第一章『人ならざる者』
「…――っ!!」
声にならない叫びと共に、飛び起きた。
荒い息が口から漏れる。
汗ばむ手、しっとり濡れた服。
汗の浮く額を拭う私の顔を、心配げに覗き込むルームメイトがいた。
「随分うなされていたみたい。……大丈夫?」
「……平気」
相部屋に加えて、ベッドは隣同士。
常に互いの状態が筒抜けなのは考えものだ。
額に触れようとする手を交わして、床に足をついた。
嫌な、夢を見た。
何も見えない闇で聞こえる、訴えかけるような誰かの声。
最近よく見るようになった。
場面が切り変わるわけでもなく何度も、何度も。
私は何か忘れているのだろうか。
あの声に覚えがないうえ、その主さえピンとこない。
頭が痛くなる。
だけど……どうしてだろう。
無性に懐かしいような感覚に襲われた。
そんなわけないのに。
「変、だな…」
やっぱり所詮、夢は夢でしかない。
現実とは全く違うのだ。
それでも、何故だか気になる。
その理由は分からなかった。
ただ、知らないといけないような気がした。
* * *
『私立明央高等学園』
広大な敷地を誇り、生徒数は2000人をゆうに超える全寮制の名門校。
私が通っているのはそんなところだ。
入ることに抵抗はなかった。
元々親とも疎遠だったし、家にいても、いないのと変わらない。
愛なんてなかったから、今更親が恋しくなるなんてこともないんだけども。
邪魔くさい、無駄に長い髪を後ろに流して校舎内の中庭を足早に進む。
急がないと非常に面倒くさいことになりかねないのだ。
“王子”の登校をまだかまだかと待ちわびる幾多の女生徒たち。
2年もこの学園に通っていれば、そんな光景すら日常化していることで、その他の生徒は迷惑そうに視線を向けるだけで何も言わない。
集団で突っかかってくるから、何か意見しようものならひとたまりもない。
目を付けられて噛みつかれるのは誰だってごめんなのだから。
校舎内に足を踏み入れると同時に聞こえた、甲高いざわめき。
ああ、またか…。
小さくため息を漏らして視線を向けるも、人だかりのせいで姿すら確認できない『王子』と呼ばれるその人――宝生瑠架。
同じ人間に間違いない……の、だけど。
目に写したその存在感は、まさに異質。
透き通るような白い肌、襟足までのサラリとした黒髪。
底の見えない、同色の瞳は物憂げな表情を称えている。
その表情は堅苦しく、無愛想。
人間離れした端麗な容姿、誰もが知る人柄が存在感をさらに駆り立てる。
人を寄せ付けない完璧な佇まい。
それはまさに『孤高の王子』だと有名だった。
きっとこの学園で彼を知らない人はいない。
その場にいるだけでも教師、生徒を問わず目を引く美しさなのだから。
けれど彼は、人との馴れ合いを好まないらしい。
他人の気遣いも容赦無く跳ね返す冷酷な人だと噂だった。
そんな彼を私は不憫に思う。
一生徒には違いないのに、周りと違うというだけで特別視されてしまうのは放っとかれるよりも辛いんじゃないか。
私はそんな人生が嫌で逃げ出してしまった。
あんな上辺しか見てもらえない地位なら戻りたいと思わない。
物心ついた頃、既に親はいないも同然だった。
人からいつも素通りされて来た。
無条件に貰えるはずの愛さえ感じたことはなくて。
人が当たり前に受けるそれを、私は知らなかった。
一人が、当然なのだと思っていた。
ずっと、誰しも平等だと。
けれど幼心の淡い考えは砕かれ、一人なのは自分だけだと悟った。
度々開かれる和気藹々とした会合や催し事。
周りにいる同年代の子達には決まって、側に親族か、隣に従者が控えていた。
顔見せや世間体から、両親と参加することは多かったけど、常に一人の世界は当たり前。
