27話 百年祭
十三日は、驚くほど速く過ぎていった。
王都じゅうが、百年祭の支度に追われていた。
大通りには白い花の飾りがつるされ、広場の真ん中には、古い石の祭壇が掃き清められた。
百年前、あの人が刻蝕を封じた場所。
祭壇の石には、封印の石と同じ古い文字が、うっすらと刻まれていた。
そのあいだ、わたしは、自分にできることをした。
セレスティア家の屋敷の門を開け、下町の人たちを招いた。
マルタさんとトマが村の豆でスープを煮て、セシリアが配り、わたしは一人一人の話を聞いた。
水を沸かすこと。早く眠ること。みんなで歩くこと。ひとりで食べないこと。
リーフェ村で始めた小さな灯を、王都の人たちにも、少しずつ手渡していった。
「エリア嬢の言うことを聞いてたら、なんだか数字が増えたって、下町じゅうの噂ですよ」
カイルさんが、うれしそうに報告してくれた。
寿命市場の前の列は、ほんの少しだけ、短くなっていた。
夕方になると、屋敷の前の広い通りでは、子どもたちの歓声が上がるようになった。
トマが、リーフェ村の遊びを教えたのだ。布を丸めて縄でしばったボールを、足だけで蹴って、相手の陣地の木の枠に入れる「ボールけり」。
最初は子どもたちだけだったのに、いつのまにか、仕事帰りの大人たちまでが上着を脱いで加わっていた。
「歩くだけより、ずっと息が切れるな!」と、パン屋のおじさんが笑いながら言った。
カイルさんまでが、騎士服のまま走り回って、子どもたちに転ばされていた。
アルベルトさまの傷は、少しずつふさがっていった。
夜になると、わたしたちは屋敷の東屋で、並んで月を見た。
彼は、もう一人で庭に立つことはなかった。
わたしが勧めるスープを飲み、わたしのそばで、短く眠った。
毎晩、わたしは彼の手を取って、あの数字を見た。
「残り8日」
「残り6日」
「残り4日」
「残り2日」
その数字を口にするたびに、彼は、わたしの手を握り返した。
◇ ◇ ◇
百年祭の朝は、雲ひとつない青空だった。
広場は、人で埋めつくされていた。
貴族も、下町の人たちも、子どもも、老人も。
花の香りと、焼き菓子の甘いにおいと、人いきれ。
楽隊の太鼓が、腹の底まで響いてくる。
祭壇の前には、国王陛下と、王女セシリア。
その脇に、白と金の衣の大神官オルドリク。
そして、銀色の髪のノクス公爵が、にこやかに貴族たちと語らっていた。
祭壇は、広場の真ん中に組まれた、小高い石の舞台の上に置かれていた。人の背丈の二倍ほどの高さ。舞台へ上がる道は、正面の幅の広い階段ひとつだけだ。
舞台の上で祈る王と大神官の姿を、広場じゅうの人々が見上げられるように。百年前から、そうして造られてきたのだという。
公爵の背後には、大きなガラスの壺が、いくつも並べられていた。
人の背丈ほどもある壺の中で、小指の爪先ほどの青い結晶が、何十万と、かすかに明滅している。
「寿命庫から運ばせた、神への捧げものだそうです」
わたしの隣で、カイルさんが低い声で言った。
「百年祭の祈りに使うって、公爵が言い張って。陛下も、止めきれなかった」
(ちがう。あれは、神への捧げものなんかじゃない)
(刻蝕への、食事だ)
わたしは、舞台の下、階段の前に立つ黒い騎士服の背中を見た。
アルベルトさま。
胸の包帯の上に、騎士団長の礼装をまとっている。
左手には、いつもの黒い革手袋。
けれど、その下の数字を、わたしは知っていた。
今朝、屋敷を出る前に、二人で見た数字。
「残り0日」
◇ ◇ ◇
正午の鐘が鳴った。
一つ。二つ。三つ。
鐘の音が、広場の上の青空に、高く響き渡っていく。
十二の鐘が鳴り終わったとき。
ノクス公爵が、ガラスの壺の一つに、手をかけた。
そして、それを、祭壇の石の上で、たたき割った。
