↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの寿命を、私にください ――世界でたった一人、私だけが彼の死を知っている  作者: Hamin
第6章 わたしが生きるほど

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/36

22話 刻蝕の目覚め

出発の前の日。

わたしは、一人で下町へ出かけた。


どうしても、もう一度だけ、あの場所に行っておきたかった。

王都に着いた日、寿命市場の石段に座りこんでいた、「残り3日」のおじいさん。


寿命市場の前の広場は、あいかわらず、灰色の顔の人たちで埋まっていた。

古い石畳のすきまから、すえたにおいが立ちのぼってくる。

物売りの声。子どもの泣き声。鳩の羽音。


石段に、あのおじいさんの姿はなかった。

かわりに、小さな花束が一つ、置かれていた。

しおれかけた、野の花。


(お孫さんは、元気になったんだよね)


わたしは、石段にしゃがみこんで、その花束にそっと手を触れた。


そのときだった。

空が、暗くなった。


◇ ◇ ◇


最初は、雲がかかったのだと思った。

けれど、見上げた空には、雲なんて一つもなかった。

太陽が、欠けていた。

まるで、黒い歯でかじり取られたように、太陽の端が、少しずつ黒く削られていく。


広場の人たちが、ざわめきはじめた。


「日蝕か……?」


「いや、ちがう。あれは――」


誰かの悲鳴が、ざわめきを引き裂いた。


寿命市場の白い建物の扉から、黒いものがあふれ出していた。

煙のような、霧のような、形のない影。

それが、石畳の上を、水のように広がっていく。

影に触れた鳩が、ばさりと地面に落ちた。

羽根が、みるみる白く色あせ、ぼろぼろと崩れていく。


≪エリアさん、逃げてください! 書庫の記録にあった、刻蝕の特徴と一致します!≫


ルカの声が、髪の下で叫んだ。


影は、人々の足もとに絡みついた。

若い男が、悲鳴を上げて倒れた。

その髪が、見ているあいだに白くなり、頬がこけ、手の甲の数字が、ぱらぱらと音を立てるように減っていく。

「残り31年」が、「残り12年」に。

「残り12年」が、「残り4年」に。


「いやああっ!」


広場は、一瞬で地獄になった。


そして、影の中心に、それはいた。

黒い鎧。黒い兜。光を吸いこむ、黒い剣。

霧の朝の、あの黒騎士だった。

黒騎士は、影の先頭に立ち、まるで軍勢を率いる将のように、ゆっくりと広場を進んでくる。

そのたびに、足もとの石畳がひび割れ、崩れていった。


◇ ◇ ◇


逃げなきゃ。

頭ではわかっていた。

でも、足が動かなかった。

目の前で、小さな女の子が、母親の手を引いて泣いていた。

母親は、影に足を取られて、石畳の上に倒れている。


(だめ)


わたしは、走っていた。

医療バッグを肩からはずし、倒れた母親の腕をつかんで、影の外へ引きずり出す。


「立てますか! こっちへ!」


母親の手の甲の数字は、まだ残っていた。

脈も、ある。

女の子が、わたしの服のすそにしがみついてきた。


「だいじょうぶ。だいじょうぶだからね」


その言葉を、何度くり返しただろう。

倒れた人を引きずり、影の届かない路地へ運び、水を飲ませ、脈を測る。

両手が、泥と血で汚れていった。


(ルカ、脈拍が速すぎる人を教えて)


≪右から三人目の男性。それから、その奥の老人です≫


どれくらい、そうしていただろう。

ふと顔を上げたとき、広場に、白い光が走った。


「さがれ! 民を路地へ!」


聞き慣れた声が、広場に響き渡った。

騎士たちが、馬を駆って広場になだれこんでくる。

その先頭に、黒い騎士服の背中があった。


アルベルトさま。


(来て、くれた)


◇ ◇ ◇


アルベルトさまは、馬から飛び降りると、まっすぐに黒騎士へ向かっていった。

剣と剣が、ぶつかった。

霧の朝とは比べものにならない、すさまじい音だった。

火花が散り、二人の足もとの石畳が、衝撃で砕けて舞い上がる。


黒騎士の剣は、前よりも重く、速くなっていた。

空の太陽が欠けるほどに、影の力が増しているのだと、わたしは思った。


二つの影が、広場の中心で、何度もぶつかり合う。

アルベルトさまは、押されていた。

黒い剣を受けるたびに、その腕がわずかに震える。

それでも、一歩も引かなかった。

彼の背中の向こうには、路地へ逃げこんだ人たちがいたから。


そして、アルベルトさまの剣が、黒騎士の兜を、横から打った。

鈍い音。

黒い兜に、ひびが入った。

ひびの隙間から、ほんの一瞬、何かが見えた。


目だった。

深い緑色の、人間の目。


アルベルトさまの動きが、止まった。

まるで、時間ごと凍りついたように。


「……ジーク……?」


その唇が、かすかに動いたのを、わたしは見た。


その一瞬を、黒い剣は見逃さなかった。


「アルベルトさまっ!」


黒い刃が、アルベルトさまの胸を、深く斬り裂いた。


◇ ◇ ◇


騎士たちの叫び声。

カイルさんが、剣を振りかざして黒騎士に斬りかかる。

黒騎士は、ひびの入った兜を片手で押さえ、ゆっくりと後ずさった。

そして、影の中に溶けるように、消えた。

影もまた、潮が引くように、寿命市場の扉の中へ吸いこまれていった。

空の太陽が、少しずつ、元の丸さを取り戻していく。


わたしは、石畳の上に倒れたアルベルトさまのもとへ、転がるように駆け寄った。


「アルベルトさま! アルベルトさま!」


騎士服の胸が、赤く染まっていた。

わたしは医療バッグを開き、傷口を押さえた。

手が、震えて止まらない。


(落ち着いて。落ち着いて。止血。圧迫。いつもと同じ)


傷口を押さえながら、わたしは、彼の左手を見た。

斬られた拍子に、手袋がはずれかけていた。

その下に、あの数字があった。


「残り30日」


昨日の夜、日誌に書いたのは、「残り91日」だった。


(六十日も……一度に……)


黒い剣が、彼の残りの時間を、喰らったのだ。


「……エリア」


アルベルトさまが、うっすらと目を開けた。

血の気のない唇が、かすかに動く。


「来なくて、いい」


「しゃべらないで」


「君は……生きろ」


それだけ言うと、彼の目が、ゆっくりと閉じた。


「いやっ……!」


脈は、ある。息も、ある。

気を失っただけだ。

わかっているのに、涙が止まらなかった。

わたしは、彼の傷口を押さえ続けながら、声を上げて泣いた。


(わたしのせいだ)


(わたしが、この人のそばにいたから)


(わたしが、この人の命を、吸い取っていたから――)


欠けた太陽の名残の、薄暗い光の中で、わたしの左手の甲の数字だけが、場違いなほど明るく光っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。