15話 セレスティアの名
その知らせは、王女さまのお菓子の日にやってきた。
「エリア、大神官さまが、あなたを寿命院に呼びたいんですって」
セシリアが、焼き菓子を半分に割りながら、眉をひそめた。
「数字を増やす娘を、くわしく調べたいって。お父さまに、何度もお願いしてるらしいの」
わたしの手から、焼き菓子のかけらが落ちた。
(寿命院……)
村に来た神官ベルントの、冷たい笑いを思い出す。
大神官さまが、どうお考えになるかな。
「それだけじゃないの。ノクス公爵も、あなたを自分のお屋敷で『保護』したいって言ってるのよ」
「ノクス公爵が……?」
王都に着いた日、回廊の広間で目が合った、あの銀色の髪の男。
珍しい宝石を見つけたような、あの微笑み。
(霧の朝、力ずくでさらえなかったから。今度は、王さまの許しを得て、堂々と連れていくつもりなんだ)
≪エリアさん。心拍数が上がっています≫
(わかってる)
「心配しないで、エリア」
セシリアが、わたしの手をぎゅっと握った。
「お父さまは、エリアを誰にも渡さないわ。わたしが、ちゃんと頼んでおいたもの」
◇ ◇ ◇
翌日、わたしは謁見の間に呼ばれた。
玉座の前には、国王陛下。
その左には、大神官オルドリク。右には、銀色の髪のノクス公爵。
そして、広間の壁際に、黒い手袋の騎士団長が立っていた。
あの夜から、アルベルトさまとは、ほとんど言葉を交わしていない。
「エリア。そなたの身の置き場について、話がある」
国王陛下が、ゆっくりと口を開いた。
「大神官は、そなたを寿命院であずかりたいと申している。公爵は、屋敷で保護したいと申している」
大神官が、うすく笑った。
「神の定めた数字を変える力。それが神のみわざか、それとも禁じられた魔術か。確かめるのは、寿命院のつとめでございます」
ノクス公爵も、なめらかな声で続けた。
「陛下。このような得がたい娘を、狭い王宮の一室に置いておくのは惜しい。わが屋敷であれば、何不自由なく暮らさせてやれましょう」
二人の目が、わたしを見た。
まるで、品定めをするように。
(この人たちは、わたしを、人として見ていない)
(寿命を生む、道具として見ている)
国王陛下は、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「どちらにも、あずけぬ」
広間が、ざわめいた。
「エリアは、王女の命の恩人だ。ゆえに、わしはこの娘に、ふさわしい身分を与えることにした」
陛下が手で合図をすると、広間の扉が開いた。
入ってきたのは、杖をついた、背の高い老紳士だった。
白い髪をきちんとなでつけ、目もとには、やわらかなしわが刻まれている。
「セレスティア伯爵ゲルハルトだ。この者の家に、エリアを養女として迎えさせる」
老紳士は、わたしの前まで来ると、ゆっくりと身をかがめた。
「はじめまして、エリア。年寄りの一人暮らしで、退屈な屋敷だが、よければ、うちの娘になってくれないかね」
その声は、驚くほど温かかった。
わたしは、どう答えていいかわからなかった。
(娘……)
前の世界で、わたしは、誰かの娘であったことがなかった。
いや、娘ではあった。けれど、それを喜んでくれた人はいなかった。
「……はい」
声が、少しかすれた。
「よろしく、お願いします」
伯爵さまは、目を細めて笑った。
「今日から、そなたの名は、エリア・セレスティアだ」
国王陛下の声が、広間に響いた。
その瞬間だった。
壁際に立っていたアルベルトさまの顔から、すっと、血の気が引いた。
彼は、まるで亡霊でも見たように、わたしと、伯爵さまを見つめていた。
それから、誰にも気づかれないように、ゆっくりと目を伏せた。
(どうして……?)
(セレスティアという名前に、何かあるの?)
◇ ◇ ◇
謁見の間を出たあと、わたしは長い回廊を歩いていた。
戦いの絵の並ぶ回廊。顔の小さな英雄たち。
角を曲がろうとしたとき、柱の陰から、低い声が聞こえた。
「……あの娘は、いずれ寿命庫へ」
わたしは、足を止めた。
柱の向こうで、二つの影が話している。
白と金の衣。銀色の髪。
大神官と、ノクス公爵だった。
「急がれますな、公爵」
「急ぎもする。寿命庫の結晶は、ここ数年で倍に増えた。それなのに、あの石のきしみは、日ごとに大きくなっている」
「封印の石が、もたぬと?」
「わが主は、腹をすかせておられる。百年の眠りから覚める日も近い」
(わが、主……?)
「数字を生む娘。あれがあれば、主も満たされよう。そして私は、決して死なぬ体を手に入れる」
大神官は、何も答えなかった。
ただ、長い衣のすそを引きずる音だけが、遠ざかっていった。
わたしは、柱の陰で、息を殺していた。
心臓の音が、耳の奥でうるさいほど鳴っている。
≪エリアさん。今の会話を記録しました≫
(ルカ……)
≪「寿命庫」「封印の石」「わが主」。いずれも、まだ意味はわかりません。ただ――≫
ルカは、少しだけ間をおいた。
≪エリアさんは、狙われています≫
わたしは、左手の甲を握りしめた。
回廊の窓の外で、日が傾きはじめていた。
この物語との出会いが、あなたの心に小さな彩りを添えられますように。
第4章を最後まで読んでくださり、心から感謝いたします。
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