26話 二人で生きる道
騎士団の詰所の奥の部屋。
アルベルトさまは、寝台の上に起き上がって、窓の外を見ていた。
胸に、白い包帯が厚く巻かれている。
窓の外では、秋の風が、王宮の庭の木々を揺らしていた。
色づきはじめた葉が、ひらひらと、石畳の上に舞い落ちていく。
扉を開けたわたしを見て、アルベルトさまは、目を見開いた。
「エリア……? 村へ帰ったのでは――」
「帰りません」
わたしは、まっすぐに寝台のそばまで歩いていった。
「帰るのは、やめました」
アルベルトさまは、しばらく黙ってわたしを見ていた。
それから、目をそらした。
「カイルから聞いた。寿命院で、何があったか」
「……はい」
「どうして、一人で行った」
その声は、怒っているようで、泣いているようでもあった。
「私のために、君が命を差し出すなど――」
「あなたにだけは、言われたくありません」
アルベルトさまが、言葉に詰まった。
「百年前、リアナさんを置いて、一人で命を差し出したのは、誰ですか」
◇ ◇ ◇
部屋が、しんと静まりかえった。
風が、窓を小さく鳴らした。
アルベルトさまは、長いあいだ、何も言わなかった。
やがて、低い声で、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「……百年祭の日、私はもう一度、封印を張りなおすつもりだ」
「封印を……」
「数字は、一日に二日ずつ減っている。尽きるのは、十三日後だ。陛下は、百年祭をその日まで早めると決められた。百年前と同じように、王都の広場の祭壇で、民の祈りとともに儀式を行う」
「そのとき、あなたは」
「残っている私のすべてを、もう一度、神に差し出す。そうすれば、刻蝕を、あと何十年かは封じておけるだろう」
アルベルトさまは、自分の左手を見下ろした。
「それしか、方法はない」
(この人は、また、同じことをしようとしている)
(百年前と、同じことを)
わたしは、ふところから、小さな木の箱を取り出した。
ふたを開けて、アルベルトさまの膝の上に置く。
銀の剣のブローチ。
そして、「アルベルトへ」と書かれた、黄ばんだ手紙。
アルベルトさまの手が、震えた。
「これは……」
「リアナさんの部屋の、机の奥にありました。百年前から、ずっと、あなたを待っていたんです」
アルベルトさまは、震える指で、ブローチを手に取った。
小さな銀の剣。
きっと、百年前、彼が彼女に贈ったものなのだろう。
それから、手紙の封を、ゆっくりと切った。
わたしは、窓の外に目を向けた。
彼が読み終えるまで、その顔を見てはいけない気がした。
舞い落ちる葉を、ひとつ、ふたつと数えた。
十を数えたころ、背後で、紙がかさりと鳴った。
振り向くと、アルベルトさまは、手紙を胸に押し当てて、目を閉じていた。
閉じたまぶたのあいだから、ひとすじ、涙が流れていた。
「……英雄にならないで、か」
かすれた声だった。
「彼女は、わかっていたんだな。私が、そういう男だということを」
アルベルトさまは、手紙を膝の上に置いて、長いあいだ黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「エリア。前に、帰らなかった理由を話したな。陛下との誓い。年を取らない体。……あれは、うそではない。だが、本当の理由は、ほかにあった」
「本当の、理由……?」
「怖かったんだ」
灰色の瞳が、窓の外の舞い落ちる葉を見ていた。
「彼女の顔を見れば、生きたいと思ってしまう。もっと彼女といたい、年を取りたい、と。そう思ったら、命を差し出したあの日の決意が、崩れてしまう気がした。私には、それが何よりも怖かった」
彼は、自分の手のひらを見下ろした。
「命を差し出した英雄でいることでしか、私は、自分がここにいていい理由を見つけられなかったんだ」
(それは――)
(それは、わたしと、同じだ)
◇ ◇ ◇
わたしは、寝台のそばにひざをついた。
彼の目線と、同じ高さになるように。
「アルベルトさま。わたし、ずっと、あなたと同じでした」
「同じ……?」
「前の世界で、わたしは、誰かの役に立つことでしか、自分がここにいていい理由を見つけられませんでした。誰かのために何かを差し出していないと、自分には価値がないと思っていたんです」
前の世界、と言っても、アルベルトさまは驚かなかった。
ただ、静かにわたしの話を聞いていた。
「だから、最後は、知らない人を助けて、濁流に流されました。それでいい、って思いました。寿命庫でも、同じことを思いました。あなたのためなら、命を差し出してもいい、って」
わたしは、首を振った。
