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あなたの寿命を、私にください ――世界でたった一人、私だけが彼の死を知っている  作者: Hamin
第5章 恋をすると、命が増える

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16話 眠れない騎士

セレスティア伯爵家の屋敷は、王都の西のはずれ、古い楡の木に囲まれた静かな場所にあった。

石造りの、少し古びた館。廊下にはやわらかな絨毯が敷かれ、どの部屋にも、日だまりのにおいがした。


「この部屋を使いなさい。昔、一族の娘が使っていた部屋だ」


伯爵さまが案内してくれたのは、東向きの、窓の大きな部屋だった。

朝の光が、まっすぐに差しこむ部屋。


(眠りの灯には、ぴったりだ)


わたしは、思わず笑ってしまった。

伯爵さまは、不思議そうに首をかしげていた。


◇ ◇ ◇


それから数日後の夕方。

屋敷の門の前に、黒い馬が止まった。

降りてきたのは、アルベルトさまだった。


「陛下の命令だ。セレスティア家の娘の警護を、騎士団長みずから務めよと」


そう言うアルベルトさまの顔は、どこか、こわばっていた。

屋敷の玄関に足を踏み入れたとき、彼は一瞬だけ立ち止まり、天井を見上げた。

まるで、なつかしい場所に帰ってきた人のように。

あるいは、二度と来たくなかった場所に来てしまった人のように。


(この人は、この屋敷を知っている)


わたしは、何も聞かなかった。

聞いてはいけない気がした。


◇ ◇ ◇


その夜、わたしは屋敷の庭で、彼を見つけた。

楡の木の下で、剣を地面に向けて、月を見上げている。

王宮の庭で見たのと、同じ姿だった。


「アルベルトさま」


「……まだ起きていたのか」


「あなたこそ。今夜も、眠らないんですか」


「眠らなくていい体だと、前にも言った」


わたしは、深呼吸をした。


「わたしは、医者の手伝いです。眠らない患者さんを、放っておくわけにはいきません」


アルベルトさまが、眉を上げた。


「私は、患者か」


「はい。今夜から、わたしの患者さんです」


しばらく、沈黙があった。

それから、アルベルトさまは、ふっと息を吐いた。

笑ったのかもしれなかった。


「……わかった。何をすればいい」


◇ ◇ ◇


わたしは彼を、庭の東屋に連れていった。

石の長椅子に、伯爵家の古い毛布を敷く。


「横になってください」


「剣は」


「剣は、そこに立てかけておいてください。手の届くところに」


アルベルトさまは、少しためらってから、言われたとおりにした。

長い体を、窮屈そうに長椅子に横たえる。


「まず、ゆっくり息を吐いてください。吸うことより、吐くことを大事に」


「吐く……」


「はい。肩の力を抜いて。おなかの底から、ゆっくり、ゆっくり」


彼の息が、少しずつ深くなっていく。

わたしは、屋敷の台所でつくってもらったスープの器を、彼の手に渡した。

豆と根菜を、やわらかく煮込んだスープ。少しだけ、トマのお母さんの漬物の汁を落としてある。


「温かいものを、少しずつ。お腹が温まると、体が『もう休んでいい』って思うんです」


アルベルトさまは、スープをひと口飲んだ。

その手が、止まった。


「……どうしました?」


「いや」


彼は、器を見つめていた。


「何でもない」


もうひと口。もうひと口。

ゆっくりと、器が空になっていった。


わたしは、東屋の柱にもたれて座った。


「目を閉じてください。眠れなくても、いいんです。ただ、目を閉じて、息を吐くだけで」


「君は、どうする」


「ここにいます。あなたが眠るまで」


アルベルトさまは、長いあいだ、わたしを見ていた。

それから、ゆっくりと目を閉じた。


夜の庭は、静かだった。

楡の葉が、風にさらさらと鳴っている。

遠くで、ふくろうが一度だけ鳴いた。


どれくらいたっただろう。

ふと見ると、アルベルトさまの胸が、ゆっくりと、規則正しく上下していた。

眉間のしわが、ほどけていた。


(眠ってる……)


百年。

百年ぶりの、眠り。


わたしは、毛布の端を、そっと彼の肩まで引き上げた。

その寝顔は、驚くほど若かった。

英雄でも、騎士団長でもない、ただの二十八歳の青年の顔だった。


彼の唇が、かすかに動いた。


「……リ……」


誰かの名前を、呼んだような気がした。

けれど、それは、夜の風にまぎれて聞き取れなかった。


◇ ◇ ◇


翌朝。

東の窓から差しこむ光で目を覚ましたわたしは、あわてて庭へ駆け出した。

東屋の長椅子は、空だった。

毛布が、きちんとたたまれて置いてある。


「……おはよう」


背後から、声がした。

振り向くと、アルベルトさまが、楡の木の下に立っていた。

朝の光の中で、その顔は、いつもと少しだけ違って見えた。


「眠れましたか」


「ああ。……夢を、見た」


「どんな夢ですか」


アルベルトさまは、少し考えてから、首を振った。


「覚えていない。ただ、温かかった」


それから、少しだけ照れくさそうに、目をそらした。


「エリア。昨日のスープだが」


「お口に合いませんでしたか」


「いや」


アルベルトさまは、ゆっくりと言った。


「味が、した」


わたしは、言葉を失った。


「百年ぶりに、スープの味がした。豆の甘さも、少しすっぱいのも、ちゃんとわかった」


そう言って、彼は、笑った。

不器用で、ぎこちなくて、少しだけ泣きそうな笑顔だった。


わたしの胸が、どきん、と鳴った。


(だめだ)


(この人の、こんな顔を見たら――)


≪エリアさん。心拍数が――≫


(言わなくていい!)


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