そこそこ有名な両親のお陰で、家柄に対し顔色を伺うように諂う人は大勢いた。
気付けば味方は、誰もいない。
私の周りだけ冷え切っていたのは決して気のせいではなかった。
子を見る親の目は荒んでいて、まるで汚い物を見ているよう。
受けた仕打ちは躾なんて生易しいものではなくて。
そこに愛情など微塵もないことは火を見るよりも明らかだった。
一人は平気。
一人なんて慣れてる。
だって私には、誰かと寄り添うだけの価値もないから。
生きているから疎まれる。
遠に知っていた事実だ。
「産まなければ良かった」
「もっと優秀な子が欲しかった」
……なんて、聞き飽きた言葉。
幼い頃から日常会話の如くすれ違いざまに言われ続けた。
『だったらいっそ、誰かが殺してくれたら良かったのにね』
無感情に言って退けた私に向けられた、歪んだ母の顔を忘れない。
その後、頰が腫れ上がる程強く叩かれ、当の母親は泣き出し逃げたのをよく覚えている。
忘れたくとも忘れられず。
今尚、記憶に焼き付く非情の過去。
私はきっと、怖かった。
大丈夫なのだと、自分を抑制し蓋をした。
けれど私は一人になることを誰よりも恐れて、苦肉にも自身の首を絞め、気付かずにいた。
昔、誰かに言われた。
私は「冷めている」のだと。
「会話が続かない」「つまらない」のだと。
ああ、私はそういう人間なんだと漠然と感じた。
それならそれでいい。
誰の邪魔にもならないから、関わりたくないのなら近付かなければいい。
無理をしなくてもいいのだ。
こんな、生まれついてのイラナイ子と一緒にいなくてもいいのだと言ってあげたい。
生きてることが疎まれる原因。
存在そのものが罪。
死ぬことでさえ償えないのなら、私には“生”と“死”のどちらの価値もないということでしょう?
自虐的な奴だと私を笑うのなら、言ってやりたい。
「私をこんなにしたのはお前たちだ」と。
それを面と向かって言えたらどんなに楽なんだろうか。
意味なく自嘲したくなった。
**
ペンを置いて、手を伸ばして大きく伸びをした。
テスト期間中ともあって、勉強にかかりっきりで他のことが手につかない。
そんな状態が続いてか、集中力が切れた時の疲労が尋常ではなく。
時計はまだ、9時にも回っていない。
倒れ込みたい衝動をなんとか抑え、飲み物を買いに行く名目で、気晴らしに散歩でもしようと立ち上がって寮の部屋を出た。
夜風が頬を撫でて、昼間より少し心地いい。
このまま時が止まればいいと、自分らしくないことを思った。
もう数週間もすれば夏期休暇に入る。
そうすれば大半が家へと帰って行くのだけど……私は、どうするのだろう。
ふと思った。
また誰も出迎えてはくれない、一人の家に帰るのだろうか。
そんな意味など到底、私にあるわけないというのに。
“実家”に帰るため、みんな身支度を整えている。
どうでもいい。
私には帰る家も、戻る居場所もないのだから。
私が帰れば家の人はきっとガッカリするに違いない。
目下の者を差別し忌避し続ける。
あの家は、そういう人たちが集う場所なのだ。
できればこの先二度と、帰りたくないとさえ思ってしまう。
そんなこと、無理でも叶うわけがないのに。
一人の家に帰るのも嫌。
家族が揃った窮屈な家に帰るのも嫌。
肩身の狭い思いをすることが耐えられない。
それなら、いっそ前の生活に戻る方がマシかもしれない。
あの悪夢のような地獄を見ることの方が。
きっと、よっぽど……
憂鬱に感じながら、はたりと足を止める。
いいわけが、ないのに。
頭では分かっているつもりでも、心が、体が、全部が。
悲鳴をあげて、拒絶する。
いつから弱くなった?
