序章『静かな眠りは残酷に時を裂く』
燃え上がる屋敷を尻目に、漆黒の髪を月夜に光らせながら青年は進む。
既に焼け野原となった広大な敷地内に逃げ場などなく、何の力も持たない人間は命果てるまで嘆き、叫び狂う。
きっと夢にも思わないだろう。
それが自分達の犯した戒めの報いなのだとは。
青年が向かう先はただ一つ。
今まだ火の届かぬ離れの塔の最上階。
長く伸びる木を慣れたように軽やかに伝い、器用に塔の窓辺へ飛び移った。
「ルイ、俺だ。外は恐慌している。
今がチャンスだ。事情は後で説明するから早く……」
いつになく弾んだ声色は、途切れた。
いつものように快く出迎えるはずの少女が出てこない。
頭の回る彼は、すぐさま変だと気付いたのだ。
そっと室内を見回して、寝台脇に倒れる少女を見つけた。
「ルイ……っ!!」
尋常じゃないほどの焦りを滲ませながら、少女を抱き起こした青年は気付いた。
もう、手遅れなのだと――。
触れた手は血色悪く、汗ばみ脈が小さくなっていた。
驚くほどに冷えている。
元々いつ死ぬかも知れない体。
ここまで保ったことが奇跡なほどだった。
「か、むい……」
かろうじて意識のある少女。
薄く唇を開き、震える声で呼んだのは愛する者の名だった。
焦点の合わない瞳にその姿、顔を焼き付けるよう必死に写そうとする彼女に、心が痛む。
絶望を狭間感じながらも、それを表に出さないよう青年は微笑んだ。
最期を残してもらうなら、笑顔の方がいい。
その一心で、引き裂かれそうな心を押し込め自分を保った。
「私、幸せ…ね。
たとえ何がなくなろう、と……貴方がいる、から…。
奪わせない。これだけは、絶対……に」
笑うことさえ、喋ることさえ辛いはずなのに。
それも自分のためだと思うと心臓が張り裂けそうで、どうにもやりきれない。
ただ、悔しい。
愛する彼女の生命を繋ぎ止める細い糸が切れかかっている。
限界が近いと悟った。
瞬間、少女の頬に涙が落ちた。
「ど、したの…?そんなつら、そうな顔して…。
平気。こんなの、全然。ああ、でも、悔いが残る……な…。貴方を側で、もう…見られないこと…。すごく、悲しい…の」
青年の頬を撫で、愛おしげに見つめる。
泣きたいけどもう、泣けない。
そんな力はどこにも残っていなかった。
「ねえ、泣かないで…?
大丈夫、大丈夫…だか、ら。
私、また貴方に…会いに、行く…から。
弱い…貴方を一人にした、ら……死んでも、安心…できない……でしょ?
どれだけ経って、も……私は、貴方に会いに……行く…。
だからきっと……探して…。
そしてまた、巡り会えたら、いい…のに…。
ねえ、約束……して、ね」
「約束、する。絶対見つけて、もう離さない。
だから今は眠れ」
そう、安らかに。
彼女に一時の安息を。
「次に会えたらまた、お前のことを話してくれ。
飽きるまで、ずっとだ」
「ふふ……うん。絶対、絶対……ね。
楽しみ、してるか…ら…。私……神威を…あ、いし…」
瞳は光を失った。
繋いだ手から力が抜けた。
心臓の鼓動が止んだ。
体の芯まで感じた温もりが消えた。
彼女の生気も全て、感じられなくなった。
生命が、消えた。
唇をきゅっと結び、青年は涙を堪える。
最期まで懸命に閉じまいとしていた、薄く開かれた瞼をそっと閉じてやる。
まるで真に眠っているように安らかな、美しい少女の頬を撫で、口付けをした。
彼女の言葉は、届かなかった。
けれどその時を信じて待っている。
何度生まれ変わっても、ずっと。
『私は、貴方を――…』




