04 不遇の王弟殿下をスカウトする
ザイン殿下が『不遇の王弟殿下』と呼ばれる理由は、ただ一つ。
それは、殿下のお母様が王城のメイドだったから。
いや、メイドでしかなかった、というべきか。
どこぞの貴族令嬢などではなく、王城で下働きのメイドをしていた殿下のお母様は、あるとき酒に酔った先王陛下のお手付きになって、まもなく身ごもったという。
その頃すでに現国王陛下は立太子していたし、きょうだいである王子王女も何人かいた。ザイン殿下は母親の身分が低すぎるがゆえに離宮に追いやられ、当時の王妃殿下をはじめとする王族たちに長く冷遇されることになったのだ。
その間に、殿下のお母様は流行り病で亡くなられたと聞く。
王族でありながら差別的な扱いを受け続けてきたザイン殿下は、それでも成長するにつれてその類いまれなる知性を発揮し始めた。学園時代の成績は群を抜いていたらしいし、なんならその頃から陛下の公務を補佐していたという噂もある。
学園卒業後は本格的に陛下の補佐役として辣腕を振るうようになり、その実力には宰相も一目置いているんだとか。とにかく頭が切れて有能で、理知的な傑物なのだ。
一方で半ば虐げられてきた半生から、王族なのに謙虚で低姿勢、思いやりに溢れた方だとも言われている。人を悪く言ったり声を荒げたりすることはなく、常に淡々と仕事をこなす堅実さから王城の文官たちにも頼りにされているらしい。
そんなザイン殿下は改めて調査結果に目を遣りながら、冷静な口調で言った。
「私が調べた不貞行為の事実を公表すれば、少なくともテオドルスとの婚約はなかったことにできるのではないか? いくら王家とのつながりを求めるファルクス侯爵といえども、ここまでの浮気者を迎え入れる気にはならないと思うが」
殿下の言葉に、私はゆっくりと視線を落とす。
「……どうでしょうか。父は我が家に王家の血筋を迎えられれば、あとはどうでもいいという考えの持ち主なので。テオドルス殿下がどれだけ不誠実で、別の女性と浮名を流し続けたとしても、私との間に子が生まれればそれでよしとするのではと……」
「……それは、あまりにも……」
驚きを通り越し、もはや不服そうに黙り込んでしまうザイン殿下。
わかります、わかります。
控えめにいって、お父様も下衆ですよね。
「では、これだけの事実があっても、君とテオドルスの婚約がなくなる可能性は低いということか?」
「……恐らく」
絶望的な状況に、ザイン殿下の表情はみるみる曇っていく。
その端正な顔を見つめながら、私は不意にあることを思いついた。
「あの、殿下」
「なんだ?」
「一つだけ、テオドルス殿下との婚約を解消できる方法がございます」
「……ん? あるのか?」
「テオドルス殿下との婚約を解消する代わりに、ザイン殿下と婚約することができれば――」
「いや、待て待て待て」
私が全部言い終わる前に、すごい勢いで口を挟むザイン殿下。反応が早すぎない?
「いきなり何を言っているのだ? そんな馬鹿げたこと、できるはずがないだろう?」
「私は至って真面目です、殿下」
「いや、冷静になってくれ」
「自分史上最高に冷静ですけど」
「君はその、テオドルスの不貞行為を知って自棄になっているだけだ。投げやりな気持ちになっているから、そんな突拍子もない考えを――」
「自棄でも投げやりでもありません。至って真面目に冷静に考えたうえで、ザイン殿下ならと思ったのです。殿下だって、婚約してはいけないわけではないでしょう? それとも、心に決めた方がいらっしゃるとか……?」
「そ、そんなの、いるかっ……!」
平然と尋ねる私に、殿下はわかりやすく狼狽えている。
「考えてもみてください。父がほしいのは、王家の血筋です。王族を婿に迎え入れることで、権威や権力といったものがほしいのです。だったら別に、テオドルス殿下でなくてもいいはずですよね?」
「それは、そうだろうが……」
「いくら父でも、テオドルス殿下の度重なる不貞を知れば、さすがに動揺すると思うのですよ。ただ、婿入りが可能なのはテオドルス殿下だけだと思い込んでいますから、当然私にも諦めて受け入れるよう強いるはず。そうなったら、私はいずれ逃げ出して平民になります」
「え」
「でもザイン殿下が婿入りしてくれるとなったら、話は別です。殿下もれっきとした王族ですし、何より殿下の有能さや人柄のよさは誰もが知るところですからね。不誠実極まりない下衆野郎より、人望の厚い優秀な王弟殿下のほうが、婿としてより望ましいとは思いませんか?」
「し、しかし王族とはいえ、私には平民の血が交じっているのだぞ? そんな人間、ファルクス侯爵が認めるとは思えないが」
「認めてくれなかったら、逃げ出すまでです」
あっさり言い放つと、ザイン殿下の眉間に何本ものしわが寄る。
「……君は、どうあっても平民になるつもりなのか?」
「ザイン殿下が私との婚約を受け入れてくださらなければ、そうなりますね」
「……ファルクス侯爵令嬢は、ずいぶんと破天荒な令嬢なのだな。知らなかったよ」
「お褒めいただき、光栄です」
いや、褒めてないけど。とでも言いたげな顔をして、ザイン殿下がふっと息を吐く。
と思ったらいきなり立ち上がり、私の真横に腰を下ろして淡々とささやいた。
「婚約し、結婚するということは、いずれ子をなすということだよ? 君が私を受け入れられるとは思えないのだが?」
「そうですか? それくらいの覚悟なら、とっくにできていますけど」
不敵に笑う私の言葉に、二の句が継げないザイン殿下。
確かに、突拍子もない無謀な提案をしている自覚はある。勢いですごいこと言っちゃってるな、とも思う。
でも、今の私にとっては、テオドルス殿下との結婚を回避することが最優先。
それを可能にするのがザイン殿下との婚約なら、喜んで受け入れる。受け入れられる。
もちろん、ザイン殿下のことは多少面識があるだけで、ほとんど知らないといっていい。でも私の話を「あり得ない」と一蹴することなく、むしろきちんと調べてくれて、そのうえ私の心の痛みにまで目を向けてくれる人なんて、そうそういない。
その優しさと誠実さに、いっそ賭けてみよう、と思ったのだ。
「殿下」
隣に座ったザイン殿下にぐぐぐっと近寄り距離を詰めると、私は挑むような笑みを浮かべる。
「これも人助けだと思って、ぜひとも私と婚約してくださいませ」
ザイン殿下は顔を強張らせたまま数秒静止して、結局は諦めたように大きなため息をついたのだった。