いや、それももうずっと前からだろう。
私は元からこうだったのだ。
すっかり忘れていた気がする。
この世から自分の存在ごと、なかったことにできれば簡単なのに。
*
途中、気配を感じて立ち止まる。
「―――っ、……――」
「っ――…っ」
どこからか、微かにだけれど話し声が耳に届いた。
どうやら薄開きになった空き部屋から聞こえているらしい。
あそこは確か、物置部屋――。
中を覗くも、暗くて何も見えない。
その時、雲から顔を出した月明かりが部屋を照らし出す。
あっ…と息を呑んだ。
2つの影が見えたかと思えば、その表情がはっきりと見える。
一人は、焦りを含んだ表情の逢知利央。
右耳に3つ、左耳に4つ並んできらりと光るピアス。
校則を守らないチャラチャラした外見。
名門のこの学園では他にいないほど奇抜で、印象深い。
行動力があり、一人でも適当に生きていけそうな人で野生的。
そして、人を寄せ付けない宝生瑠架の側にいることを許された唯一の人物。
『悪漢人とそれを宥めるお目付け役』
そう名が通るほど、王子に並び有名だった。
そしてもう一人は、苦悶の表情を浮かべて膝をつく、宝生瑠架ーーその人だった。
「だから聞いてるだろ。お前今日薬飲んだかって」
「ぅ、っく……誰が飲む…か、あんなっ……もの…っ」
「いい加減にしろよ。もう限界近いんだろ」
何やら口論になっているらしい。
「我慢すればするほど、迷惑被るのはお前じゃない。
そのうち衝動を抑えられなくなるぞ」
これ以上プライバシーに関わることは危険だ。
深く関わる必要もない。
ゆっくりドアを閉めようとした時。
「……っつ…!」
ドアの剥がれた木片が手の内側に、棘のように刺さる。
それに驚き、滑った拍子でそこから手首辺りまでザックリ切ってしまった。
赤い線が浮き出て、血が一滴、皮膚の上を伝う。
やってしまったと頭を抱えた。
幸いにも声を上げることもなく気付かれてもいない。
この程度で痛いも何もないけれど、傷口が空気に晒されてピリピリとする。
「とりま、薬だけ超特急で取ってくるから。
こんなとこ誰も来ないだろーけど油断すんな。絶対この部屋出るなよ」
「余計な、世話だな…っ」
「強がんなっての」
そんな会話ののち、カツン、とこちらに向かってくる足音。
今見つかるのは流石にまずい気がした。
わざわざこんな場所でする話、聞かれては困る内容に決まっている。
そう判断して、柱の影に身を隠した。
なぜ私がこんなことをしないといけないのか、混乱する頭では到底分からなかった。
「ったく、だからあんだけ言っといたっつーのに」
ブツブツ呟きながらも、廊下の角を曲がり、男子寮の方へと姿を消したことを確認して安堵する。
何か、あったのだろうか。
それよりも、もう戻ったほうがいいのかもしれないと、そそくさと自室に戻ろうとした。
けれど。
カタンっ――。
今し方覗いていた部屋から、何かがぶつかるような物音がした。
様子だけでもと中を覗けば、機微ながらも人が倒れているのを目視できた。
言うまでもなくそれは宝生瑠架。
「はぁ、はっ……はあ…」
荒い呼吸が幾度となく繰り返され、放っておいていいのか分からなくなる。
私はどうしたらいいのだろう。
いつものように自分には関係がないと捨ておけば良いのだろうか。
迷っていると、痛めた手を不意にぶつけ、その拍子に声が漏れる。
「あ…っ」
まずい…
慌てて口を手で押さえて、中を確認。
ピクリと、背を向けた王子の肩が揺れ、動きが一瞬止まる。
そのままこちらをゆっくり、振り向いた。
気付かれたと、そう思った。
あいにく視界が悪く、その表情を確認できない。
「――…しい、欲しい。この、匂い……
欲しい……血臭だ…」
「…!?」
あまりの衝撃に目を見開く。
ゆらり、と立ち上がっておぼつかない足取りでまた倒れそうだ。
