09 人生、何が役に立つかわかりません
「うん、やっぱり俺の婚約者が世界で一番可愛いな」
ドレスを纏った私を目にして、ザイン様はなぜかドヤ顔を決めている。
「贈ってくださったドレスが素敵だからだと思いますけど……」
ちょっと過剰な賞賛に耐え切れず、私は思わず目を泳がせる。
これまでだって夜会やパーティーの類いは数多く参加してきたし、こういうドレスも何度となく身に着けてはきたのだけど、前世の記憶を思い出してしまうとなんだか妙に気恥ずかしいというか、見慣れないというか。
しかも、これまではテオドルス殿下の瞳の色であるエメラルド色と髪の色である金色が使われたドレスばかりだったのに、今日はザイン様の瞳の色と同じ淡い空色のドレスなのである。そりゃ、自分でも見慣れない感じがするのは仕方がない、と思う。
今日はいよいよ、王太子妃殿下のご懐妊を祝うパーティーが開かれる。
妃殿下も安定期に入り、今日はこのパーティーに出席されるらしい。
一応、かつてはテオドルス殿下の婚約者だった私も、王太子ご夫妻とは面識がある。
本当は義理のきょうだいになるはずだった人たちだし、特に妃殿下クラウディア様は「あなたと姉妹になる日が待ち遠しいわ」とまで言ってくれた人だから、一連のテオドルス殿下にまつわる騒動にはだいぶ心を痛めているらしい。
だから今日、直接お会いしてはっきりとお伝えしたい。
大丈夫です、クラウディア様。
見ての通り、私はまったくのノーダメージです! と。
そんなこんなで威勢よく王城に乗り込んだというのに、大広間に入った途端、文官らしい若い男性が私たちに近づいてきた。
「すみません、ザイン殿下。引き継ぎ事項に関しまして、至急ご確認いただきたいことがございまして……」
男性は弱り切った顔をして、ザイン様の表情を窺っている。
「……今日はパーティーのために登城したのだが」
「重々承知しております。しかし、急を要する案件でして……」
眉根を寄せるザイン様に、男性は懇願するかのような目で私のほうをチラ見する。助け舟を出してほしいらしい。
「ザイン様、行ってあげたらどうですか?」
「……えー」
こっそり耳打ちしたら、これまたこっそり不満げな声が返ってきた。なんだか可愛い。
「パーティーはまだ始まっていませんし、私なら大丈夫ですから」
全身で「行きたくないんだけど」といった雰囲気を出しつつも、ザイン様は文官に向かって「仕方ないな」と答える。
「さっさと切り上げて戻ってくるから。ここで待ってて」
「わかりました」
文官のあとに続いて大広間を出ていくザイン様を見送って、通りかかった給仕から果実水のグラスを受け取ったところまでは覚えている。
ほんの少しだけ口に含んだあとの記憶が、ない。
◇・◇・◇
目が覚めたら、ベッドの上だった。
「……気がついた?」
私の顔を覗き込むのは、こんなところにいるはずのないやんごとなき御仁――
「テ、テオドルス殿下!?」
がばりと起き上がった拍子に、ぐらりとめまいがする。頭もガンガンする。
「――痛たたた……」
「あー、無理しないほうがいいよ。ちょっと分量を間違えちゃったみたいでね」
なんの!? とは聞かなかった。それどころではない。
「やっと会えたね、ラウラ」
こめかみを押さえながらもなんとか顔を上げると、テオドルス殿下の血走った目が見えた。
最後に会ったときよりも、頬はこけているしクマもひどいし、それより何より全身から噴出する負のオーラが半端ない。
これは、あれですね。現代日本でいうところの「ガンギマリ」ってやつですね。
などと悠長なことを考えている場合ではない。
「で、殿下、これは、いったい……」
「だってこうでもしないと、ラウラと話ができないだろう?」
話なんかする必要ある!? ないよね!?
とは、口が裂けても言ってはいけない。
だって多分、今の殿下に私の言葉は届かないだろうから。
人間、一番怖いのは『言葉はわかるのに一切話が通じない相手』なのだと、たった今知った。
「は、話、とは、なんでしょう……?」
私はできるだけ冷静に、殿下を無駄に刺激しないよう、恐るおそる尋ねてみる。
「決まっているだろう? 僕たちの再婚約のことだよ」
「……再婚約……?」
「君と僕とが深く愛し合っているという事実を忘れて、どいつもこいつも再婚約を認めてくれないんだよ。君はすでに叔父上と婚約しているのだから、と言ってね」
「そ、それは……」
「わかっているよ。叔父上との婚約は、君が望んだことじゃない。叔父上に脅されたんだよね?」
「……はい?」
「確かに、こんなことになってしまって僕も気づいたんだ。僕のしたことは、間違っていたのかもしれない。でも、僕はただ、純粋にラウラを愛していただけだ。ラウラへの愛が深すぎて、もっとラウラに愛してほしいと思っただけなんだ。彼女たちのことは本当になんとも思ってないし、僕が心から愛しているのはラウラだけ。僕を愛するラウラなら、わかってくれるよね?」
テオドルス殿下は恍惚とした表情を浮かべながら、私への愛を一心に叫ぶ。
でも私の頭の中では、往年の国民的お笑いグループのリーダーがこう叫んだ。
……ダメだこりゃ!!
「……殿下」
私はどうにかこうにか体を起こして、ゆっくりと立ち上がる。
「……一つだけ、お伝えしておきたいことがございます」
言いながら、私は両手の指を広げて顔の前に構え、脇を絞めて片足を少しだけ後ろに引いた。
いきなり不可思議な体勢を取る私に、殿下は小首を傾げている。
「……ラウラ、どうしたの?」
「……本来これは、不意の攻撃に備えつつも、相手を宥めながら冷静になるよう語りかける際の姿勢なのですが」
「……ん? なんのこと?」
「……思い出したのです。昔、こんな授業を受けたことがあったなって」
そう。
私は思い出していた。
前世で高校生だった頃、学年全体で『防犯教室』という講習を受けたことを。
確か警備会社の人たちが数人やって来て、護身術とか防護術とかを実演してくれたときに「暴漢に襲われたらこうやって身を守ろう」と言って教えてくれたのが、基本のこのポーズ。
もちろん、暴漢や不審者に襲われたときは、その場から逃げて身を守ることが最優先である。
でも、今この状況で、逃げ場はない。
もし少しでも逃げる素振りを見せようものなら、殿下は恐らく逆上する。興奮のあまり、何をしでかすかわからない。
だったら、自分の身は自分で守るしかない……!
指と指の間から殿下の動きを見定めつつ、私はあのとき講師の先生が言っていたことを思い出す――――
『相手が一気に近づいてきたら、顔か股間を狙いましょう』
『一撃で大きなダメージを与えることが重要ですから、躊躇せず思い切りやっちゃいましょう!』
「ラウラ? どうしたの?」
「殿下。残念ですが、ザイン様との婚約を望んだのは、この私です」
「……え?」
「ぜひとも婚約してほしいとザイン様を半ば脅したのは、むしろ私のほうなのです!」
「……はあ!? なんで!?」
一瞬で目を吊り上げ、悪鬼の形相になったテオドルス殿下が一気に距離を詰めてくる。
私はぐっと重心を下げ、思い切り股間を蹴り上げようと右足に力をこめた。
その瞬間――――
「ズドーーーーン!!!」
突然辺りが真っ暗になったかと思うと、空を覆うほどのまばゆい稲光とともに耳をつんざくような爆音が……!




