03 王弟殿下は仕事が早い
さすがにこの距離では、さっきの言葉を誤魔化そうにも無理がある。
とはいえ、面識があってもさほど親しくはない王弟殿下に、おいそれと打ち明けてしまえるような話ではない。
いつもは人っ子一人寄りつかない寂れた場所なのに、なぜ今日に限って……! などと内心悪態をつきつつも、結局殿下の圧に抗い切れなかった私は事情を説明する羽目になってしまった。
「……浮気? テオドルスが?」
「はい」
わかりやすく疑わしげな目をするザイン殿下。まあ、無理もない。
「君たちの関係は良好だと思っていたのだが……」
「私とて、そう思っておりました」
淡々と応えた私に、ザイン殿下は居たたまれないといった表情をする。
なんというか、信頼していた婚約者に裏切られた私を前にして、ひどく心を痛めておいでなのだろう。噂に違わず人がいいというか、お優しい方である。
「お気遣いには及びません、殿下」
「え?」
「あんな場面に遭遇したうえ、テオドルス殿下の邪な本音を聞いてしまったら、あの方への想いはすっかり冷めてしまいました。一気に霧散したといいますか」
「霧散」
「ええ。完全に吹き飛びました」
「……そうなのか?」
憂い顔のザイン殿下は、私が強がりを言っているとでも思っているらしい。
確かに、これまでの私はテオドルス殿下にべた惚れだったから、ザイン殿下の反応も致し方ないとは思う。
でも、浮気現場遭遇のショックで前世の記憶を思い出し、と同時に本当の意味で目が覚めたのは紛れもない事実。言えないけど。
私は穏やかに微笑みながら、ザイン殿下を見返した。
「あそこまで言われてしまったら、さすがに百年の恋も冷めるというものです」
きっぱりと言い切った私を見て、ザイン殿下も少しは納得してくれたらしい。「そうか」「いや、そうだよな」「確かにひどいよな」などと、ぶつくさ言っている。
「しかし、そのことと君が平民になろうとしていることとは、どんなつながりがあるのだ?」
「テオドルス殿下の浮気が発覚したからといって、私たちの婚約が破談になる見込みはないからです。この婚約は王命ですし、父は王家とのつながりを切望しています。テオドルス殿下だって婿入り先を失いたくはないでしょうから、浮気を認めてくださるとは思えません」
「そうか。同年代の高位貴族は令息がほとんどで、令嬢は少ないからな。テオドルスの婿入り先としては、君のファルクス侯爵家が最も望ましいというわけか」
「はい。でも、あの方に対してはもはや嫌悪感しかないのです。このまま結婚するなんて、私には到底耐えられません。それならいっそのこと逃げ出して、平民にでもなってしまえばと……」
私の言葉に、ザイン殿下は深々とため息をついた。
「君の気持ちは理解できる。しかし逃げ出したからといって、問題の解決にはならないだろう? そもそも君のような貴族令嬢がいきなり市井に下ったところで、なんの苦労もなく暮らせるはずがないじゃないか」
「そこはまあ、なんとかなるのではと思いますよ?」
あっけらかんとそう言ったら、ザイン殿下は一瞬目を丸くした。
それから慌てて、「いやいやいや、どう考えても無理だと思うが?」と否定する。
「君は平民の暮らしがどのようなものなのか知っているのか? 知らないから、そんなことが言えるのだろう?」
「仰る通り、詳しいことはあまりよく知りません。でも、逃げ出すからにはしっかりと準備を怠らず万全の態勢を整えるつもりですし、なんとなく大丈夫な気がするのです」
「……その自信は、いったいどこからくるのだ?」
「……さあ、どこでしょう?」
前世で庶民だったからです! とはちょっと言えないから、私はふふふ、と笑って誤魔化す。
殿下はこの日何度目かの深いため息をついてから、突如として神妙な顔つきになった。
