21話 わたしが生きるほど
その夜、わたしは一睡もできなかった。
寝台の上で膝を抱え、スマホの画面を、何度も何度も指でたどった。
(ちがう。そんなはずない)
(でも)
二つの数字の列を、並べてみる。
彼の数字が大きく減った日。
わたしの数字が大きく増えた日。
霧の朝。彼の手当てをした日。
月の夜。彼の秘密を聞いた日。
東屋の夜。彼が眠った日。
星祭りの夜。
(重なってる)
彼の数字が減った日、わたしの数字は増えていた。
まるで、彼の砂時計から落ちた砂が、わたしの砂時計に流れこんでいるみたいに。
≪エリアさん。落ち着いて聞いてください。二つの数字が同じ日に動いていることは、片方がもう片方の原因であることを、証明しません≫
「でも、重なってるでしょう」
≪重なっています。ただ――≫
「ルカ。もし、大神官の言うことが本当だったら?」
ルカは、答えなかった。
≪……私には、それを否定するだけのデータがありません≫
わたしは、スマホを胸に押し当てた。
冷たい黒い板。
(わたしが生きるほど、あの人が死ぬ)
その言葉が、胸の真ん中に、重たい石のように沈んでいった。
(わたしが笑うたびに。あの人のそばにいるたびに。あの人の命を、わたしが――)
窓の外が、白みはじめていた。
楡の木の向こうから、鳥の声が聞こえる。
いつもなら、眠りの灯を思い出させてくれる、やさしい朝の音。
今朝は、ただ、遠かった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
いつものように、アルベルトさまが警護の交代にやって来た。
門の前の石畳に、長い影が伸びている。
西の空が、焼けるような茜色に染まっていた。
「エリア。顔色が悪い。眠れなかったのか」
アルベルトさまが、わたしの顔をのぞきこんだ。
灰色の瞳が、心配そうに揺れている。
(この人の、こういう顔を、見てはいけない)
(そばにいては、いけない)
わたしは、目をそらした。
「アルベルトさま。お願いがあります」
「何だ」
「明日から、警護はいりません」
アルベルトさまの表情が、止まった。
「……どういうことだ」
「わたし、リーフェ村に帰ろうと思うんです。王女さまも、もうお元気になりましたし。村には、わたしを待っている人がいますから」
声が、ふるえないように。
ふつうの顔で、言えるように。
わたしは、こぶしを握りしめた。
「三日後に、ここを発ちます。だから、もう、会いに来ないでください」
長い沈黙があった。
茜色の光の中で、アルベルトさまは、じっとわたしを見ていた。
「理由を、聞いてもいいか」
「……言えません」
「私が、何かしたのか」
「ちがいます」
(あなたは、何もしていない)
(悪いのは、わたしなの)
アルベルトさまは、ゆっくりと目を伏せた。
それから、ほとんど聞こえないほどの声で、つぶやいた。
「……そうか。やはり、未来のない男には」
「ちがっ――」
言いかけて、わたしは、唇をかんだ。
ここで本当のことを言えば、この人は、きっと笑って言うだろう。
かまわない、と。
私の命など、もともとないようなものだ、と。
百年前、リアナさんを置いて戦場へ行ったときと、同じように。
アルベルトさまは、深く一礼した。
「……達者でな、エリア」
黒い背中が、門の向こうへ遠ざかっていく。
茜色の空が、少しずつ、紫色に沈んでいった。
わたしは、門の柱にすがって、声を殺して泣いた。
(これでいい)
(これで、あの人の命は、もう減らない)
左手の甲で、わたしの数字が、淡く光っていた。
その光が、今日ほど憎らしく思えたことはなかった。




