18話 星祭りの夜
「星祭りに行きましょう!」
カイルさんが、屋敷の玄関で、両手を広げて言った。
「年に一度の、王都いちばんのお祭りですよ。屋台がずらーっと並んで、夜には空に灯籠を飛ばすんです。団長も、たまには息抜きしないと」
「私は、警護の任務中だ」
「だから、警護すればいいじゃないですか。お祭りで。エリア嬢の、すぐそばで」
カイルさんは、わたしに向かって、ぱちんと片目をつぶってみせた。
(この人……わざとだ)
アルベルトさまは、長いため息をついた。
「……カイル。おまえは、ときどき本当に余計なことをする」
「分隊長のつとめですから!」
◇ ◇ ◇
星祭りの夜の王都は、光の海だった。
大通りの両側に、色とりどりの灯籠がつるされている。焼き栗のにおい。甘い蜜菓子のにおい。笛と太鼓の音。
人々の笑い声が、どこまでも続いていた。
「すごい……」
わたしは、思わず足を止めた。
リーフェ村のおしゃべりの火とはちがう。けれど、人が集まって笑っている光景は、どこか似ていた。
「はぐれるな」
隣で、アルベルトさまが言った。
騎士服ではなく、黒い平服を着ている。それでも、黒い革手袋だけは、いつものとおりだった。
カイルさんは、気がつくといなくなっていた。
(やっぱり、わざとだ)
二人で、ゆっくりと人ごみの中を歩いた。
屋台で、蜜をかけた焼きりんごを一つ買って、半分こにした。
「甘い」
アルベルトさまが、ぽつりと言った。
「甘いものを甘いと感じるのは、百年ぶりだ」
「じゃあ、今日は、お菓子の日ですね」
「お菓子の日?」
「王女さまと決めたんです。七日に一日だけ、甘いものを食べていい日」
アルベルトさまは、少しだけ口の端を上げた。
「では、今日は特別な日だな」
◇ ◇ ◇
大通りのはずれまで来たとき、わたしたちは、ある建物の前で足を止めた。
白い石造りの建物。扉の上に、砂時計の紋章。
寿命市場だった。
祭りの夜だというのに、その前には、長い列ができていた。
灯籠の光が届かない暗がりで、灰色の顔の人たちが、黙って並んでいる。
アルベルトさまは、その列を、長いあいだ見つめていた。
「百年前も、こうだった」
「え……?」
「人々は、パンのために命を売り、豊かな者は、それを買った。私は、そういう国を守るために、命を差し出した」
彼の声は、静かだった。
「そして百年たっても、何も変わっていない」
わたしは、何も言えなかった。
アルベルトさまは、手袋をはめた左手を、じっと見下ろした。
「エリア。君に、言っておかなければならないことがある」
「……はい」
「私には、未来がない。あと百二十日あまりで、私は消える」
祭りの音楽が、遠くに聞こえた。
「だから、私は、誰も愛してはいけないんだ。愛された者を、また一人で残していくことになるから」
その言葉は、わたしに向けたものではなかった。
もっと遠い、百年前の誰かに向けた言葉のように聞こえた。
わたしは、ぎゅっとこぶしを握った。
(この人は、百年も、ずっとそうやって)
(自分の未来を、最初から捨てて生きてきたんだ)
気がつくと、わたしは口を開いていた。
「だったら、わたしが買います」
「……何を」
「あなたの命を」
アルベルトさまが、目を見開いた。
「寿命市場で、命が買えるなら。わたしの数字が、あなたのそばにいるだけで増えるなら」
声が、震えた。
でも、止まらなかった。
「あなたと結婚できるなら、わたしは何度でもあなたの命を買います」
言ってしまってから、わたしは、自分が何を言ったのか気づいた。
(けっ……結婚……!?)
顔が、燃えるように熱くなった。
「ちがっ、いまのは、その、言葉のあやで、つまり――」
そのときだった。
アルベルトさまが、笑った。
口の端を上げるだけの、いつもの笑いではなかった。
声を出して、肩を震わせて、本当に、おかしそうに笑っていた。
「……君は」
彼は、笑いながら、手袋の甲で目もとをぬぐった。
「君は、本当に、変な人だな」
「よ、よく言われます……」
その笑い声を、わたしは、一生忘れないと思った。
◇ ◇ ◇
夜空に、灯籠が舞い上がりはじめた。
何百、何千という小さな光が、ゆっくりと、星の中へのぼっていく。
「きれい……」
わたしたちは、並んでそれを見上げていた。
アルベルトさまは、もう何も言わなかった。
けれど、人ごみの中で、わたしがよろけたとき、彼の手が、そっとわたしの手を取った。
黒い革手袋ごしの手。
それなのに、その手は、温かかった。
屋敷に戻ったあと、わたしは震える指で、寿命日誌を開いた。
左手の甲を、画面の明かりにかざす。
そして、思わず、声を上げそうになった。
「残り2年126日」
一晩で、一年。
たった一晩で、わたしの命は、一年も増えていた。
≪エリアさん。……記録しました≫
ルカは、それ以上、何も言わなかった。
心拍数のことも、言わなかった。