「ファルクス侯爵令嬢。この件は一旦私に預からせてくれないか?」
「……殿下にですか?」
「ああ。君の言葉を疑うつもりはないが、テオドルスの不貞行為に関しては何か事情があるのではないかと思う。私のほうで、少し調べてみたいのだが」
真剣なまなざしで、まっすぐに私を見返すザイン殿下。
調べたところで、浮気が確定するだけだとは思うけど。
でも、もしかしたら、殿下が調べてくれることで客観的な証拠が手に入るかもしれない。
密かな期待を胸に秘めつつ、私は「よろしくお願いします」と頭を下げたのだった。
◇・◇・◇
それから一週間もしないうちに、ザイン殿下に呼び出された。
殿下はこの前よりも一層渋い顔をして、私を待っていてくれた。
その顔を見ただけで、調査の結果がなんとなく窺い知れるというものである。
「……端的にいうと、私の想定以上だったよ」
ザイン殿下は言いにくそうに、渋々といった様子で口を開いた。
「……と言いますと?」
「テオドルスの不貞は、事実だった」
「やっぱり」
「ただ、相手はナタリア・ネリウス伯爵令嬢だけではなかったんだ。君と婚約していた三年間、少なくとも五人の令嬢と関係があったらしい」
その言葉に、さすがの私も目が点になる。
「……ご、五人、ですか……?」
あの野郎、控えめにいって下衆の極みだった……!!!
「君にとっては、受け入れ難い事実だろうが……」
ザイン殿下はそう言って、心配そうに顔を歪める。
どこまでも私の心を気遣ってくれるその優しさに、なんだか少し、救われる思いがした。
「大丈夫です、殿下。受け入れ難いというよりは、単に驚いただけですから」
「私も正直言って、信じられないよ」
「この際事実関係はしっかり把握しておきたいので、できればすべて教えていただきたいのですが」
「……いいのか?」
「はい」
私の思いを汲み取ってくれたらしい殿下は、調査結果を手にしながら丁寧に説明し始める。
「ネリウス伯爵令嬢を含めた五人の令嬢の名前は、そこに記載してある通りだ」
「……全員、それなりに面識のある方々ばかりです」
「そのようだな。それぞれ交際期間はまちまちで、関係が長く続いた令嬢もいれば、数か月で終わった令嬢もいる。ただ、五人のうち四人はすでにほかの令息と婚約もしくは結婚していて、テオドルスとの関係は一応切れているらしい」
「今現在も続いているのは、ナタリア様だけということですか?」
「そうだ。ネリウス伯爵令嬢との関係は、学園在学中からということだが」
「……全っ然気づきませんでした」
なんというかまあ、ここまで完璧に隠し通せるなんて、逆に感心してしまう。
と同時に、何食わぬ顔をして堂々と私を裏切っていた六人全員地獄に堕ちろ、とも思う。
「ひどいものですね」
吐き捨てるようにつぶやくと、殿下は賛同するように眉根を寄せた。
「そうだな。王族として、いや人として、このようなことは断じて許されない。最も恥ずべき行為だと私は思う。同じ王族として弁明の余地もない。本当にすまない」
「で、殿下に謝っていただくことでは……!」
徐に頭を下げるザイン殿下に、むしろ私のほうがまごついてしまう。
「そんな、あの、ここまでしっかり調べていただいて、逆にありがたいといいますか、さすがは殿下だと感銘を受けておりますので……」
「これくらいの調査など、私にとっては造作もないが?」
けろりとした表情を見せるザイン殿下に、でしょうね、という言葉しかない。
陛下とはだいぶ年の離れたザイン殿下は、その優秀な頭脳と実務能力を買われて陛下の補佐のような仕事をしていると聞く。
ただし、役職はない。
もう二十五歳だというのに、婚約者もいない。
王家や国の上層部にあれこれとこき使われながら、実は差別的な扱いを受け続けてきた不遇の王弟殿下――――
それが、ザイン殿下なのである。




