえちゃん、これ! 母ちゃんが漬けた、すっぱいキャベツ! お腹の仲間に、ごはんあげなきゃだめなんだろ!」
わたしは、声を上げて笑った。
笑いながら、泣いていた。
「うん。毎日、ちゃんと食べるね」
「ぜったい、帰ってきてよ!」
「約束する」
馬車が動き出す。
川沿いの道を遠ざかりながら、わたしは窓から身を乗り出して、いつまでも手を振り続けた。
リーフェ村のわらぶきの屋根が、朝の光の中で、小さく、小さくなっていった。