ガシャン、という音。
こぼれ出した無数の青い結晶が、祭壇の古い文字の上に散らばった。
文字が、黒く光った。
空が、欠けた。
真昼の太陽の端に、黒い歯でかじり取られたような影が走る。
一口。二口。
みるみるうちに、太陽が黒く蝕まれていく。
広場が、夕暮れのように暗くなった。
「刻蝕だ!」
誰かの叫び声が、合図だった。
祭壇の石の割れ目から、黒い煙のような影が、噴き上がった。
寿命市場であふれ出したものとは、比べものにならない量だった。
影は、空へ、広場へ、人々の足もとへと、黒い洪水のように広がっていく。
噴き上がった影は、舞台の上で、ひとつの形にまとまっていった。
黒い騎士が立っていた。
ひびの入った兜。光を吸いこむ黒い剣。
祭壇の前の黒騎士は、影の軍勢を率いる将のように、ゆっくりと剣を掲げた。
その剣に応えるように、広場に広がった影が、むくむくと盛り上がった。
影は、次々に人の形になっていく。黒い鎧。黒い兜。黒い剣。顔のない、影の騎士たち。
十、二十、五十。影の黒い騎士たちは、舞台をぐるりと囲み、広場の人々のほうへ剣を向けた。
国王陛下と王女さまが、まだ舞台の上にいた。
アルベルトさまが、階段を駆け上がった。三段飛ばしで舞台に上がると、国王陛下と王女さまの腕をつかみ、階段の下へと押しやる。
「カイル! 陛下と殿下を!」
「はいっ!」
カイルさんが二人を抱きかかえるようにして、階段を駆け下りてくる。
大神官は、いつのまにか、祭壇の陰に身をひそめていた。ノクス公爵は、ガラスの壺のそばで、うっとりと黒い空を見上げている。
「騎士団、前へ! 民を守れ!」
アルベルトさまの声が、暗い広場に響き渡った。
◇ ◇ ◇
広場は、影の黒い騎士と、騎士団との戦場になった。
騎士たちが、影の騎士たちの前に盾を並べる。
黒い剣を受けた盾が、みるみる錆びて崩れていく。
それでも騎士たちは、倒れた仲間の盾を拾い、また前に出た。
逃げまどう人々の悲鳴。泣き叫ぶ子どもの声。
「マルタさん! トマ! こっちへ!」
わたしは、広場の端の石段に、倒れた人たちを運んだ。
マルタさんが、老人の背中をさする。
トマが、沸かした水の入った水筒を、次々に配って回る。
セシリアまでが、礼装のすそをからげて、小さな子どもたちを石段の陰へ連れてきた。
「王女さま、危ない!」
「危ないのは、みんな同じよ!」
セシリアの頬に、涙と泥がついていた。
それでも、その目は、まっすぐだった。
≪エリアさん、右の三人。脈が速すぎます≫
(わかった)
わたしは、走った。
倒れた若い母親の手の甲で、数字がぱらぱらと減っていく。
その手を握り、名前を呼び、水を含ませる。
数字が、止まった。
顔を上げると、祭壇のある舞台への登り階段で、二つの影がぶつかり合っていた。
アルベルトさまと、黒騎士。
舞台の上から黒騎士が打ち下ろし、階段の途中でアルベルトさまが受け止める。高いほうに立つ黒騎士の剣は重く、アルベルトさまは一段、また一段と押し下げられていく。
剣と剣が火花を散らすたびに、石の階段が砕けて舞い上がる。
黒騎士の剣は、空の太陽が欠けるほどに、重く、速くなっていく。
アルベルトさまの胸の包帯に、赤いしみが広がっていった。
それでも、彼は、一歩も引かなかった。
「ジーク!」
アルベルトさまが、叫んだ。
「ジークハルト! 私だ! アルベルトだ!」
黒騎士の剣が、一瞬だけ、止まった。
ひびの入った兜の奥で、緑色の光が、かすかに揺れた。
けれど、次の瞬間、黒い剣は、さらに激しくアルベルトさまに打ちかかった。
(届かない)
(あの人の声が、あの騎士に、届かない)
空の太陽は、もう、細い金色の輪だけになっていた。