「でも、それは、少しちがったんです」
ルカが見つけてくれた、日誌の数字。
誰かを思いやったとき、思いやられたとき、どちらの命も増えていた。
「命は、差し出すものじゃありませんでした。誰かといっしょに生きることで、増えていくものだったんです」
アルベルトさまの灰色の瞳が、わたしを見つめていた。
「だから、犠牲になるのは、もう終わりにしましょう。あなたも、わたしも」
わたしは、深く息を吸った。
胸の奥で、心臓が、うるさいほど鳴っている。
でも、もう、逃げなかった。
「アルベルトさま」
「……ああ」
「あなたの寿命を、私にください」
アルベルトさまが、息をのんだ。
リーフェ村の広場で、ノクス公爵家の使いが、パンの値段のように口にした言葉。
命を差し出してもらうための、本当なら、とても重い言葉。
その言葉を、わたしは、ありったけの思いをこめて、もう一度言った。
「あなたの残りの人生を、わたしといっしょに生きることに、使ってください」
◇ ◇ ◇
長い、長い沈黙があった。
窓の外で、一枚の葉が、ゆっくりと舞い落ちていった。
アルベルトさまは、黒い革手袋を、右手でつかんだ。
そして、ゆっくりと、左手から外した。
数字のない手。
いや、わたしにだけは見える、「残り26日」の数字が浮かぶ手。
(26日。でも、その数字は一日に二日ずつ減っていく。この人に本当に残された時間は、十三日)
その手が、わたしの手を、そっと包んだ。
手袋ごしではない、はじめての、彼の手のぬくもりだった。
冷たいと思っていた手は、驚くほど、温かかった。
「……君は、本当に、変な人だな」
アルベルトさまの声が、震えていた。
「百年生きて、こんな求婚を受けたのは、はじめてだ」
「よく、言われます」
わたしが泣き笑いで答えると、アルベルトさまは、声を出して笑った。
星祭りの夜と同じ、肩を震わせる笑いだった。
それから、ゆっくりと笑いをおさめて、わたしの目をまっすぐに見た。
「エリア。私の寿命は、もう、ないも同然だ。それでも――」
「それでも、です」
「……わかった」
アルベルトさまは、わたしの手を、強く握った。
「私の残りのすべてを、君と生きることに使おう。たとえ、それが十三日でも」
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
セレスティア家の屋敷の、小さな礼拝堂。
伯爵さまに知らせると、伯爵さまは何も聞かずに、すぐに礼拝堂の扉を開けてくれた。
この国では、家の礼拝堂で、家長の前で将来を誓い合うことが、昔から許されている。「誓いの式」と呼ばれる、ささやかな約束の儀式だ。正式な婚礼は、神殿で、国王陛下の許しを得てから挙げる。
十三日しかない。だから、今日のうちに。
アルベルトさまは、カイルさんの肩を借りて馬車に乗り、詰所から屋敷までやって来た。
ステンドグラスから差しこむ夕日が、石の床に、赤や青や金の光を落としていた。
古い木の長椅子に座っているのは、ほんの数人だけ。
伯爵さま。セシリア王女。カイルさん。マルタさん。トマ。
祭壇の前で、わたしとアルベルトさまは、向かい合って立っていた。
彼は、胸に包帯を巻いたまま、騎士の礼服をはおっている。
わたしの胸もとには、銀の剣のブローチが光っていた。
アルベルトさまが、留めてくれたのだ。
「正式な婚礼は、すべてが終わってからだ」
伯爵さまが、目を細めて言った。
「今日は、誓いだけでよかろう」
アルベルトさまが、わたしの左手を取った。
わたしも、彼の左手を取った。
数字の光る手と、数字のない手。
「わたし、エリア・セレスティアは」
「私、アルベルト・ヴァルハルトは」
二人の声が、静かな礼拝堂に重なった。
「あなたと、ともに生きることを誓います」
セシリアが、鼻をすすった。
トマが、マルタさんの袖で、ごしごしと顔をこすった。
カイルさんは、天井を見上げて、「団長が……団長が……」と、何度もつぶやいていた。
ステンドグラスの光の中で、アルベルトさまの手が、わたしの手を、もう一度強く握った。
その夜、わたしは寿命日誌を開いた。
自分の数字は、見なかった。
かわりに、いちばん新しい行に、こう書いた。
「今日、あの人と、生きると約束した」
窓の外で、秋の月が、静かに楡の木を照らしていた。
百年祭の日まで、あと十三日。
この物語との出会いが、あなたの心に小さな彩りを添えられますように。
第7章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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