けれど確かに、こちらに目標を定めている。
様子がおかしいどころではない。
離れなくては……
元来た道を引き返そうと、後ろを向いた瞬間――。
キィイ……とドアの軋む音。
耳元の荒い息を直に肌に感じた。
いつの間に……
そう思う間もなく、異常なほど熱い体温に包まれた。
突然のことに、頭は錯乱状態だった。
部屋の中へと引きずり込まれ、無情にもドアが閉まるのを遠く見た。
「…ぃ、や……ちょ…っ」
体が動かない。
それどころか、まともに声が出ない。
身体全体の力が一挙に吸い取られているかのような感覚。
これは、なに。
一体なに。
何も考えられない。
自分の力が遠く及ばない。
それらを総括し例えて言うならば、完全な無力。
体に巻きつき締め付ける、細い腕。
熱い吐息が肌をくすぐり刺激する。
絹糸のように艶やかな髪が視界に映った。
「…っ」
ツツ…――と、柔らかい何かが首筋を這う。
それによって触れられた部分が身体中に広がっていくかのように熱を持ち始め、私を敏感にさせた。
滑るように、なぞるように、舌がそっと。
ある目当てを探して流離うように何度も、何度も。
繰り返されるそれに、脳が痺れて真っ白になって行く。
流されるまま、何もできないままに。
行為が更にエスカレートするのを感じた。
「はあ…はっ、はぁ……」
不意に、舌ではない尖ったものが深く食い込んだ。
ブツリ…――
すぐ耳元で聞こえた、皮膚の裂けるような惨たらしい音。
躊躇なく皮膚を突き破って何かが入ってきた。
ぽたりと。何かが伝い、滴る。
じゅるり、じゅる……ゴク…――
なに。なに。
これは、なに。一体なに。
首に……首ニ何カガ、ウマッテル。
漠然とそう思い、自覚した直後――。
「…ぅ、ぁあ……っ」
ズキン、ズキンと。
混乱した私に追い打ちをかけるかの如く、頭が割れるように痛み出す。
鼓動のように痛みは増しながら速くなり。
そして大波のように襲い掛かって私を苦しめた。
フラッシュバックが起きて、映像が脳内に直接流れ込んでくる。
《――…わせよ。すごく》
《私はとても、幸せなの》
《ねえ神威。あなたはどう?少しは楽になった?》
《彼が来る。だから私は心、踊るの》
《貴方は今日も来るかしら》
《求めて。もっと私を。ねえお願い。
私を求めて、神威…》
だれ?
ああでも、確かに私は……
心に語りかけるような声の持ち主を、知っている。
ずっと長らく夢に見る、あの女性。
こんな場所に閉じ込められて、どうして笑っていられる?
いつも一人で、誰を待っている?
貴方は一体誰なの?
ねえ。
だあれ――…?
いや、分かっている。
ようやく、私は夢の情景を思い出した。
あれは、前世の記憶だ――。
「――っ…!!」
首に感じる鋭い痛みで我に帰った。
懐かしくて、優しくて、辛くて、思い出したくなかった記憶が現代の私とリンクする。
「神威…?」
私の最愛だった人。
目の前にいるのは、人間ならざる存在。
緋色に底光る、深い赤の瞳。
手では隠し切れない、真っ赤な付着物を唇に纏い。
その隙間から覗く牙を舌で舐めとる姿はまさに、生来露わにした一匹の『獣』――。
ズキンっ…
忘れかけた頭の痛みが再び襲う。
知らない光景、物のありさま、側にいる安らぎ、愛おしい存在。
それがとても、懐かしい。
「ル、イ……」
ぽつり、水滴が顔にこぼれ落ちた。
それは、目の前の人の涙。
会いたくて、会いたくて、会いたくて。
何度転生しても焦がれたあの人の、ようやく会えたという喜びの感情が濁流のように流れ込んできて、私の胸を刺す。
思い出したくなかったのに…。
今の私は、過去の記憶を受け止めるほど強くはないのに。
どうして、今世で思い出してしまったのだろう。
ああ、どうしてなの……。
そこまで考えて、ぷつりと意識が途切れた。




